全身が凍る冬の過酷な労働に朝鮮への出稼ぎ、現代では考えられない「筏師」という職業に迫る【筏師の道 – 古道・廃村】

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◎お勧め動画はこちら

【伝説の集落】百夜月 – 陸路からは絶対に到達できない!古い伝承が残る廃村の現在の姿を追う

【廃村探訪】日南川集落 – 棄てられた集落と息を呑む風景、最奥部で驚愕の発見も

【限界集落】石切集落 – まもなく限界から消滅へと至る小さな集落の記録、京丸牡丹の伝承を追う

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チャプター
0:00 オープニング
1:57 かつて栄えた有蔵集落の跡
9:33 失われた集落に残るかつての信仰
12:35 かつての賑わいを感じさせる生活の跡
14:56 筏師が休憩した茶屋跡
20:16 筏師の過酷な労働について
23:15 地域の荷物が集まった集積地の跡
27:40 日本と朝鮮の知られざる歴史、朝鮮筏
30:45 筏師を体験してみよう
31:50 子供たちの通学路でもあった手掘りのトンネル
34:20 旅の終わり
36:55 エンディング

#奈良県 #三重県 #和歌山県 #廃村 #廃墟 #廃村探訪 #歴史 #筏師 #筏師の道 #古道

明治40年から夏流すためにはい北朝鮮に 行ったの確かもうここだけちょ特徴的です もんね明にでしうん何かありそうだなって うんはいこんにちはヒストリカの岡です 今日はい田市の道の取材2日目ということ で今日も引き続きガイドの平野さんに よろしくお願いしますお願いしますきます よろしくお願いしますということで昨日に 引き続き今日ははいどんなところに今日は ね集落後と集落後みたいなところとみたい なはいもちろん一般の人たちが通った 手掘りのトンネルとま行ってみたいと思い ますこれ井田市の道上にある集落だったり とかトンネルだったりとかそうですねそう ですねへえここもすでにもう道なんです そうですここもあのいさんが通った道です ねなるほど川っていうのは今でいう高速 道路なわけですようんでここがま普通の道 なんですよねだからすごく便利なところな んですね横に集落があるとあるなるほどだ からその横の集落っていうのは意外と栄え てたんですよねうんうんいろんなものが 集まるみたいな感じなですかそうね今日も じゃあそんな形で色々とお話聞かせて くださいはいはいよろしくお願いします よろしくお願いしますお願いし ますいが前の時代の道沿いにはや茶屋が いくつも存在していました高級鳥ではりの 良かったいだしは地域経済を支える存在で もあったのですしかしながらい流の衰退と とにこれらの場所も徐々に数を減らして いき今ではそのほとんどが消滅しています 今回はかつて栄えたこれらの場所を巡り ながらその歴史を紐解いていきましょう ここはね奈良県の村なんですよはいはい 戸川 村は名がないのねだからお墓見るとあの 名前がそのまま残ってますあへえで私ここ の集落すごく気になってはいで聞いたん ですよここいつぐらいまで人が住んでたん かなと思って はい安の正確な時期は定かではありません の平野さんが元住人へ独自に行った 聞き込み調査によると昭和30年代前半に ダム建設の話が持ち上がり集落自体がダム に沈むという噂が流れたことから理想が 加速したことが伺えますしかしながら集落 には昭和37年の母が存在しているため 少なくともこの時代までは定住者が存在し た可能性が高いでしょうまた当時の村長の 会話記録に安蔵への言及があり昭和42年 の時点で3件の居住があったことも分かっ ていますその後いつ頃まで住人が存在した かは記録に残されておらず憶測の息を出 ませんあそうなんだ昭和42年ぐらいまで

