20240217_道の駅 松本牧師の37年間を振り返る(前半)
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柴さんいいいですか はいじゃ皆さんこんにちはここんにちは ちょあの2月のあの日目駅をですね始め させていただきます今あの写真に移っての あの本 先生新学生 のいうで中田さんマイク入ってま入って ないうんあ入ってあじゃあもうちょっと はいはいあ聞こえますかね大丈夫ですか はいすいませんはいじゃあの2月のですね 道の駅を始めさせていただきますえ今日は ですねあこれか えっとはい今日あの松本牧の37年を 振り替えての前半でございますでちょっと ですねあの今日の進行なんですけどもまず 最初に和田先生からお祈でいただきまして で今回はちょっと道の駅についてちょっと 簡単に説明してその後ですねえ松本北不会 からあのちょっとあのいろんな写真を ちょっとご用意いただいてそお見せし ながらちょっとあの前半の約15年間 をああああこっちの方がいいですねはい 失礼しましたえ松本先生夫妻からのですね あの振り返り約15年間ですねこれをさせ ていただきますちょっと以前あの松野先生 にちょっと私の方で日あのインタビューし たところこのやっぱり区切りがちょうど 15年とその後ということでしたんで今日 はあの最初の15年で3月にあの今度後半 の方ですねこちらをあのやりたいと思い ますその後あのまパネルディスカッション 風にですねま事前質問もちょっといくつか いいてますのでまその内容それからあの ちょっと皆さん方も是非あの色々ご質問と かですね頂戴できればと思いますのであの よろしくお願い申し上げますで最後お祈り をちょっと太田長老のでお願いしてえ終了 したいと思います えじゃああの和田先生お願いいたします はいではお祈りさせていただき ます私たちの主イエスキリストの父なる神 様尊徳主の皆を賛美いたし ます今日 はこれまで小沢協会において松本先生また のり子姉妹 が本当に多くの物を用いて仕してください ましたえそのことを振り返り皆さんとその 恵みを分かち合う時を与えてくださいまし たことを感謝いたし ます神様あなたは本当に松本先生ご夫妻を 通して私たちに多くの学び教え を与えてくださいましたそしてその中に 喜びがあったことを私たちはえ心に刻んで おりますどうぞその時を振り またこれからの先生の歩みを皆さんと共に
祈り合わせて祝福できることを願っており ますこの会をどうぞあなたが導いて ください感謝してイエスキリストの尊い 未来によってお祈りいたします あンはいありがとうございますじゃ今日の ですね えあさんプレあさんあいいのけかはいはい いいですいいですこっち ではいえ今回の道駅はあのま申し松本北の 37年を振り返っての前半でえ口座協会に 来られたからの2001年までの約15年 ですねこれちょっと語っていただくという あの流れですで松本先生があの退任され ますけもまあのここで一度立ち止まって ですね松本牧の奇跡からこうるというま 非常に重要なタイミングとちょっと思い ましたんでこの企画をしておりますで受者 もまあの今ここにいる私とか市川さんも 新しいなんですけどもあの昔のことを知ら ない方もいらっしゃると思うんで今回の こういう貴重なお話がちょっと聞けると 思いますで今日あの司進行の私中山が務め させていただきますのでよろしくお願い いたしますあとあのサポーターはですね あの祈グループののりの会からですねあ 市川さんそれからえ佐岡さんいるのかない ないのかなあさあ佐岡さんはZOOMで いるのかなはいそれからあの柳ささんです ねはいそれから太田さんはまだ来てないの かなはいま後で来られると思いますので あのこれでサポーターとしてあなんか入っ てますあはいはい佐岡さんあのZOOMで アメリカからちょっと参加いだいており ます のでよろしくお願いし ますじゃああのこっからですね松本牧ご 夫妻からちょっとお話をいただきたいと 思いますでよろしくお願いいたし ますえっと今日はあの本当に貴重な時間を あのいただきましてえまたこういう機会を ですねあの与えていただいて本当に感謝し ています え [音楽] あのまこれあの新学校に行ってた頃40年 前の写真なんですけれどもえあのアルバム を引っ張り出してですねあの最初の15 年間あの少しあの振り返ることができまし たえま最初にあののり子の方であの15 年間のあの写真をあの少しこうお見せし ながらあの振り返ってそれでえその後私の 方であのその15年間ですかねあの ま私たちにとって大切なことというかそれ を少しあの振り返ってみましたのでまそれ はあのお話しさせていただきたいと思い
ますで今日本当にたくさんの方お見えに なってるんですけどもあの皆さんの中で あの映ってる方と映ってない方 いらっしゃると思いますけれどもあのもう 本当にたくさんある写真の中での本の一部 ですのでまそれをご紹介しながらあの昔の ことをあのえ恵みを数えていきたいなと いうふに思いますのでどうぞよろしくお 願いいたします はいんちょっと待っ て すパワーポイントの共有を今してい ます画面共有 はいちょっと待ってえはいごめんなさい これでいいのうんこれで い画面 し [音楽] さっきはうまくてたんです けど skal あれ初準備し て3時からやってたんです けど すいませんそしたらちょっとお話しして ます画面が出るまで えっとはいえっとですねあの私はあの 1975年の12月のあの高校2年生の クリスマスの時にあの口座協会で島道信 先生から洗礼を受けましたですので彼 これれえっと701975年で今2024 年なので50年50年近くなりますあの クリスチャンになってからであの結婚して すぐにあのえ2月にあの2月11日が結婚 記念日なんですけど2月11日にえ 1984年に結婚してそしてあのその年の 4月にあの夫が新学校に入ったのであの あの家族料にあの引っ越しましたであの えっと新学校の入学式の写真が1番最初に 出てくるんですけどもその写真にはあの 古畑先生と松屋先生が一緒に移っています パポパワー ポイント はい で出ます か向こでの方には 向こう はいどうし たこれでいいんです か はいすいませ ん画面がまだ出てない気がするんですけど あのえっと新学校の入学式にあの幸島先生 が夫妻とえっと石塚先生ご夫妻だと思うん ですけども来てくれててその時の写真が出
