【まるわかり】中尊寺金色堂(世界遺産): 藤原清衡と奥州藤原氏

【まるわかり】中尊寺金色堂(世界遺産): 藤原清衡と奥州藤原氏



平安時代後期に創建された岩手県の中尊寺金色堂は、東北地方最古の寺院として知られています。本動画では、その創建者である藤原清衡と奥州藤原氏の栄華を探ります。900年にわたる金色堂の歴史と、浄土教美術を代表するこの寺院の魅力をぜひご覧ください。

■目次
00:00 概要「中尊寺金色堂」
02:12 藤原清衡: 時代背景
05:58 前九年の役
10:43 後三年の役
13:37 奥州藤原氏誕生と中尊寺金色堂建立
16:30 奥州藤原氏の栄華: 清衡、基衡、秀衡、泰衡
24:23 中尊寺金色堂のその後
34:56 中尊寺金色堂の魅力
42:58 ミイラ
47:30 総括

-参考情報-
■【わかる美術トレンド】日本美術展覧会情報 2024年1月 | 橋本雅邦、鈴木松年、横山大観、本阿弥光悦、中尊寺金色堂、鳥文斎栄之、新版画、川瀬巴水、葛飾応為、浮世絵、竹内栖鳳、葛飾北斎、etc
https://youtu.be/p3qcohjZf_M?si=aZ62IffqPUWIwfD7

■岡倉天心 総まとめ BGM無し 約3時間 「近代日本画史上最重要人物」

■仏像の歴史 前編 飛鳥~平安時代 | 歴史好きの方や日本史の受験勉強、日本美術、仏教好きにも | 飛鳥仏、白鳳仏、天平仏、貞観仏、藤原仏 | 如来、菩薩、明王、天部

■仏像の歴史 後編 鎌倉~現代 | 歴史好きの方や日本史の受験勉強、日本美術、仏教好きにも | 運慶、快慶、康正 | 院派、円派、慶派 | 東大寺大仏、京都大仏

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#中尊寺金色堂 #藤原清衡 #奥州藤原氏
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かけ 熟塾はいどうも掛け熟塾君のですさあ今回 は中村寺混じ道についてお話させて いただきますということではい中村寺混じ 道岩手県平にある平安時代後期に混流され た仏教寺員になりましてあの平等院報道ま 修学校で絶対見に行くやつあれと並び症さ れるぐらいの極楽上土の世界観をめっちゃ 表してますようの建築がえこちらの中村時 混じ堂と言われておりますまそれはね混じ 道やからゴールデンテンプレやからねそれ もさかし極楽上土の世界表してる ありがたいもんなんでしょうというそう いうことなんですよ何をかそうねこちら 東北地方に現存してる最古の建築物とも 言われておりましてもうとにかく格式高い すごいのがこの中村寺混じ道になります そんな中村寺混じ道が2024年今年がね なんと混流900年を迎えるっていうこと でおめでとうございますということに今 大騒ぎ中の大騒ぎなんですよまずねあの その中村故混じ道にあるもうメインの仏像 11体っていうのがあるんですけどもそれ が初めて初めてえ中村寺混じ道から出まし てえ東京の東京国立博物館でえお広め返し ますよっていうのがもう間もなくスタート しますはい1月からスタートなんでねこれ はね先週僕も動画でご紹介させていただい た展覧会なんですけどもめちゃくちゃ 面白い見所たっぷりということなのであ これはええなていうまそを乾きりに他にも ねえその東京だけじゃなくて地元の中村寺 でも色々なイベントっていうのを1年間 かけてもうお祝いやからもうこれよきに 中村いっぱい知ってもらおうみたいな感じ でめちゃくちゃやってますよっていう状態 なんですよまそんな中でえちょっと中村寺 混じ堂の歴史900年もあるんやったら ちょっとどういう風な経緯でそういう立ち られて今に至るまで何があったのっていう のを調べてみたいなと思ってえ今回調べて まいりましたそれがねめちゃくちゃ 面白かったああなるほどなっていうこと たくさんあったので今回そちらをちょっと ご紹介させていただきたいなと思いますで えその歴史と共にえ見所ですねどういった ところがどなのとか面白い話っていうのも 合わせてねえご紹介させていただこうと 思いますので是非今回の動画最後までご覧 になっていただければなと思いますそれで は早速行ってみ ましょうはいそれでは早速進めていき ましょうまずね誰が混流したのかという ところなんですけども藤原の清平っって いう方が混流いたしました藤原の清平ま