住んでたんやと思ってはいでそこら うろうろしてたんですよはいここうんそし たらね人形が落ちてたんですよはいはい あのヒーローもの人形が落ちてたああで私 も見たことがなくてはいでそれ何かなって あのネットで調べたんですよねはいそし たら昭和49年から50年に放送された ええ黄色ものはいあれ人形なんですよはい はいあれ昭和49年から50年に放送され たものがここにあるってことははいうん うん子供がその当時痛んやと思ってうん はいそれで調査止まってますなるほどすご いすねヒーローもの確かに世代ってか時代 が現れますもんねそうそうそうそうそう まあ10中泊子供ですもんねうんでももう もうそれ以上多分分からんだろうなすごい うんじゃ正確な年号とかは分かってないん ですねとわどんだけまでいたのかなんて へえここの集落の名前はアゾって言うん ですよねはいアゾはいあのあるクと書いて はいこれは全部もう集落なんですねそう ですねこの辺りは全部そうですあ石垣が すごい増えてきましたねねあっちまで全部 すごちゃんと道になってる なこんな感じでちゃんと通れるように道が 作ってあるんですよね これ結局はね土砂崩れの地形なんですよ うんあおで土砂崩れの地形のところにこう やって集落を作ってるんですよねこれ土砂 崩れの地形だから上から水じゃなしにこう やってね水場はね石がき組むんですよはい これ見えますそこにそこに石垣ありますよ ねはいはいはいで今あそこから水が出てる でしょ石垣を組んでその下から水が流れる ようになってますこれの向こうもそうだし また向こうのはい楽も同じ形になってます ね水が上から全部染み込むじゃないですか はいでこっから出てくるって感じですだ から崩れてその水場がなくならないように 石垣こう組んでるんでしょうね多分うん なるほどすごい立派なお屋敷だったんです ねここはここは ねでこれ今ね埋まっちゃってるからあの 分からないですけど階段とかずっとこう道 が続いてるんですよね上まで確にでもここ に来たら分からないでしょうけどあそこに 道路があるんですよ上にはいはいはいはい まあいの道がそこにあってでその上にま今 の新しいま道があるとうんうんあこれも 面白いです よああすりですかこれうんこれ名前まで 書いてるのよ懐かしい へえ島本さんわかる ああさっきのお墓もしもかあ本当だ うっすらうん見えますね名前

がすりすごいなうん実際に使ってたんです ねそうそうそうまわここなんかもこれこ 何かうん鎖が 鎖ああカシとか鎖がねま当時使ってたもの ですねこれもねうんワイヤとか滑車が結構 ありますうんうん多分こんなやつだったら 荷物を釣り上げるのに使ったんじゃないか なとは思うんですよね 船から上げてくるみたいな うんこういう感じですからねもうお すげうわだから例えばああいうところから 釣り上げるとかねうん結構高いっすね高い ですここはねちょっと見あの景色見にくい ですけど向こうへ行けばもっと綺麗に見え ますあもう警告だからまさに釣り上げ るって感じそうそうですねすごいちゃんと 道が続いてるんだえに血ができてるんです ねこそうですねしっかりしてる すごこれなんかも水場ですここ もこうやって上は普通に石垣が組まれてる んだけど下からこっから水が出てくるん ですよねうんああ今は水が少ないですけど ま洗い場ですよねここがうんなるほどあ ここが洗い場だったんですねへえ確かに水 がすごいな石段がちゃんとある わで今日ちょっとこっち行きましょうか はいこっちは道じゃないんですけどね さっき大墓があったじゃないですかはい はいここにもね何かあるんですよね明らか に何かまここれがメインでしょうけどうん うん何かわからない でも1つだけお墓ってのもおかしいなとは 思うんですよねうん確かにうんだから何か お家の不思議だなこれは意味ありげもっと 昔の時代だと思うんですけどあの子供が 生まれますよね子供が生まれたらタバタバ を埋めてそこに石を乗しておくへえていう のもあったんですよでその 体の馬 に最初に近づいた生き物 を怖がるようになるいうねそういう話が あってでまそれはね本当かどうかわかん ないけどそういうのがあるん だはいどうぞ景色いいですここが一番そう ですねすごいこれまたレア景色だなこう いう集落は初めて見るかも分ののんだっ たらすごいすよねすごいっす ねあこれが神社うんここが大稲さん で松ってある あ本当だ狐だもん なあの丸石もご身体ってことなんですかね そうですね へえああ丸い石だ小さい丸石もたくさん うん本当 だやぱこれ丸石進行みたいのがあったん