てます えと はい聞こえにくいあごめんなさいはいすい ませんえっと あのでその次の写真があれ出てますかまだ 出てないかはいあのその次の写真は えっと1984年の学生会と青年会合同の 写真があ次私 これ出ますかこれ次のためにするのどうし たら いいこれそれあはいそれでもいいと全出て ない出てないえっとあの後で出てくると 思うんですけどもあの若beli頃のあの 小林はめさんとかあのえ中野長老とかてて いですかごめんはい はいあいいですかはい中野長老とか安倍 先生あの明子さんあと え壺内さんの奥さんとかあのもう本当に あの今の牧師館のあの大せつに集合写真で 写ってるんですけどすごくあの懐かしい あの写真ですまあの当時学生だったんです けどもあ学生青年会かあの庭先生も映っ てるしあの えっとあの亡くなられたあのえっと角田 敬子さんも写ってました はいでその次がその次の写真がはいごめん なさい えっとえっと1987年の伝動士の認式の 写真がしてあってでこの時も3人一緒に あの荒瀬彦先生と古畑和彦先生と松本の3 人であのその時の指してくれてるのが瀬底 正義先生だったんですねで本当になんか 懐かしいあのえ写真でしたでえっとその その時に古先生とあの松本と2人講座協会 に勝平してくれました諦めて諦めた向こう で向こうで映すはいすいませんはいなんか ちょっとあのさっき本当にうまくいってた ので本当にごめんなさいすいませんで次の 写真が婦人会の一泊収容会これが1988 年の8月であのえっと私は あのをその年の5月に出産して2ヶ月で その修業会に行って証しをしていますその 写真があってであのその時に私の隣に座っ てたのが美合ひこさんでその隣にまあの 幼い時の宮先生が映ってるんですねこれは 絶対見て欲しいなと思うう本当になんか 小学生ぐらい のあ出た最初ちょっとからはいごめん なさいえっとあの写真はすいません えっと小林さんがうん右の後ろに映って ますねでその前が安倍先生その前がしの ちゃんでその隣が私で今井雅子ちゃんあ 今井雅子ちゃんじゃないあの小峰雅子 ちゃんそしてこの隣が金井さんですねで 彩子先生と島
先生ああはいじゃすいませんはい彩子先生 島先生その隣がえっとえっと中野さんで庭 先生そしてその手前が小野長老だって松本 は言うんですけどちょっと私は違うかなと か思ってるんだけどあのちょっと誰かなと か思っていますがはいで小崎えり子さんと かあのそうですね大店さんが真ん中に映っ てますねブラジルのでみほちゃんがまた はいみほちゃんが映ってます壺内えみさん あえみさんじゃないいや香りさんうんあ はいではいあのその隣があの安倍明子さん で降りてくると安倍先生言いましたねはい その隣が市川さんはいそんな感じです次の 写真ははいこれがあの認式伝動士認式です あの後に立って指してくださってるのが 瀬底正義先生で挨拶それぞれがあの3人が しましたそしてその次の写真がえっと一泊 修業会えっとあのちょっとこの後ろの誰が 誰っていうの大変なのでちょっとえこれは 山さん宇山さんです西脇さん内藤さん石黒 さんだね ありなんか本当に皆さんの若かりしこの 写真ですねあれ消えちゃったでそのあの 右下に映ってたのが美合先生です消え ちゃった ねダメだ ね はい出てこないね なんかえっと本当昔のアルバム見てると もう本当にいろんなことが蘇ってきて なんかあのなんかあの寂しい思いとでも もう本当にあのえっと前を向いていこうと 思ってあの今あの思っていますなんか ずっとあのこのをあの皆さんに共有して からあのなんか本当に寂しいなっていう 思いがずっとあの心の中にこう響いてたん ですけどもあのでも神様新しいあの道を あのもう準備してくださってるのでそこに 向かって行きたいなって思ってます出てこ ないねで あの本当次の写真ははあの香港から来られ たカバU牧師の写真になりますあの香港が 中国に変換されるっていう時の本当にその 前の年に日本に来られてでもいろんな方が あの亡命される中で あのカバ優先生たちはとまるっていう決断 をされたっていうなんか本当に行きげられ たで私たちの家にも泊まってくれました あのまだ私お腹の中にルツ子がいて大きい お腹で映ってるんですけども本当に 懐かしい思い出ですそしてその次の写真に 安倍先生がブラジルに行く前の子供たちと あのえっとおばあちゃんの写真があるん ですけども あのこないでえっと本当に不思議なんです
けどもあの今私たちが関わってるあの clskってクリスチャン成長研究会だっ けであの今安倍イサク君も同じ運営委員な んですねで安倍イサク君と関わりをあの もう何年も経ってあの親しく持てるように なってそれであのこの間もアメリカ行った 時にあの安倍イサ君のお母さんもお姉さん も大阪女学院を卒業されていてで カンバーランドととてもゆりのある あの方だであの安倍先生のお父様も牧師 だったっていうあのそういう繋がりのある 方で神様不思議な形で私たちにそういう あの関わりを持たせてくれましたであの えっとお子さんたちが本当に小さくてで うちの子たちも本当に同じ年ぐらいだった のでそういう中でブラジルに行くっていう のは本当に大変だったと思うんですねで あのえっと 1990年に行かれてそして94年3年に 帰ってきてあのま講座協会には戻ってこら 残念ながら戻ってこられなかったんです けどもなんかその時の写真を懐かしんで あの載せましたであの次の写真があの早年 会主催のえっと球道車会時の会であの 今井か行さんのあのお家でやっていたあの 球道車会でそこからも本当にたくさんの あの洗礼者が与えられました田沢川さんと か誰だっ けさんとかここの写真出てるの はえ鈴木健二さんとかそれからあ二さん 鈴木健二さんとかえ松岡さんとか北川さん とか さんとかあのえっと細さんとかそういう方 たがあの写真 で見できなく申しはいはいそしてその次が 早年会の収容会であの1991年の5月で あの総年会があの男性だけで収容会をし なくなって家族であの収容会をするように なった年なんですねそれこれは江の島で 三浦海岸三浦海岸であので子供たちも奥 さんたちもみんな集まってて真ん中に町田 浩司さんが映っていて本当になんかあの みんなに動員をかけるのがあの上手だった んだなっていうのをしみじみ感じるような 写真ですえーそしてあのえっと次に百川会 たんぽぽの写真があってあのこれは礼拝道 の2階で選1991年にやってるものなん ですけどもあの1989年にスタートして あのヨベルホールで礼拝道の2階でやって たのが手まになってヨベルホールに移って からはあのほとに親子100人ぐらい 集まるぐらいあの大政教になってあの安全 名から考えたらちょっと無謀だったと思う んですけどもあの本当にみんながあの月2 回のその親子の会を楽しんで楽しみにして
くれてましたえその中から洗礼を受けられ た方があの本当に今ジムをやってくださっ ている小塚さんとか北京さんとかあの まあの美香さんは他のところで色々 フォローされていた方だと思うんですけど もあのそういう本当に あの不思議なあの会でした で奥たの次が少年会の修行会なんですけど も1991年にあのこれもあの家族で行く 収容会であの子供たちだけをあの本当に 無謀だと思うんだけど松本1人で託児して なんか川川まで連れてってるんですねで あのその写真の中には西村誠君みちゃん 学ぶ君とかうちの子供たちも入ってるん ですけどもみんな小学校のまあ低学年 ぐらいでそういう子たちがあの10人以上 いたよね10人以上いるそのなんていうか あの川下りみたいに川下りじゃないけど川 の近くまであのあの松本1人で連れて たっていうからちょっとなんか何もなくて 良かったなっ て思いますであの皆さんが分給をするので 私があの子供たちを託したんですただ今 から考える ちょっと大変なこと ででえっとその後あのえっと皆さんも覚え てるかもしれないんですけどもあのは先生 をお呼びしましたあのアメリカからでそれ でそれが 1992年でえっとロバートハ先生と キャシーは先生のご夫妻でこの先生から 長老会が委員会制度をあの学びましたで委 会制度っていうのをこの後導入していくと 思うんですけどもあの研修会をして くださって礼拝とかあの えっといろんな集会でメッセージして くださったりとかあの えっとうんそうですね写真には長老会の人 たちと一緒に写ってる写真があって あの本当にこう懐しいなって思う方も たくさんいらっしゃるあのあれ写真になっ ていますであのこのキャシーさんあの奥様 はあの賛美をされる方であのよく賛美もし てくださいましたあの集会の中でで あのえっとこの時私あのルツ子があの2歳 であのトヤが3歳で花が5歳ぐらいの時か なで本当にあのななんていうかあの うんすごくコンプレックスが強くてあの 自分は家事も下手だしお料理も得意じゃ ないのでなんかあの自信がなくてまあの そういうそういう時のあのお世話とかあの 通訳とかはしてたんですけどもあの やっぱりそれをキャシーさんは見抜いて あのあののり子あのあなたはユア スペシャルなんだよっていうことを何回も