これ諸説色々あるんですよこの藤原の清平 の前にも誰かがねこう立ててたのが元に なったんちゃうかとか色々言われたりは するんですけどもま一般的にはこの藤原の 清平が混流したと言われておりますはいで じゃなんで混流したのねなんか立てたかっ たちょっとね慣れ金趣味で立てたかったと かそういうことなそういうわけではない ですよちょ色々理由がありましてその理由 を紐解くためにはこの藤原の清平の障害が ちょっと関わってくるのでそちらを ちょっと見てみたいなと思いますはいえ 藤原の清平っていうのは1056年から 1128年までえ生きた方になりますだ 平安時代後期ぐらいですねでえその時代 背景っていうのがえ平安時代後期の東北 地方になります東北地方はいえその当時の 東北地方どうだったのかって言うとえ2つ の大きな国がございましたはいえ無の国 っていうのと出はの国っていうのが東北 地方大きく分かれておりましたはいえで 東北地方ってあの平安時代の前ぐらいには なかなかねあの長底にこう復習せかあっ たってあのエミとかなんか聞いたことない ですからね映像とかなんかあったじゃない ですかああいう風な感じでなかなかねわ んかったけどなんとかまあまあ従うように なったよぐらいの世界観時代感やと思って くださいでま出はの国とえ無の国があり ました一応底からあの役人的な人は来るん やけどもえそれは一応来るは来るけど地元 にはやっぱすごい豪族がいましたよって いう人が実質的には力を持ってたという風 なえ世界観でえこの東北地方があったん ですよでえじゃムの国を納めてたのは誰 ですかというムの国っていうのはえ福島県 と宮城県と岩手県と青森県と秋田県の一部 めっちゃでっかいねめっちゃでっかい ところをえ収めてたのが安倍市っていう 安倍一族安倍さんがま納めてましたよとで じゃあ出はの国はどうなのと言うとえ山形 県と秋田県これ2つの件だけですけど まあまあでかいのねここを収めてたのが 清原氏清原さんが収めてましたよという ことでこの2つの勢力がえ東北地方にあり ましたよとでえ藤原の清平っていうのは お父さんがねあのルーツは藤原県の方やっ たんですよ藤原県あの藤原県ねあの藤原の 道中とか今ねタガドラマとかでやってみ じゃないですかあの藤原家の方がでま 藤原家ってあのすごそうに見えるけど いっぱいおるのよ藤原家なんと藤原家の 最初藤原家って言うとあの中富のかたから 始まるわけねあの大下の開始の時になんか おったじゃないですか中富のかたあれがえ

藤原っていうせをもらってでその息子かな えフヒっていう人がおってえでそのフヒ から4つぐらいの家に分かれるんですよ なんかホッケとか南家とかなんかね色々 別れてそっからねあのもめちゃめちゃ増え てったのねめちゃめちゃ増えてった中のほ のLINEのえまそのね分家の分家の分家 の分家の文件みたいな感じの人がえなんか の仕事で多分東北に行ってそこに住む形に なったっていうのがえこのお父ちゃんやっ たわけなんですよ藤原県藤藤原県 めちゃめちゃ勇は正しいんやけどもま分岐 過ぎてちょっとどうなんていうちょっと 微妙なところの人がえお父ちゃんとしてい ましたよとでお母ちゃんはって言うとえ 安倍さんやったですね安倍一族のえま人 だったよっていうことでそことま結婚して えま生まれたのが清平っっていう形やった んですよねだからまお父さんも当然安倍 グループのま中枢的なえ人やったみたいな んですねうんだからまえ藤原清平一族ま このお父さんお母さんも含めて安倍さん グループやったんですよここまでまこ最初 の初期設定としてえじゃそっからどういう 風な時代展開があってえこのね平のえ中村 婚事とができたのかっていうとちょっとね 問題が起こったの問題がはいそれトップの 安倍さんがねちょっと色々やらかしたんよ やらかしたそれがえ全去年の駅といういう ま戦い活線長いのね9年間ぐらいある戦い なんですけどそれが起こったんですよこれ 何なのかって言うとあの当時ねな安倍さん めっちゃ力持っててなんでそんな力持って たのかって言とこの東北地方っていうのは 先が取れたのよ先金でで当時あの金って なかなか取れなかったよ日本でなかったの よでま平常況の時とか奈良の大仏とか作る 時とかも金がなくて海外から取入れようか とか買か高いけどとか言ってる時に東北 地方で金取れましたということでまか みたいな感じでわーって湧いたっていう ぐらいもう金が取れるってことはすごい ことやったのよていうので金持ってるから ね俺ら力持ってるからねていうことでえ 安倍さんとえその清原さんっていうのは 東北地方でめっちゃ力持ってたプラスえ馬 がええの取れたんよ馬群馬ねあのま馬て 群馬もそうやしあとまなんか祭り事とかに も使ったりするからねいい馬が取れ るっていうのはいい車があるよぐらいの そういう産地やったので力を持ってたのが 東北地方なのであのま一応調定には復習し てるはするんですよあの一応貢物を送り ますよっていうねあの候しますよっていう のが腹中の証やったんですけどこの安倍