ですよねそうですねここは多いすよずっと ですよま私の集落なんかはあの貧しい人 たちが住み始めた集落なんですよはいうん であの今は道路で生きできますけど昔は 道路なんかないじゃないですかはいはいで こっから神宮まで行こうと思ったらあの 50km近く歩かないといけないわけです よねはい年寄りなんて行けるわけがない じゃないですかうんであのもちろん川で ざーっと下っていけた人もいるでしょう けどはい行けない人たちなんかは川を渡っ て渡し船かなんかでで山を超えてでそう やって歩いていかないといけないだから 病気になったらはいどうにもならないです ようんうんうんうんうんその時に何かに 頼りたいんですよねうんその頼るものが 例えばバカでかい巨木であったりま あの神宮だったらごと引き岩って言って神 様がここに降り立ったよっていうもうバカ でかい巨石巨岩があるんですようんそう いうものであったりであと小高いなんか なんか違う雰囲気のある丘みたいな山の中 にみたいなところがあったりそういう ところであったりうんであとは河歩いてる とまんまっこい石ってなかなか見つから ないんですよなんかびな感じになっちゃっ てるうんで丸いものこれもしかしてとか うんうん何かの力がうんうんま加わってと かうんそういうものがご身体としてま祀ら れてますねうんうんなるほどそうです地形 見ると本当ゴツゴツしてるんでこういう この丸さはかなり珍しいってことですね そうですねなるほどでなんか確かこうここ だけちょっと特徴的ですもんね明にでしょ うん何かありそうだなって神社があるって 知らなくても思いますよねこれうんだから そういう地形みたいなところに祀られたん ですよねここだけではなくね他のところも そうなんですけどなんかここちょっと違う なみたいなうんうんでもこれがね便利な 地域だったらこういうのないんですよまた あうん 要そうそうだから今そういうのがだんだん なくなってきてるんですよねうんああ大勢 の人が住んでたっていうねはい集落はい っっていうのがねここで分かるんですよえ あとお 金持ちがいたっていうのも分かりますけど ねここも家の跡なんですよねバカでかい家 なんですけどねこれ おおこれなんですよ五衛門カあ水場のこれ はいはいはいはいよく祭りとかで使うはい 鍋うんあ鍋これ使う集落です よあそこにもあるんですけどねあとねここ の集落っていうのはこの奥の

あのもう本当に山の山の奥昨日行ったあの トロッコ道はいのまだ奥にあの普通一般の 人たが あのところ行って木の器とか借とかを作る 生地師さんはいはいはいはいていうのが 住んでたんですようんで通常記事師さんは 一般の人と交流は持たないんですよあそう なんですねでもそこの記事さんはここまで 来てうんで交流を持ってたんですよへえま 当時玄米とかも持ってたのかもしれない あとお酒とかも持ってきてここであのま 飲みみたみたいなをしたらしいですね結構 中心的な人のお家だったんですかねここ広 さなんとも言えないですねそれはねあ窓も ありますでもうんでかい敷地でしょこれ かなり広いっすよねだっ てそうだかどもちゃんと残ってますね んこれか ああれこれヒストリカのシンボルになっ てるんですよあそうなんですか醤油ツこれ へ人気人気ではいみんなこれ見つけると 喜ぶんですよへえそうなんですか皆さん 醤油ツありましたでもなんか特殊な使われ 方してるなこの醤油ツそうだねこっちが昔 使ってたうんそうですねかどすもんねここ はなんかはっきりいろんなものが残って ます ね今から行く場所はどういうところなん ですかええ今から行く場所はねまずはい まずそこにはいいだしさんがはい休憩した あチャヤがありますええあチヤはいもう後 ですよ本当にはいでその横にまその下に なるんですけどはいはいその下にこの地域 の中心だった場所うんあ中心そうでしょ はい今は和歌山県のはいえ東室軍の北山村 っていうとこに来てるんですよねはい今 ここはでその北山村の1番端の集落の小松 っていうところなんですよはいはい で今実際は小松は人口が1名ですえ1名1 名 あで も昔はものすごく栄えてたところなんです よここもうんへいろんなものがここに 集まってきてここからいろんな地域に こう運ばれていったうんなるほどでなんで ここかって言うとこっから上は給料が多く て物を運べなかったんですよねああだから ここまではい持ってき てそこから運んだって感じですねえへここ がチヤ となるほど上に上がってくようになってる んですねうん本当だちゃんと石畳になっ てる [音楽] わなるほどで実際にはねあのもっと向こう