言ってくれましたであのキャシーさんは あの牧の奥さんなんですけどもあの自分は あの礼拝に出て賛美はするけれども あのお料理を作ったりとかは一切しないっ て教会の中でなんか本当それをはっきり あのえとこの何年か後に私はあのは先生の おタにホームステに行ったんですけども あの確かに朝ご飯ははる先生の旦那さんの 方が作ってらしてで奥さん本当に作って なかったですだからあのなんか本当にそう やってあの 1人1人神様はあの大切なものとして作っ てくれてるんだからそれでいいんだよって いうあのそのことを教えてくれたあの先生 でし たであのそのこの次の写真がテモテの会 って言ってテモテの会はあの若い先生たち の会なんですねでこの中に小出君も映っ てるしあの森直樹君も映っててあの えあのは子あ柴崎のり子さんとかあと浜 あささちゃんも映ってますあと桜井じこ ちゃんも映ってるかなだからあのえっと このなぜ手元の会っていうのができた かって言うとあの教会学校のおばさん パワーが強かったんですねであの若手の 先生たち大学出たての先生たちがあのその 立ちできないというかなんかそういう時代 があってそれであの若い先生たちで集まっ て あの えっとなんか読書会をしたりレポート レポーター立てて読書会をしたりして そして食事も一緒にしてあのあの先生たち が連帯できるようにやってあのだから若い 先生がすぐに辞めちゃうっていうことが なくなるようにあの手元の会っていうのを やってきまし た えと次の写真は婦人会の収容会で1992 年の8月になり ますでえっと本当にあの当時はあの直美会 の収容会は天木三素で203日そしてあの ルツ海の収容会はあの割と近いところで1 泊2日託児もついてっていう感じで 泊まりがけでやっていましたで私はそのル 海の方のあの収容会に行きまし たで次の写真が93年の3月の卒園式で 田中理事長とえっと田中先生と私たち夫婦 そしてもう1枚の方ははあの石塚先生庭 先生松本の あの3人の共同部会のあの写真です3人で よくあの礼拝のクリスマスの時とかあの3 人で賛美させられてましたねあの あの よく私たちもあ違うかあれはもうちょっと
後は私たち線クラブの人が伴奏して歌わさ れてたりとかしていましたはいあのそう いう形で共同しているのがあの見えまし たでえっと次の写真があ1993年の幸島 先生最後のアギの婦人会修業会ですあの私 はあのそれまでずっとル海の方の収容会 しかいってなかったんですけどもあのもう 島先生のあの94年で幸島先生は海老名の 方に行かれたのであの93年の雨の収容会 が最後だったんですねでそこにあの行かせ てもらいまし た えと次の写真は早年会主催のディナーです え山田シェフが腕を振ってくれて [音楽] えっとハンドベルの演奏されている あのお母さんとその旦那さんを招待する ような感じであの えあの山田シェフと一緒にお料理作ってる のは小野長老と石田明美さん ですで子供たちはあのえっと一緒にご飯 食べれないというかあの幼稚園ホールで ちゃんとテーブルセッティングしてあの やったのでで森町ごが明をしてくださって あのあやっと映ったあの写真あの映像に 壊れてしまった のはいあのの見え てはいあの森町老合祭があの左上に見える かと思いますでベルさんさが真ん中の テーブルのなんか接待役みたいな感じで そしてあの山田シェフと小野長老と石田 明美さんであの右側の下の写真はあの子供 たちの託児を牧館でしてあの清水のり子 先生が一緒に私と事をしてくれました なんかお弁当あの自分で作あの自分の子供 のはもってきてっていう感じでやりました はいどうしようこれちょっと最初から最初 から 本当最初からじゃ写真だけ見るような感じ でいいでしょうかちょっとさっき見れ なかったのではいえっとそれが荒瀬先生と ふ先生とのあこれはさっき見せ見せたから いいかなはいこれがあの電動士の認式です 1987年の4月で えっとえっとフロ先生と松本は口座協会に 勝平されました はいで次が婦人会の一白修業会ですえっと 1988年の8月で私が証しをしててその 宮先生が宮博子さんの隣にいるのが美合 先生 小学生かなんかの頃の宮先生ですはい じゃあ次お願いしますはいこれがカバゆ 先生香港のえカバ先生があの来られてえ うちにも泊まってくれましたで安倍先生 とこにも泊まりましたはいえで安倍先生
一家がブラジルに行ったのが1990年の え8月かなちょっとこれあ8月って書いて あるで真ん中であのたまさんがいてあの 真ん中にこう首をかげてる女性が安部先生 の お母様です顔似てると思うんですけどはい であのうちの子たちと大体年齢が一緒で3 人子供がいてあのでブラジルにあのこれ これから行くっていうところです私が音部 してんのがルツ子でたまさんがしてんのが 安倍先生とのかかおちゃん3番目の女の子 です はいでこれが少年会の時の会今井さんの オタでのあの えっと田川さんとかあとなん誰だっけなと 何人かこの会をきっかけにあの救われまし たはいはい次お願いしますはいこれが早年 会の収容会ですえっとミラー海岸でやっ たっていうあの本当に こう見えるかないろんないろんな人が映っ てますはいこれはあのウマんていうところ でやったんですねそれで一番後ろの右の方 に井上さんがいて私があの左の前の方に いるあの後ろの方にいるんですけど2人で あの裏をしてそれで夜遅くまで打ち合わせ をしてですね今でも覚えてますけどもその 真暗で結局私布団で寝れなくてですね布団 がなんて言うのか山積になってるところで あのそ探して寝たっていうそういう思い出 がありますあの井上さんとよくあのそう いう打ち合わせをしてそれで町屋さんが 色々やってくださったんですけども 懐かしい写真ですはい はいフル スクごめん なさいはい真ん中にいるのが田さんですね はいじゃ次はいこれはあの百川会たんぽぽ あの礼拝堂の2階でやってた時のですあの 吉田純子さんが左側にいうんうんみく ちゃん連れていますね はいはいこれも少年会の収容会ですえっと 奥たこれそうですね前の方になんかた子供 たちの中にえっと西村誠長老とかの子供 時代のそう見つけられますでしょうかはい どはいそんな感じですはいじゃ次お願いし ますこれあれあけ ねあどうやったらいいだ はい次の写真お願いします はいこれですかあ大きくなったねはいはい これはは先生の あの長老会の写真 は結構皆さん映ってると思いますなおさん とか森さんえっと高橋正司長老日下さんと か宮城さん豊川さんとかはいであの田中 先生のアトリエでも写真を撮ってあの