さんがねいやもうちょっともうえんちゃう みたいなねあの調定から遠いし俺は力持っ てるし本気出したら調定とか全然やっつけ れんでみたいな金あるから金持ってるし 群馬おるからちょっともうあのちょっと サボったろ兆候サボったろもう貢もサボり ますわみたいな感じでちょっとボイコット したんですよんな調整がぶち切れてあのま 当然置きたを差し向けるわけなんですよで 仕置き隊で行ったのが現時やったわけなん ですよ現地ま現時の何がしていうま今そこ ちょっと置いときますけどま現時が行き ましたよよ友のえ先祖さんが行きました よっていうことなんですでえ行ったんです けどやっぱね安倍さん強かったねよ言う だけやってま結構ね行ったり来たりこう 押しモドみたいな感じで一心一体の部分も あるけどやっぱ安倍さん強くでこのまま じゃ現時やばいなっていうことでどう しようかっていうところでえこの現時が 取ったのが隣の国のではではの国の清原 さんちょっとヘルプを求めたんですよ ちょっと清原さんちょっとね僕こう自分 1人でやっつけれると思ったんですよ やっつけれてあのなんならその東北地方の 派遣をちょっと栄養にとったろかなと僕 思っとったんですけどちょっと無理なんで ごめんなさいちょっと1見たんであの清 助けてくださいこれも負けて書いたて言っ たらもう面目だ大変んのでとりあえず勝た なあかんので清原さん力貸してください よって言ったらま清原さんがま貸してくれ てでなんとかこの安倍さんを滅亡さしたと 滅ぼすことができましたよっていうこと やったんですよでその藤原の平のお父さん は安倍派の方やったので当然まやられ ちゃったわけねでま殺されちゃったんです けどもその殺され方がねあんまりいい殺さ れ方がじゃなかったらしいんですねあのま 山種首切られるらしいんですけどその普通 首切るってまあのねブスっと切ったらいい んですけどもわざとなんか錆びた刀か なんかで切ったらしいんですよ切るという ま軽やったらしいんですねなんでそんな ことすんのって言うと1発で切れた方がま その痛みがなくてスパッと切れてええや んっていうギロチン的なスパってもう 苦しまでえやんって言なんですけども錆び てるから1回で切れへんから何回もこ切っ てこうね痛みを味わしてやるぜみたいなえ 残忍な処刑の仕方やったらしいんですよで まそれはまあのね清平的にはすごい トラウマになったとなんでそんなことすん ねんみたいな感じででまあったんですけど もまお母さん的にはねでもなんとかこの子