で休憩してたらしいんですよはいはいで それを見てああいさんがジベタで休憩し てるのかわいそうやなって言ってここの 主人がここにうんうん縁側みたいに作って でここであのお茶を出したらしいんですよ ねはいああでお茶出したらあの何か買って もらなかんはいね商売にならんからお茶 だけだったらでイだしまじっていうのを へえ打ってましたええすごいここの方 すごいんです昨日行ったトロッコ道を作っ たのもここの方あああここの方なんですね そうへえでここらは吉野熊の国立公園に なってますけどまだなってなかった頃に はいここを国立公園にしようって動いた人 ここの人 へえものすごい影響力すごいなうんでここ はねまお風呂もあるしで実際にこうこんな 長 建物だったんですよはいはいはいはいで こっから向こうはまだあり ますあります意味わからないですよねどう いうことすかばらして持ってって神宮の 街中にああ立ててますへえ続いてるあり ますよお店はまだまあお店はないけどもう 物置きとして置いてますねはいへえこっち は2階建てですあ2階建てはいでここらに あのま間取りも知ってるんですけどね私 ここらにあの水場があってでこっから階段 で上に上がって上があの止まれるように なってました へえでここにあの部屋を温めるっていうか その濡れたものを温めるホイがあってはい はいあホイであそこにま五衛門風呂もあり ますしねあそこにお風呂があるんですねで こういうね茶やっていうのが神宮から何件 かあった うんうんうんうんうんいさんはお金持って ますからはいはいなんとかお金を落として もらんなかうんうんで神宮で化粧した女の 人が待っててそれについていってお金が なくなるっていうはいうんでもまだ持っ てる人がいたはいだからその途中途中で また化粧した女の人が待ってたりするあ こういう茶屋とかにもいたんですそうそう いたんですああなるほどなるほどでここは ねさすがにはいすぐ近く集らだからそれ まずいだろうって言ってああ何があった かって言うとサイコロああサコトバが なるほどなるほどじゃあもう本当いだしは もう道スでお金がなくなっていくシステム みたいってたそうそうそう帰る頃にはも 本当に空っぽみたいな感じでうんうん すごい生き方してるだからここでそのまじ とか食べたのもけとかでねああ食べて もらってなるほど

そのっていうのは組み合いに所属してる からそこで あのその組み合いに請求するんですようん ああなるほど なるほどなるほどそういうことかだから もうどんどん食えどんどん食えてって食し てへえこの地域で大切されたはい木です へえあなんていう木です頬の木ホの木って いうのはいだしがはい使ってた貝あはい はいはいオールパドルの木がホの木なん ですあそうなんだへえそうなんだホの木 って水吸いにくいんですよはいうんでイカ 田っていうのはね今観光イカダは5月から 9月末までやってますはいねちょうどいい 時期夏の時期でもイ本当のいは夏は あんまり流してないんですよあそうなです この時期寒い時期なんですよへえ秋冬春な んですよそれなぜかって言と川が荒れてい を流しちゃう場合があるんですよねうん はいはいはいそうすると誰かが負担しない といけないわけですうんうんそれを避ける ために夏はみんな流したくなかったんです ようんへえでこの寒い時期にイを流したで 水の吸いにくい方の木で貝を作ったんです ようんふんふんうんで硬い木っていうのは いくらでもあるんですねカの木とか硬いん ですけど水吸ったら沈みますうんのは水 にくいから沈まないあと 冬場イカ出しってちゃんと乗ってるかっ たら失敗する場合があるわけですよはい 落ちるんですうんでもイを流さないように 必死にはい上がってこいでるとどこから ともなくカチカチカチカチ音がするんです こ入れる と凍ってんのああえで脇の辺りから音が するんですよはいごなものすごい寒いうん 体中が凍ってくるんですよ冬ですもんねで も凍らないのが水吸わない方の木へえああ なるほどだから何百年も昔からこの木を 大切にしたんですよね へえどどきですかでもこれですねあこれ この白い肌でもこれでほ作れるかったら 作れないんですようんあそうなんですこの 倍以上はいるんですよはいああで倍以上の 木をマップ立つに割るのそうすると剃って きます切ってはいうんその剃りを利用して 貝を作るんですよへえだからもうこんなん じゃダメなんですよもっともっとでかく ない といだしの過酷な労動環境については強度 資料にも当事者の証言が記録されています 弟子にとっては冬が一番辛かったいから 滑って川に落ちることもある生い上がると 着物はすぐに凍ってカチカチ乾いたような 感じになった火など炊いている暇なんか