えっと石橋さんの石橋あの があのハル先生の奥さんに頭にマッサージ してる写真もあったんですけどちょっと それはあの入れませんでしたがはいあの 本当に皆さん が大勢お元気な時の写真です はいはいこれがさっき言った手元の会です あの若い教師たちの会です ええっとナちゃんとかあと浜口れい子 ちゃんそうですねキャッシーさんの前に いるのが多分柴崎のり子さんでそれで小部 さんであの佐藤あの先生岩君岩君とか小出 さん森木君はいこれは西鶴の私たちの牧館 でやってた時ですあの樋口しさんの隣のお 家であのみんなで勉強もしてご飯も一緒に 食べてっていう会をしてました はいはいこれはえっと収容会ですねえっと 婦人会の収容会あの和津さんが必ずルツの 方に出てくれててあの一緒にお風呂入っ たりとかあのとってもいい交わりをしまし た梅沢さんも映ってると思いますね前の方 でなんかあの 本当に大勢であの楽しい収容会でした はい うんはいこれがその卒園式の田中先生え 理事長と一緒に写ってる写真とあの共同 牧会で3人で礼拝堂の前で握手している ところですでこれはもあの礼拝道が前の前 の形の礼拝道の時ですね はいはいこれが幸島先生最後の収容会アギ えっと森さんも前の方に真ん中辺に映って んじゃないか なあ津田さんうん映ってますねその隣が あの西山かさんそれから松田かず子さん から沢田さん中村清さんそから瀬さん そしてえっとえっと吉崎さんさん近さん ですねはいうんはいはいあやっと追いつき ましたあのソネ会主材のディナーですあの この時にハンドベルは演奏してくれてるん ですねちょっとその写真はなんか使えあの あまり良くなかったので使ってないんです けどでも本当にえっと幼稚園ホールにあの テーブルを何島も作ってあのえご夫妻で あの えっと ちゃんとウェイターみたいにみんながあの サーブしてあのえっと松本とあと井長老と かがあの待してうん超ネタしてあのナキを 手にこう下げてっていうそういうなんか あの本格的なディナーでした はいはいこれがあの私たちがあ松本の10 年の時のええっと修理室の方たちがだから コデラさん石塚和子先生とかわさんがあの 手巻き寿司を作って くださいであのまもうこの時子供たちは
三谷以外は小学生ぐらいなってたと思うの で あのなんかそのえっとこの時にあの礼拝堂 であの家族6人でに立ったんですねそし たらなんかわさんが涙が出たって言って くれててなんかあのなんか私たちはいじめ られてないんだけどなんか彩子先生たちを かなり厳しくしたっていうことを思い出し ちゃったみたいでなんかあの本当に私たち はあのそのわしさんのその優しさに恩恵を 受けました はいはいこれがあの97年にあの えっと4ヶ月松本が留学した時ですねもろ モロ先生の講義あの左上がモロ先生で クラスそしてあのえっとジャーマンタウン の教会のとあの牧と2人で映ってます え髭はして別人のような感じですはいこの 人が今のえ新学校のあの校長先生ですね はいはい次お願いし ますはいこれはメリリンハドソン先生が あのこの同じ年の6月の中海女性会でお 話してくれました えとこの中海女性会ので中村清さんとか垣 さんさんが映っ映ってますよねあと石川 さんも映ってるかなあのメソン先生と お母様が来てくれてそれであのうちに2泊 か3泊か思ってあのえピアノを引いて くださったりとかなんかとてもいい交わり をしましたはい次が江本先生ですえ 1999年の10月かなと思うんですけど ちょっとこの辺りから写真に日付が入って ないのでわかんないんですけども竹内さん が会長してた頃であの夫人会ノ会のあル会 ので竹内さんのご家族とかあのうちで食事 をしましたそれでこの江本先生は慶和慶和 学園の校長先生だったからあの樋口しさん があの間取り持ってくださったというかし さんも映ってると思いますで上の写真の 石塚先生のえ江本先生の隣に座ってんのが 先生ですね斎藤和成先生でその隣が私です はいそして次の写真ははい地域子供 クリスマスですあのえっとうちの牧館で あの真ん中の扉をあ仕切りを抜いてあのま 子供たちの友達がみんな来たっていう感じ であえっと司会をしてくれてるのはエヴァ ちゃんですねあのでえサンタクロースは私 の父がやって ます中山の父がやってくれて ますなんか本当に大勢来てくれて楽しかっ たクリスマス会でしたはい最後ですこれが 最後えっと2002年のあの6月に石塚 先生をブラジルに送りにえ成田まであの 柴崎さんごフサとえっとおいうんじゃない 筒井さんと宮城さんと兄さんが一緒に映っ ていますあ細さん細さん細さんのお母さん
もうんあとはい三谷は石塚先生に抱こされ てるのが三谷ででこの2002年っていう のはあのえっとハナが高校入学ルツクが 中学入学で光也が小学校入学って3人入学 式が同じ日にあった特別の年でしたそれで ちょっとあの遊びの心で入れましたその はいすいませんありがとうございました 以上です私からの [拍手] はいすいません色々ちょっとハプニング ありましてあの準備してきたことが十分に あのお伝えできなくてで時間大丈夫ですか ねはいえっとあのえ私の方からあのこの えっと15年間を少しこう振り返ったん ですけれどもえ私はあの えま口座協会にあの来ました時にえそれ こそまあののり子のあののり子とあの 付き合いをしていたのでえま鉱山に導かれ てきたっていうのがあるんですけども私は あの1978年にええフリーメソジスト 小金協会っていうところで洗礼を受けまし たで家はま仕上げの近くでしたのであの 教会に小金にいる時はあのクリスチャンで もう一生懸命あのトラクト配ったり伝動し たりしてたんですけれどもところがあのま これもよくお話ししてますがあのたまたま ええ幼稚園の時からあの幼馴染みにこう トラクトを知らないで配っちゃったんです ねそしたら彼がですねあのたくってんです が彼があの私の顔を見て私だって気がつい て松本前何やってんのって言われて急に 恥ずかしくなっちゃったんですあの クリスチャンで一生懸命こう伝動する明し するっていうことはあの大切な働きだって 僕あの先生から教えてもらってそれにやっ てたんですけどもいざその自分を知って いる人に出会ってですねそうした時にそう いうに言われて恥ずかしくなってしまった 自分にすごく驚いてですねそれであの大学 1年の時にあの私の恩師というかまkgk の総手事をしていたま太田浩一っていう 先生ですけど今本当に不思議なんですが あのえ先ほど言ったクリスチャン成長研究 会っていうところのあの今あのその方が 始めたところで今運営員をあの2人でさせ ていただいてますがあのその人がちょうど 押上げキリスト協会に行ってらしてそれで そういう関係でですね押上キリスト協会に 行ってでその地元でもまトラクトが配れる ようにというかまそういうことであの そっちに行きましたそれであの大学をそこ で過ごしてで大学4年の時にですね就職の 時にあの自分はあの電動車になりたいんだ という話をその中山先生という牧とそれ から太田さんに来ていただいてま相談に