自分も生きていかなあかんしそのこの子も 育てていかなあかんからなんとかお父さん 同よになったけども安倍さんもほんじゃっ たけど行きていかなかんていうことで取っ た行動っていうのがえ清原一族と再婚する という手段やったんですよこれはねまあ なかなか千原帰れまいろんなね戦国じゃ ないけどもなんかねあのまそういう時代の 生き方なったんでしょうねまお母さんはま その清原さんとこに突きました清原さんと 結構ええところの人その中枢的な清原一族 の中でもあの主権を持ってるよっていう ところにえ再婚したんですよ清原の武定 っていう方とえ再婚しましたよとであの この藤原の清平というのはま清原一族に なったのでま用紙のような感じで入る形に なったのでえ清原きえ清原清平になるわけ なんですよ言いにくいほねも調べてて1番 言いにくかった清原清平もう言いにくいな になったんすよもやめてって感じなんです けどもなりましたよとでまあまあ入って 良かったねで人段落したとでまあのま現時 はね残念ながら主権を取れなかったんで ちょっと1回お休みという形でえま休みに なっちゃうんですけどまた後で出てきます はい後で出てきますでえ藤原の清原はえ 清原の清平としてえ清原一族でこう まあまあなんとか入って清原一族がこの 東北地方の無の国と電話の国的なところを こうなんか牛耳るような形ですごい力に なったわけなんですよなったんですけども そこでねあのまたトラブルが起こるんです よはいそれが何なのかって言うと53年の 駅っていうのが起こりますややこしいね 全年の53年なその真ん中にあるのなん なんて感じなんですけどもま53年の駅 っていうのが起こりますそれが1083年 から1087年えこれは何なのかって言う と簡単に言うとえ清原一族の勢力争いの 内乱でございますはいえまあのその清原の 武だそのお母さんが嫁いたとこでほんまに すごいいいところやたも中枢的な人やから えそこにもねお母さんが再婚する前からの えま息子がおったわけなんですよ元から 息子っていうのがいたんですねそれがえ 清原の実平という元から息子がいましたよ とでえその清原の清平藤原の清平はえ言う たら後から入ってきたからよそから息子に なるわけなんですよ難しいけどえ前から 息子よそから息子でえお母さんとその酒さ の間にも後からね息子が生まれたんですよ これが後から息子ということでえ伊平と いうことで清原の伊平もう難しいひひひ ばっかやけどもえ元から息子の実平でよそ から息子の清平で後から息子の伊平がえま

一応後目相続的なもので当然喧嘩するわ ねっていうことで中めちゃくちゃ悪かった んですよんで当然まあのねこの勢力争いと かまね権力争いとかも含めて内乱が勃発し ましたよてバトルロワイヤル状態だった わけなんですよおらおらおらてやって結局 まそんな中なぜかね現時も参加してんです よあもやるみたいな感じでこの土作り紛れ て今度こそ東北の主権取ったるみたいな 感じで現時が来たんですけどもま色々あり まして最終的に生き残っためっちゃハブ ごけと最終的に生き残ったのがえこの清原 の清平やったんですよあのあ予測から息子 主人公が生き残りましたよとあ良かったね とんでえじゃ現時はどうなった外報中方の 主権取れたんて言うとあの取れなかったん すよはいしかもあの長底からするとこれは 清原一族の内乱やからえ何お前勝手によそ の揉め事に首つっこんでんねんしかもその 首つっこんでるせいでなんか本業めっちゃ おろさになってるからなんかあの普段の 調定に対するなんかねあの仕事がおろさに なってるぞみたいなちょっとなんか目つけ られるみたいな感じにもなってもう踏ん だり蹴ったりやったのがえこの現地さん やったわけなんですよただこの原人はね そう踏んだり蹴ったりの状況でなんでや ねん俺もせっかくなんかええとこないわて 言うところやったんですけど部下にはね 優しかったんですよ関東から引き連れて 部下でこうもね部下連れて行ってるわけな んですけど部下にはちゃんとねあの働いて くれたから施しせなあかんなていうことで 自腹すよ自腹自腹でちゃんと音象を与え たりとかしたっていうのをちゃんとし たっていうところがこのね後々の現時と 関東武士のなんか血の繋がりみたいなそう いうのも裏切りませんであん時のゴンと 方向でみたいな関係にえ繋がっていくと いうそういう風ななんかバックグラウンド の動きがあったっていうのを知ってるとね あそうなんやっていうのも分かるじゃない ですかていうのがあったらしいんですよで まあまああのま現時は置いといて結局その 清平一族のえ生き残りがえこの清原清平 主人公になったのでえま言うたらすごい力 を手に入れたわけなんですよもうあの ノミネートしてるやつが全員死んじゃった からあの自分が無の国と電話の国まこの 欧州2つ合わせて欧州って言うんですけど 欧州の国を統治するというすごいところに えたどり着いたわけなんですよあ来て しまったここまで来てしまったでま来て しまったからもうちょっとねもう清原一族 僕元々ちゃうし元々藤原一族やったから