ないし寒いとも言わせてもらえなかったコ のバッチを履いたが首巻きはもちろん旅も 履かせてもらえなかったネジ八巻は いさましいが手は痛いし足は冷たいし時に は泣いたこともあったすごい石垣 がなん だろうなんか穴があったここもなんか屋敷 があったんすかまはましたけどはい屋敷で はないですねああすごい立派な石にま とりあえず下の方が分かりやすいか石垣 がいやすごいなずっと石石だたがなんか めちゃくちゃ整備されてるこの辺 うんもう集落後って感じがしてきた のまあ今これカメラでねるのはなかなか 難しいと思うんですけどあっちの方から 向こうもずっと石垣組まれててであちらの 方もずっと石垣組まれてるんですよあっち もそうすねうんで一見集落後に見えるん ですけどこれは集落後ではなくここに いっぱい倉庫が立ってたのね倉庫だった はいあこれがなるほどここ倉庫群があった 場所ですそうか川ここから下るとことです そうですねこっから下るっていうかねま かかにあの川に降りる道がずついてます 斜めにざーっとうんうんで向こうまであの ま荷物はい北山村やその周りの近辺の集落 の荷物がここに全部届けられるわけです うんああでその倉庫に入れられるの なるほどでもちろんあのこっから出す炭と かもこのそあの炭小屋があってうんそこに 炭が入ってるのをこっちに下ろしていく わけですよへえでここの倉庫の中に入っ てる自分たちの荷物を天秤棒で担いでこっ から各集落に歩いて持ってくわけですうん ああなるほど多少は人が住んでたけど集落 っていうものではなてことですねはああ 集落はまだこれの向こうですねああ なるほどここら集落点々とありますけど いろんなところで船さ船を持ってる人が いるんですよねはいでその人たちが商売で あのま卓球便ですよね卓球便みたいな感じ で荷物を運ぶ仕事をしてました3Tぐらい 乗せれたっていうんですよねへ炭とかを はいでそれでずっと下っていって神宮で殻 で帰ってくるのはうんうんちょっと もったいないからって言っていろんな ところから注文とかあったものをそれに 乗せるわけですよねあじゃこの場所は いだしっていうよりかはその船さんの荷物 が集まるような場所ってことですかそう あの船さんが運んできた荷物が集まる場所 でもあるんですけど実はねこの下は下滝 って言ってはい危ない場所なんですよい さんはうまいこと行く人もいるしはい 引っかけちゃってはい止まっちゃう人も

いるわけですよねはいで止まっちゃったら いしさんはそこでい流せなくなるじゃない ですかはいはいそうすると次から次にこう いが流れてくるその田たちがそれを見てわ かわいそうやと思ってそれをばらして 手伝ってもう1ぺん組み直してあげるん ですよああその時にいだしさんの1人走り 屋って言ってはいこの川からねイ出しちゃ ここバーっと走っていくの今この通った ところどこ行くかったあの先ほどの茶見 です悪いけど缶詰飯炊いといてくれんか つってはいあのみんな手伝ってくれた人の ためにああなるほどご飯を炊くんですよ俺 じゃないですけどはいいだしさんはもう あくまで木材を流す人たちそうですねそっ かそっかだからそれと別に船がいてなんか すごい賑わいだよねそう川はねすごい賑 賑わってたんですよこの田道でも1日に 100人200人歩いてたんですよね 100人人ですか1日歩いてたんですよ 全てがあるんだろうねきっとここには さうまい飯もあるだろうしうんうんお金も あるしそうですねいやすごいそう考えると 時代の移り変りってすごいですねもうここ が本当にね中心だった場所が例えば道路 できましたとはいそうすると流通がもう 変わっちゃうでしょそうするとここ必要 なくなるんですよああでなくなっていくん ですよねうんなるほど明治40年から夏 流すためにはい北朝鮮に行ったの へえ当時日本国内で盛に行われていたい田 ですが井田を通して朝鮮と海をまいだ交流 があったことはあまり知られていません 日韓併合からしばらく経過した頃政府の 募集によって北山川流域のいだしたちは 毎年数十人単位で朝鮮へ出稼ぎに赴くのが 関連化していました朝鮮での井田は ちょうど本土の井田長が停滞する4月から 9月がシーズンであったことからいたちに とっては渡りに船のありがたい仕事でした 通常はヤールー川やトマ川にてい流しを 行い早ければ7月遅くとも10月には帰国 したと言います出稼ぎに際しては政府から 旅費が支給される上収入は本土の2から3 倍もあったと言います当時教師の初任休が 50円ほどであった時代において少なく とも300円多い時には1000円以上の 収入になったと記録ににはありその待遇の 破格さが伺えますまたいはこの近辺だけで はなく日本各地から訪れており互いにその 腕を競い合いました北山川流域の怒田市は 特に腕が良いと評判で朝鮮でも歓迎を受け たと言い ますこのようにしばらく続いた朝鮮でのい 流しでしたがやがて太平洋戦争が激化する