乗っていただいた時にその太太さんがです ねあの押キリスト協会で本当に個人まりし た10人いるかいないの教会だったんです けどもあの松本君残念だけれどもこの教会 はなかなか あの電動者をあの育てる力がないとなので 他探しなさいっていうにはっきり言って くださったんですでそれでま家にいること もできませんでしたのでま静岡に行って私 のあの大学の先輩のツてでま静岡であの 行ってでそこで行った教会があの静岡 ライフセンター協会というま同盟キリスト 教団っていうところの教会だったんです それで言って何しろあの教会を探さなく ちゃいけないということでしたのでその 倉沢先生っていう僕の大学の先輩だったん ですがそれこそ和田先生のあの卒論の先生 ですね倉沢せ後にTCの学長になられた方 ですけどもえそれであの同盟のですね申告 告白とかくださいって言ったんですけど 全然くださらないんですねでそのうちに 乗マスクをはいでそのうちにあの乗り子 経由でですね あのカンバーランドのあの資料がえ島先生 とかスタット先生をからのり子経由で私の 方に届きましてでま時間が結構ありました のでまそれを読む読んだらとってもいい 教会なんですねあの素晴らしい進行役を 持ってるっていうのを分かってそれであの 教会の方にこちらの方に導かれましたで 198013年にあの展開してで展開した すぐ後ですねあの新学校に行きたいという ことであの長老会の面接を受けたんですが まこのあのこれにも出てますけれどもあの あなたのことあまり知らないということで 1回目はあの推薦をしていただけなかった んですねそれでえ水え日水道あのお休みの アルバイトをあの探してそしてあの翌年 晴れてあのえ新学校の推薦をいただいて ですねそれであの東京キリスト新学校にえ 入学をしましたで当時のり子はあの東京 銀行にあの務めていてま私はあのえ新学校 で一生懸命勉強してのり子が銀行で一生 懸命働くとま経済的にあのま教会から本当 に皆さんに支えていただいてそしてまあの のり子が働いてくれたので まあのですので頭が上がりませんけれども あのえ守られましたで中海新学生はあのま 当時は3年間ですね新学校123年で卒業 だったんですけれどもあの姉妹協会での 研修が義務付けられていて通常あの口座 協会出身の新学生は最終学年母教会だった んですねところはま私はあの本当にあのえ えここの教会であの進行あの持ったのでは ありません外から来た戸々ですのでま島
先生すごく心配されてあの松本君あの初 年度あの口座協会で研修してまみんなに 知っていただいてま祈って支えていただく といいっていうそういう配慮でですねあの 初年度あの口座協会で研修することになり ました初年度あの1年目は口座協会2年目 はあの渋沢協会で浜崎先生もお世話になっ てで3年目最終学年がですねあの希望学科 協会であの瀬底先生が夫妻にあのお世話に なってそれで卒業したんですそれであの えっと結構あの口座協会のあの新学生の 研修っていうのはあの森沢さんであの 土曜日の朝早くから来て当時あの オフセット印刷ですよねあのもう爪の中が 真っ黒になるようなあの印刷機をあのあれ してあの町さんに色々指導していだき ながらえそしてえ結構夜遅くまであの冬に なるとえエ間ピリポ間エルサレム間全部 あの石油をこう入れなくちゃいけないん ですよねあれは結構大変でしたねで翌朝に なると朝みんなが来る前にあのストーブを 全部つけてあかくしてですねあの皆さんを 待つみたいなそういう奉仕をしてそれでえ 夜は幽霊杯終わって島先生のところに行っ てそしてあのお祈りをしていただいて帰る ということをやってましたでのり子もあの 土曜日一緒に来てそれでま土曜日あの色々 奉仕があったら一緒にやってそれで実家に 泊まってそれでえ執事をしてましたので あの受付をしてで礼拝をしてそれ執事会と か色々出てで夜あの子先生のお手伝いして で一緒に帰るていそういうあの奉仕をま 一緒にしていました で あのま私この口座協会での働きをこう色々 こうま今回こういう機会をいだいてま 振り返った時にです ねあのちょうど私が研修をしていた年の 11月にあの教会員あ教会総会があったん ですよねでそれまでの総会っていうのはま 穏やかにあの始まって穏やかに終わるすぐ 終わるあの総会だったんだけれどもその年 の総会はですねいわゆるまここにあの 詳しく書いてあるんですけども女性長老 問題っていうのが起こってしまったあの 総会だったんですで本当にあのみんなで あの神様の方を見上げて歩んできたあの 口座協会でまあのそのま女性長老の問題が 起こってですねま非常にこう混乱して しまったあの教会院総会ででそこにあの私 はのどういうわけか言わせてえま幸島先生 ま牧主館で色々研修してましたのでま幸島 先生のそういうなんて言うんですかね あのま近くで先生のあのえこうお姿という かあの先生の怒りとかそれからま失望とか
あいろんなものをあの当時当たりにしまし たでそれはあの私にとってとっても大きな 私とそれから安倍先生がちょうど研修して たんですけども非常に大きなあの経験に なりましたで卒業してあの1987年に 講座協会に来たんですけれどもその時に フラ先生と一緒に伝動士として来ましたで 静先生は当時あのブラジルに行かれていて 町田さんが2年間の給食を取られてそれで え安倍島先生ご夫妻が安倍先生5歳それ からフラ先生5歳で私たち夫婦そして伏見 さんがですねえ毎週水曜日にえお弁当 持ち寄りであの牧師館に集まって福島先生 は昔から夫婦で木会ってのを大事にされて いたのであの結構長い時間あのお昼挟んで ですねあの牧師館でいろんな打ち合わせを したりまあの色々教えていただいたり福島 先生毎回ピリピ書からお話をしてくださっ たんだけれども あのいろんなあの課題を分かち合ってお 祈りのをしながらあのその伝動士のあの 働きがスタートしたことをあの思い出し ますで私にとって1番あのその時にあの 今回振り返ってそうだったなというに 思わされたのはですね今も思ってるんです けども島先生がまこれ私の最初の仕事だっ たと思うんですが松本君これちょっと読ん でどういう風にあなたが評価するかを聞か せてほしいっていただいたのがいわゆる その長期構想っていうあの答申でしたで これあのここにあの島っていうあの先生の あのサインがあるんですけれどもま先生ご 自身のま等身案をま先生がコピーしてです ね私にあのくださったんですよねそれでま これを読みますと当時の口座協会の様子 っていうのすごくよく分かる一方でま口座 協会っていうのはあのあのえっと80年代 ものすごく成長遂げたあの教会であの日本 でも大変注目されていましたそしてあのえ 牧師とかそれから役員がですねあの口座 協会見学に来てそしていろんなことを学ん であの帰っていくまそういうま教会だった んですね当時あのヤトカルバリチャペルも とあのえ注目されていて大和カルバリー チャペルはざにありましたですからざで あるいは口座あの大和で口座見てざで カルバリー見てそれで帰るといなんかそう いうツアーがあるようなあのあのような あの時代でですねまそういう意味であの 口座教化非常に注目されていてま人数が たくさん増えていく中でどういう風にその 口座協会を今後導いていくのかっていう ことを多分あの当時の長老会でですね熱心 にま議論していたんだと思いますねでそう した中であの長期高層委員会っていう委員