と次第に田たも姿を消していきました 1889年に下北山村に生まれいとして 生涯を生きた瀬口菊蔵は出稼ぎにとまらず 現地に定住しいしとしておよそ20年の 月日を挑戦で過ごしました木造は配線直後 の様子をこう振り返り ますそこへ太平洋戦争の敗北が来た が斉立ち上がったの恨みは日本人の 警察官に向けられ駐在所が真っ先に占領さ れたしかし自分にはみんな好意的であった 後始末に残るつもりでいたが引き上げを 進められたので家族と共に8月31日 ソウルに向かって無惨を立った無さの たちが差別会を開いてくれたのは 嬉しかったが一歩無さを出ると行き合う の目はとげとげしかっ たこのようにいだしという職業を通して 通常ではほとんど語られることのない歴史 の片隅で起こった出来事が存在していたの [音楽] ですちょっといだしの人が実際に運んで 歩いてたってことですよねこれねこれを肩 にあ肩にかけてそうそうそう担ぐのま傘ね これね おやがイカだしになっていくここにつけて でイカだし じゃんわらじ履くのま今日はなしねあ わらじうんそっかわらじだもんなうんで 本当ならもう1つこれこれはばらしてある けどさらにこの長さのものを担ぐそうそう そうそうそうそうすごいでこれは漕ぐもの でしょはいあの深いところではこれこぐで も浅いとこに行くとはいこの竿でさして ああなるほど うんこういう感じこれを持ってあの山道を ずっと歩いてたんですそうなえそれどん ぐらい重い結構重いよもうなんか右腕は 普通に筋肉になりそうもうこの短時間で昔 の人化け物だなうんマジでどうやってたん だろうこれこれを日常的にだってやって たってことだもんね うんこの先にトンネル掘ってあるんです けどここをね実はね子供たちが多く通った のああなるほどできたら楽な方がいいと はいはいあともちろんい氏がいを流すため に貝を持ってる竿を持ってるうん荷物を 持ってるそういうのでできたら楽な方が いいって言ってうんであのここの村長さん かな当時の村長さんが入札性でねで トンネルを掘る業者を決めたんですよでも これがね固かったのよやっぱり火山の影響 なのかはっきりはわからないけど硬くてく てと当時これぐらいで掘れるだろうって 言ってたのが全然掘れなくてうんうん金が 足りないんですよて言ってはいでこの地域

の山を売ったんですよねそれでも足りなく てもう土地ごと全部色々打ってでやっと 掘れたっていうのがそこまでして掘ったん ですねうんトンネルですね見に行きます はいもちろんここまで来 たらあなるほど おおもううわすごもう岩肌すね本当にそう これを掘ったんだこれ最初見た時は びっくりしました もんすごいなもう土とかじゃないですもん ねうん明治28年へえ回探検体っぽい はい そうちょっと暗すぎて 映像が乱れますがちょっとご了承ください ということ で眩しいお前こっち向くな お前いやすごいなうんこんな感じ でこの地域にはねこういう手掘りの トンネルがね何個かあるんですよあるん ですねうん食が残ってる頭の上これあ本当 だうんこれ抜けなくなっちゃったやつなん そうでしょうねすごいめちゃくちゃ錆び てるわうんえすごあゴールにたどりついた なんか出口ちょっと埋まっちゃってるん ですかねこれそう へえなるほど これ出る とそっちの集落なんですよああ集落が ガイド付きで歩いてくれる人増えるとい いいですねまあねあのとにかくねまのの 最初の1番最初の原点は間違ったうんあの 歴史は残したくないんですようんだから そういういろんな 歴史の中でこれは間違ってるようんこれは うん本当だよっていう何かそういうのが 伝えられたらうんうんいいかなと思って それが まあガイドじゃないですけど私がやりたい ことかなってまこういうのもねさんに聞か ないとわかんないんでねうんそうですね うん平野さんとかにお願いすればコースは 選んでもらえるんですかねああのま例えば 私のところにあの連絡くれた方にははい あのその方と相談してもちろん歩けるか どうかってのも分からないですし全然あの 初心者なんですよとかはいうんうんあそう いう人にはこっちの方がいいんじゃない ですかとかじゃあま平野さんであればその 人に合わせて最なですねまプランというか 場所選んでもらえるってことですねはい そんな私の宣伝しなくていいですい いやいやま是非ねあのうんぜひ興味持った 方は歩いてみたいなとかそうだねうん興味 持ってくれた方は是非まフラノさんを筆頭 にヒストリカのおすすめとしたは平野さん

を押しときますてはいそんないいです そんないいですそんないいはいうんという ことで工程としては今日ここで一応最後 っていうことになるんですかねまはいうん なの先まだまだあるのはあるんですけど そうですねなかなかちょっと時間待って 回りきれない部分が大半ではあるんです けどねま一旦今日はここで終わりという ことですねはいはいじゃ2日間ありがとう ございましたいこちらこそありがとう ございますになりました長い時代を通して 木材の流通を支えたいしもインフラが発達 しトラック輸送が開始されるにつれ徐々に その姿を減らしていきまし たそして1957年から始まったダ建設 工事の開始を境いに北山川域のい市は全く その姿を消したと記録にはありますいだし の消滅とともに現在ではいだしの道と呼ば れる鼓動もその役目を終えたのですこの道 と共に発展し時代を王化した人々の生活も 今では歴史の片隅で静かに眠っています はいということでいだしの道取材2日間 すごかったね想像の5倍ぐらい面白かった です面白かったねはいやっぱねいだしの あの豪快な行き方確かにうんすごいよね ちょっと真似していきたい今年はあんま 真似し方がいいやつよねそれ昔の時代のさ 生活って本当にもう今とは全く違うって いうも本当に失われた文化なんだなっての が分かりましたよね本当にうんそうだねで なんか田市の周りにもさなんか茶とか なんかそれに関連する商売を作っていっ たりそうだねなんかいしが経済回してたん だな確かになんか今だとそれが丸々 なくなっちゃってるって思うと本当に文化 とかって失われてってなくなってくものな んだなっと思いますよねそうだよねなんか 僕たち結構その配送とか見ててまいろんな 集落がその魚の衰退で配送になりまし たっていうところが多いけどうんこういう のを実際色知ってくと魚がなくなるって めちゃくちゃ大きいことだな考えてた以上 のインパクトがあったんだなっていうのは そうだねこういう3幹部のうん暮らしして た人にとってはもう本当に生活が全て解 するレベルの出来事だったんだなっていう のが分かりますよね本当にそれは配送に なっちゃうよねっていう感じがしました 確かに今日僕らガイドひな野さんっていう ガイドさんをにあの同行していただいたん ですけどやっぱりガイドはつつけるべきっ ていうねそうだねま僕らこれまでもね動画 でいろんなガイドさんついてもらってやっ てますけど例えば僕らだけで歩いても わかんない情報しかないんでそうせっかく