会ができ上がってそして今後講座協会どう いう風に導いていくのかっていうことをま 答申として出したのがこのま等身案なん ですけれども この中を読むとですねあのなんて言かな その幸島先生のそのあのあの言い回しが ここに出てきたりとかそしてその言い回し に関するいろんなコメントが出てきてです ねちょっと一見その島先生がこう批判され てるかに思える内容のま文がえ所々にあり ましたで島先生はまそれをこうご自分に 対するなんて言うんでしょうねこう批判 っっていう風にあのきっと受け止められて そしてこの長期構想っていう1つのあの 考え方を巡ってあの長老会でですね やっぱりいろんな議論があってそしてそこ がうまくこうまとまらなかったまそれが このえ70年にあの出てるんですけれども で今まで非常に順調にあの教会があの成長 してあのどんどんどんどんあの救われる人 たちが起こってきたんだけれどもそこで その足踏みせざるを得なかったでその1つ の現れとして私がちょうど新学校1年生の 時のあの例のそのえ11月に起こったその 女性長老問題の総会であったり えまその後の色々なこう出来事ですねで それをあの 私はあの1番最初にえこの口座協会に来た 時にあの与えられた仕事としてでそれが なんなんて言うんですかねあのまこの後え 2002年からえああのごめんなさいあの まあの女性長老のいろんな学びとかそれ からあのえ長期構想の中にこのこの口座 協会が成長する勢いの中でですね大礼拝道 あの大霊廃道宣言とかそういういくつかの 大事なあのま口座協会の私たちが生み出し たえそういうものがあるんですよねでそれ をあの実際にはそのあの口座協会の歩みが ちょっと足踏みをしてしまった中で その礼拝道をどうするのかとかそれから これから木介の体制をどうしていくのかと かそういう課題をま私たちの教会っていう のはえ抱えあのま神様から宿題として いだいたかなとでそれをあのえ多分この 30え7年のうちのま前半部分それから 2002年からの後半部分の最初の時に ですねそのあのそれをどう風にこう私たち はえ神様からこう受け止めてあのしっかり とそれを えなんなんて言うんでしょうこう まみんなでそのことについて取り組んで そしてあの講座協会っていうあの教会を ですねあの本当にこれからも大切にしてい くっていうことをま具体的にどういう風に していくのかっていうことをなんか託され
たのが なんか私またその長老会そしてこの時代の ま口座協会だったのかなっていう風にあの 思っています で え昔みたいにそのえどんどんどんどん人が あの救われていくっていうことはなかった んですけれどもあのでも え大礼拝道建設献金っていうのをあの 私たちはこう捧げ続けてきたわけですよね それからそれが少し変わって心霊廃道建設 献金っていうのもあの行われていました ところが現実的にはですねどうやって拝を 立てていくのかっていう課題は私たちの 紹介にあったわけですよねそういう問題1 回礼拝の問題もそうでしたけれどもでそう いうものをやっぱりみんなであの取り組み ながら あのまこういう形のま礼拝道になったりし たんですけれどもまそれがあのなんて言う んでしょうねこう私に こう託された1つの大事な責任だったのか なっていうのをですね振り返りながらま 考えさせられたあのことですまこの後あの それこそ女性長老の問題とかそれから教会 成長っていうのどう風に考えていくのかと か礼拝道どうするのかとか選挙計画どう するのかとかまそういうことをま皆さんと 一緒にあの考えてそしてこういう形にして いきましょうっていうことに取り組んだで それがまま振り返るとこの37年だったの かなっていう風にあの思いますで後半に ついてはですねねまたあの3月にもう少し こうえ整理してあのお話ししたいなという 風に考えてい ますはいちょっとまとまらなかったんだ けど以上ですはいはいありがとうござい ますすいませんちょっと途中 あのおそらく配線の問題だと思いますので ちょっと明日の礼拝が心配なんですけども あのちょっと失礼いたしましたじゃああの こっからあのちょっとなんかご質問タイム としたいと思いますがなんか先生 メッセージとか含めてまず会場の方から どなたか口を切っていただく といかがでござい ましょう結構いらっしゃるんでなんか是非 これは聞きたいとかあと励ましの メッセージとかです ねどう でしょうさん目がってよる気がする んはいはい はい質問と言われて もあのあメッセージ私は長い間あのパイプ オルガが入ることをあの願ってきたんです
けれども松本先生の時代にそれがようやく 叶って本当にあのその点では感謝してい ます で今もあの多くの方がそれを利用されてで 礼拝が豊かになったことが一番私にとって はあの大きなことでしたえ先生はどうして あの今までのあのあ先生はファイオルガ ンって言うとすごい苦い顔してであの話題 にもしてくださらなかったんです けどえどうして先生はあの受け入れて くださったのかその辺はちょっと聞いてみ たい なえっとあのちょっと僕この原稿用意して きたのでちゃんとこれあのちゃんとこの 通りに話してないんですけれどもあの 1980年以降をこう振り返るとですね あの1984年の女性長老の件で混乱した あの教会総会に言わせてそして最初にこの 長期構想の評価っていうのを島先決生から するようにっていう風に言われたっていう のがなんか私に私がなんかこう口座協会に こうえかからせていただいたま1つの きっかけになったのかなと思うんですね それで礼拝道のことでその礼拝道の中に パイプオルガのことっていうのも口座協会 の人たちにとっての大きな祈りというか 願いがあったのでまちょうどベルさん いらっしゃいますけど刑務委員会の中で あの礼拝移動をどういう風にするかでそれ はもうあのパイプロルガンとセットでどう いう風に考えるかっていうのはやっぱり あの先輩から受け継いだあの大事な宿題 だったかなっていう風に思ってましたので まそれはあのあの何らかの形でみんなで あのどういう風に実現するかっていうのを ま真剣にみんなで考えてきたかなまそして こうやって素晴らしいあのパイプオルガン が与えられたってことは本当にあの感謝し てるところ ですはいありがとうございます他に会場 から遠慮なくはい 佐すいませんえっとあ林とな [音楽] えっと非常にあの先生がどのように あのごめんなさいありがとございえっと 大学を出られてえっと2年間の時があって その後にあののり子さんとご結婚なさって 新学校へ入られたでそれでのり子さんとご 結婚なされてからは経済的にはのり子さん が支えておられたってことを伺ったんです けれどもとても不思議に思うことはそのご 両親がまだクリスチャンではない中であの え献身えしたいという思いがあられてそれ で大学を出られた後のそこからまオーター さんオーター先生や牧師先生の話し合いの