時間取ってすごい遠いとこまで行くなら 絶対ガイドさんつけた方がうんいいうん 楽しいねそっちの方が100倍楽しいんで あの気づけないことうんがたくさんあるん で本当にそうだねネットに落ちてる情報 なんて本当ごくごく一部っていう感じなん でまぜひねアガイドさんつけて歩いてみて くださいっていう感じですねうんはいと いうことで今回の動画もいいと思ったら グッドボタンやチャンネル登録をよろしく お願いしますメンバーシップも是非 よろしくお願いしますではまた次の動画で お会いしましょう動画のご視聴ありがとう ございましたヒストリカは地域のこれまで の歴史とこれからの歴史を発信する地方 創生メディアですこのチャンネルを気に 入っていただけたら是非グッドボタン チャンネル登録をお願いし ます

21 comments
  1. 平野さん素晴らしいです。わかりやすい解説、正しい歴史を伝える意思。これからも歴史の語り部としてのご活躍を祈念しています。
    オカヤスさんアンドウさん、プロデュース有難うございました。

  2. 素晴らしいチャンネルです✨
    物の哀れ、滅びの美学、そこに確かにあった人々の営み
    これからも愉しませていただきます😊

  3. historica様もガイドさんも、教科書に載らないような日本の歴史を大切にしてくれている人達がいてくれることに感謝。

  4. ヒストリカ、いつも大変面白く拝見しています。感想も学者さんのような感じもなく、普通に私が疑問に思った事を伝えてくれるので本当に興味が沸きます。これからも大変だとは思いますが、色々な場所の歴史を伝えてください!応援してます。

  5. 今回の筏師シリーズ?
    とても興味深く面白かったです。
    林業の衰退による地域へのインパクトの強さを改めて学びました。
    この切なさもヒストリカですね!

  6. 歴史の授業受けた気分になりました
    日本史大好きだったけど 学校では教えてもらうことのない話で今回も食いついて聞いてました
    お疲れ様でした

  7. その内、郷土史紹介動画作成の案件とか来るんじゃ?ってくらいクオリティ高く、飽きずに(ここ大事)見られる動画。

  8. 「間違った歴史は残したくない」 という想いからガイドを始められた平野さんの話が興味深く、聞き入ってました。
    オカヤスさんが筏師になっていく様子が面白かった。今では歴史の片隅に存在する筏師さんの豪快な生き様や失われた文化を探訪する動画配信、最高でした。

  9. 昭和50年に子供に戦隊ものの人形を買い与えた親ということを考えるとすでに80歳超ぐらいだから、なかなか動画が直接行き当たらないけど、なんとかなりそうな気はする

  10. 平野さんまた出てほしいです!目から鱗ばかり!!平野さんありがとうございました!!!

  11. お稲荷さんは稲が実ることとかけて、五穀豊穣を祈り農村で信仰されたようですが、こちらは山中ですが稲作されていたのでしょうか。杉のなかった昔の山の風景はどんなものだったのでしょうね。興味深い配信ありがとうございました。

  12. お疲れ様でした!ずっと動画は見てましたが初めてコメントします。
    こちらはくまの・川遊び部のツアーですか??

  13. お疲れ様でした。
    自然崇拝と偶像崇拝が入り混じった集落だったんですかね?
    地形的には自然崇拝の方が強そうな気がしますが今となっては想像するしか無いですね…
    行ったこともない地域の誰も住んでいない集落跡地の歴史を映像で学べるなんていい時代ですね
    にしても醤油壺の口があれで完成系なのかあえて後から加工したのか気になる😅

  14. とても見応えのある内容でした。予告に惹かれて視聴して良かったと思いました。
    山の中に集落が存在して放棄された意味を理解しました。放棄された集落の地図があると面白いのでは…
    今も昔も「金」を求めて人は動くのですね、今と違うのは「国」への意識でしょうか…。
    史実を伝える、というのは、簡単なようで難しいのですね。案内人や資料を選ぶ必要があると思いました。

  15. ガイドの平野さんの正しく歴史を伝えていきたいという真剣な心意気が強く感じられます、
    教科書には書かれていない山間地に生きてきた人々が確かにいたということがこの動画でよく伝わってきます
    二つの県をまたいだ取材ですね今回もありがとうございました🎉

  16. 石垣っていいっすね~。ヒストリカ見て興味出てきました。
    しょうゆ壺ステッカー再販しないかなぁ

  17. historicaのアンドウさんオカヤスさんおはようございます。PCの方でコメント書けないので携帯の方で登録させて頂きました。よろしくお願いします🙇

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