中でま普通に一般企業にご就職なさらずに 献身の思いってことで2年間の時があった と思うんですけれどもその2年間っていう のはま静岡へ行かれたってことは聞いた ことがあったんですけれども あのどのような導きの中でどういう風に こう整形を立てておられたのかなって やっぱり神様の時々の導きがあったと思う んですけれどもとてもそこが不思議に 思えることなのであの静岡でま教会でお 泊まりになられてたのかとかま後半の方は こちらに来られてからはえっと日曜日と 水曜日と土曜日あの以外であアルバイトを してっていう風に伺ったんですけれども なんかその辺があの何かどういう風に 過ごしておられたのかなっていうとても 不思議に思うところもしあの伺いそうです ね あのなんかそのお前をあの牧にするために 学校出したんじゃないっていう風に市から 言われたあのあれだったのであの卒業し たらすぐ出なくちゃいけないと思ってたん ですねそれであの大学卒業と同時にあのま 静岡に私の高校え大学と先輩が松浦って いう先輩がいて彼あのモンテソーリ教育 っていうのすごく重荷おって今あのあの 一生懸命やってますよね日本に広めるで そのま彼がそういう心ざしを持ってやっ てるのでまその仲間に加えてもらったん ですでモンテソリってのはあの クリスチャンなのでちょっとどっか共通し てることがあるかなと思ってただそのお 給料本当にあの低かったのでま あの少しこう溜めてねあの4学校に行こう と思ってたんですけどもなかなかそのそれ はあの難しかったです でただあんまりお金のこと考えてなかった の かお金のそれであのえっとカンバーランド 長老協会はあの新学生に対してとっても 手厚くサポートしてくれる教会であの え当時あの私の時時代はが言われたの 60万円あったらあの学費と生活費はどう にかなるっていう風にあの検診した先輩 からそうに聞いてましたただ私は60万円 貯めることできなかったんですがまあの のり子があの一生懸命働いてくれてで なんか本当 にであのこれあのこないだのあの1月の ですねあの新年地区当会の時になんか急に それを思い出してお話あのして歩いたん ですけれどもあの新学校卒業してこちらに 来た時にですねもうほとんどあのえ蓄が なかったんですあの結構僕本が好きなので のり子が貯めたの本買っちゃっ
たりそれであの何4月まで あのあのなんですかこう食いついだらどう にかなると4月になったらあのシが出 るっていうの聞いてたでところがあの本当 にそういうところ抜けてるんですけれども あの考えてみたら4月の1日にあの詐欺 いただけるわけじゃなくて25日なんです ねでのり子はえっと銀行なので15日10 日かで10日まで頑張ればいいっていう話 だあののりが考えてたんですけど私はそう のよく分からなくてあのあそうかと思って で最後の方はですねもう本当にお金が なくなってしまってそれでイースターが あったんですねでイースターの時はあの イースター特別献金っていうのをするわけ ですね私たちはで当時あの名前を書くわけ ですこう封筒にあってイースター特別献金 って白い封筒で下にこうちゃんとこう名前 ってなってで伝動士がイースタケしない まずいだろって話僕らこう話してですねで も捧げるお金がないんですよねっていうか その子供もいたしでどうしようかって2人 で考えてそうだあのラプラヤでラプラヤっ てパン屋さんありますねラプラヤにパンの 耳ただで置いてるとだからフラッと入って そしてあのなんかこうあのなんかパン買う 買おうと思うんだけども好きなパンが なかったっていう感じでですいませんこれ 分けていただけますかつってまもうさあの しょうがない場合もそうしようっていう ことであのそういう風に2人で決めてです ねであのそれであの献金したんです確か僕 5000円献金したんだとでもうほとんど なかったんだと思うんですけどもそしたら あのその9時の礼拝献金してで当時あの 高等家の教師を私たちしてたのであの古い 演者の向こう側でですねあの最初あの 集まってお祈りしてそれから別れるんです けどもそこにあの行ったんですそしたら あのあの後からですねあの宮崎校長先生が 松本先生松本先生ってこう呼んでくださん ね何ですかつったらこれって言われてで その白い封筒なんですよそれそれ渡されて でえ何ですかつったらこれあのあなたに あの献金ですっていう風に言われてえと 思っていやでもこういうあのこういうもの はあのなんか受け取れるていいかどうか ちょっと分からないのでっていうことだっ たんですけど受け取りなさいま宮崎先生 あのよく私を叱ってくださっ あの先生であの結婚のあの承認をして くださったんですねそれであのあのそれ 以来本当にあのまみんな宮崎先生優しいっ て言うんですが僕にとってとっても厳しい あの長老でよくあの叱られたり諭されたり
色々してくださったんですけども受け取っ ておきなさいって言われてあじゃあ ありがとうございますつってで私もこれお 金だなと思ってそれで神様早いなと思った んです けど見たらあの5万円 のり子はそんな頂いてないってんですが私 にとっては5万円ぐらいだったと思うん ですけれどもそれであの幽霊杯も献金する ことができてそしてそのシギのあのところ までどうにかあの支えられていや神様って いうのはこうやってね あのあの支えてくれるか大丈夫だて いうことはあの最初にですねあの経験させ ていただいて であの本当にあの皆さんに支えられて あのあのやってくることができまし たそんな感じ ですありがとうござい ますああとよろしくございますかねあ はい あ あのこちらの教会にお世話になって5年 56年になります市川と申します ありがとうございますえっと今お話伺って て801984年頃っていうのは実は僕は あの東京のえ港区の高協会これはあの本 キリスト教団の長老派の教会なんですねで 同じ長老派の教会ですからここのあの礼拝 に出た時にほとんど変わらないで進行告白 も一緒ですしそれでであとはまこちらの 教会にあの先輩が知っている先輩がいた もんいらしともんですからこちらの教会お 世話になったんですがその84年の頃って いうのはちょっと僕がのセキュラーの社に ちょうどいた頃で高協会にそんなに熱心に 通ってなかったんですねですからそのその 頃に教会で長老派の教会であの女性長老の 問題が出たっていうの実は全然知らなかっ たんですねで高教会に戻った時にはもう すでに高田協会は長老派あの女性の長老 いらしたもんですからあまり僕の中には そういうのがなぜそのどういう形で問題に なってそれがどういうところでま落としど ですねそういうところでもってあの女性の 長老の方をここの業界が あの受け入れたというか あの決心したっていうのはなその事情って いうか中身をちょっと無視あのさしえ なければ教えいただいたまあのこのえっと 70年始にですね結構あの詳しくあの書い たのんですけどもあの えっとカンバーランド長老協会は結構早い 時期にあの女性長老女性教職っての認めて いるいあの数少ないあの長老派の教会なん
ですねでただあの今でもあのやっぱりこの 聖書からあの女性のあの長老とか女性のも あの牧師を認めないって教会は結構あり ますであのあの口座協会もえっと教会とし てですねなかなかそれが受け入れられな いっていうまそのそういう今もそういう風 に考えてる教会の1つだったんですけど それはあの第一手とかまいくつかのその えっと女性が長老であること女性が長老に なること女性が教職になることをあの否定 しているように読めるあの聖書の箇所が いくつかあるんですでその代表的な聖書の 箇所があの第一手の箇所で例えばえっと 監督は1人の妻の夫でありって書いてある んですねということはあの夫である妻の夫 であるっていうことから男性でしょうと いうこととでその直前にあの えっとあのアダムとエヴァの関係でえ ちょっとそういうことを書いてある箇所が あるんですでそのアダムがあの先に作られ てエヴァが後から作られてでエヴは罪を 犯したっていうようなことが書かれててで その後え監督たるものは1人の妻の音であ りっていう風に2章にこう続いていくん ですねでそのその続くそのま前段のところ が結構みんな問題にしてこうやってその 創造の秩序の中であの監督は男性なんだっ ていう風にこう結びつけて語るパウロの 言葉を根拠にだからま女性は女性長老って いうのは基本的には認められない女性の 教職も認められないっていう風にま伝統的 に考えてきたところがあるんですねでそれ はどうなのかっていうことをあのまみんな で学んでそれで あの聖書的にも問題ないんだっていうこと を確認した後あじゃあ女性を あの女性の長老を選びましょうっていう風 に教会としてこう考えてたっていうところ があり ますま あのえっとこのインタビューの記事を見 ますと島先生はなんて言うのかなその元々 その女性長老にそんな強く反対してはいた んじゃないんだとただやっぱりそのその時 のいろんなこう状況あの私もその場に行っ てですねハラハラしながら後ろにいたん です当時私はやっぱり女性長老って認め られないっていうようなあの考えでいたん ですですよねそれであのえっとある方が手 をあげてその聖書的な根拠ってのしっかり してるんですかみたいなことをあの おっしゃったのを覚えていてやっぱり口座 協会本当にあのきちっと訓練されていたの で聖書は何と言ってるかっていうことを やっぱりみんながすごく気にするわけです
よねそれで多分そういうところ読んでいた 例えばあの女性はあの男性を教えてはいけ ないみたいな聖書の箇所があったりもし ますのでそういうことをどういう風に読ん でいるのかちょっとそういうこときちっと 確認した上で今回のことがなされてるん ですかっていうような反対じゃないんだ けれどもその辺はちゃんと抑えてます かっていうような発言がま出たりもしたり してたのでまそういうことをあの長老会で きちっと1つ1つやっていきましょうって いう風に形であの進んでいったかなという 風に思い ますあのこ結構ここに詳しくあの出てます また読んでいただけたらと思い ます はいありがとうございますあの先週えっと あの寺岡裕子さんがあの召されたんです けどもあのえ病院から帰ってくる時に2人 話したんですが当時あの町田さんがあの 寺岡さんにこうえサポートしてくれてあの 寺岡さんがその勉強会のインタビューって いうのをあのしてくれたんですよねで えっと寺岡さんがあの新党代表してで私が ちょっと調べたものであのそこでこうあの やり取りをしたのをあの思い出しましたで その時に寺子さんがあの本当にあの町さん があのサポートするからやりなさいって 言ってくれてあの自分はその役を引き受け たんだっていうことをおっしゃってたのを あのちょっと思い出したりなんかして千千 のし千の塩で2ヶ月ぐらい続けてあの写真 寺岡さんの写真もあの入ってると思います けどもまそんなことをちょっと こういうこと準備してきたこともあったの でちょっと思い出したりもしていまし たはいありがとうございますま時間大丈夫 ですかそうですねまあとお1人ぐらいもし あれでしたいらっしゃれ ばよろしいでしょう かあとZOOMの方ももしいらっしゃいば お1人ぐらい手あげボタンとか押して いただくと どりいらっしゃらないですかね はいえっと事前質問もちょっといただい てるんですがちょっとお時間の関係 ちょっと時間にですねちょっと固めてあの いきたいと思いますのでえよろしくお願い 申し上げ ますよろしいですか今日は会場から いっぱいいらしていただいたんであの会場 の方から色々お聞きしましたがよろしい でしょうかねはいはいじゃあのちょうど あのお時間えちょうどいい時間になりまし たのでえっと今日の道の駅は以上にしたい
と思います次回はですね3月の16日の 土曜日のあの16時から4時午後4時から ですね今度あの後半ということでえまた 松尾先生えご夫妻に語っていただきたいと 思いますでさっきあの先生が見せて いただいた本ですねこちらのはいはい こちらを今日と今日の話を聞いあるいはま 3月の話を聞いた後で読んでいただくと 非常にあのあの深くちょっと理解ができる とこがありますのでまあの見ていただけれ ばと思いますはいありがとうございます はいじゃあえ最後のじゃあお祈りをじゃあ えみさんみ様あはじゃあ柳沢さんじゃあお 願いいたし ますではお祈りさせていただき ます愛する父なる神様あなたの尊い皆を 褒めたえます今日こして道の駅で松本先生 ご夫妻がをあなたが導いてくださり口座 協会にえで奉仕をされた前半部分お聞き することができて本当に感謝をいたします 神様あなたが松本先生イエス様に従って いこうという思いを起こされ不思議な導き の中で口座協会カンバーランド長老協会の 口座協会に繋がりそしてまたえこの口座 協会の中で様々なことを経験されまた教会 を立てあげるまた私たち1人1人を木介さ れる大切な働き をご家族を通してご家族を支えながらまた 様々な集会また様々な方々との出会いの中 でなさってこられたことを伺いましたし あなたを心から褒めたえます私たちはこの 時代この時期にえそれぞれの方がまだ イエスあまだイエス様に出会っていなかっ たりイエス様に出会いまた松本先生を通し てまた松本先生があ訓練をしてくださり また教えてくださった方々を通して私たち はこのようにイエス様の体口会に繋がらせ ていただいていることを本当に感謝し あなたの皆を褒めたえます今日この場に来 られた方々またZOOMで参加された 方々それぞれ本当に懐かしい写真を見 ながらまた懐かしい思いまたあなたが願っ ておられることあなたが託されたことを 改めてもう一度思い返すれたことと思い ます神様松本先生がこの大切な37年間の 間に巻いてくださった種を私たちは次の 時代に次の世代にバトンタッチをしていき ますのでし どうぞそれぞれの方々また今まで奉仕をし てくださった先生ご夫妻をあなたが各別に 祝福してくださり私たちが見るべきものを 見上げ続けることができるように助けて ください今日え写真がなかなか見れなかっ たですけれどもそれぞれの方々が引退をし てくださりまたサポートしてくださりえし
てくださったこと感謝しますえこの回全体 を準備してくださってまた司会をして くださった中山兄弟またサポートして くださったそれぞれの兄弟姉妹本当に感謝 をいたしますえまた来月後半の部分を 伺えることをそのことを通してあなたが この37年間を導いてくださったことを もう1度私たちが思い返せその時期を心 から期待し感謝をしてこのお祈りを私たち の主全てに最善をなしてくださり私たちを 本当に大切な1人ですと言ってくださる主 イエスキリストの名によってお祈りします あンはいありがとうございますえっと ズームの方はあの正常でしたのであの録画 されてますのであのベッド録画を見て いただければでございますどもちょっと はいあのプロジェクター等の不で申し訳 ございませんでしたああの本日は以上で ございますはいありがとうございました ありがとうございまし たこの後あの闇鍋の会があの呼べるホール でありますのであのご参加の方はそちらへ 行っていただければと思いますはい ありがとうございました