お父さんの藤原県元々唯一を正しき藤原県 のあれやから藤原のキキラと名乗ります わっていうところからえ欧州藤原市が誕生 したっていう流れなんですよはいここで やっとあの藤原の清平に名前が変わります あよかったやっと言いやすくなったって 感じなですけどそうここで藤原の清平に なりましてでまあやっと自分の権力も手に 入れるようになったとすごい力も手に 入れるようになって先もいっぱいあるし何 でもやれることはある程度できるように なったけども自分の人生を振り返ってみる ともう戦いばっかやとねお父さんはすごい 殺され方をしたしでそので清原一族のも方 にも行ったけどもそこで内乱もありました よとでこの内乱でねこの藤原の清平って いうのはえ奥さんと息子を焼き打ちか なんかでなくしてるんですよていうのも あったりねでま色々ねま言うても血は 繋がってないにしてもあのま色々ねさあの こう殺したり切ったり殺したりとあった わけじゃないですかまあのあの下の家ひ後 から息子は一応血繋がってはいいのかや けどもまあまあ色々まあったりしたからま そういうのも含めてね仲間とかも死んでっ たからちょっとねもう争いをなくしたいて いう心境になったみたいなんですよねま このせっかく自分が当事することができる ような欧州を手に入れたんやったらこの 欧州という国はもうみんなに優しい争いの ない国にしたいそのためにはまず豊かに ならなければいけないしで来るものを拒ま ずみんなを受け入れれようなすごい広大な 力を持ってあの誰にもくさないすごい力を 持てるような世界にしたいっていうものも 含めてえまるで極楽上土の世界のように この王子を作り替えたいっていう願いを 込めてよしじゃあそんなすごいお寺を 建てようじゃないかっていうことで立て られたのがえ1124年中村時混じ堂やっ たわけなんですよこれこそ極楽上土の世界 じゃないですかこもう金でもう全部金で 作りましたよでで仏さんもいっぱいあって これがもう富の象徴映画の象徴やけども こういう世界観にみんな来れるよっていう のを象徴的に作っとけばこの欧州では争い は起こらないでしょでなんなら自分も 亡くなった時この極楽上土に行けるように 安田さんに助けてもらえるようにていう 願いも込めてえ立てられたっていうのがえ この中村寺混じ道やったんすよへえ なるほどねといろんなねその初代の藤原 清平の思いがこもったのがえ中村事故の 願いがあったわけなんですねでじゃそっ からどうなったのかっていうのを次見て

いきたいなと思います はい欧州藤原市の映画っていうことなん ですけどもえ初代がえ藤原の清平だっった んですけどこれがねま創立機としてえそっ から続きますはい2代目が藤原の元って いう方なんですけどもこの人もねやり手 やったんですよはいえなんだら創立の次に 成長さしたえその清平のやってきたこと 成長さしたのが元やったんですねで何を 成長さしたかというとまあの調定とはね うまいことやっとったんですよあの力関係 ま役人が来たりするのもま全然迎え入れ ますよと全然敵対してませんよとで釣行も しますよとあの貢ぎ物とかもしますよとで もちょっと貢ぎ物の量増やせやとかなんか ちょっとなんかちょっと持ってると思っ たら吹っかけできたりするからそういうの ちょっとそういうのできへんからちょちょ ちょ勘弁してもちょちょちょもうちょっと 減らしてやみたいな交渉能力もたけてまし たま武力あったからねちょっと本気出した ちょっと怖いからなお前らみたいなのも あったのかもしれんけどなんかまうまい ことバランスを取れてたんですよでえこの 欧州っていうのはま先が取れて馬がおっ てっていうのもあるんすけども貿易もね 結構できたんすよ貿易あのまえアイヌの方 からま北海道の方からえ越えてアジアの なんかすごい珍しいものとかを攻撃でこ 貿易を自分ですることができたんですよ 普通やったら京都とかを通さなあかんです けども上の方やから別に京都通さんでも 行けますよとでま新潟からねあのこっちの え中国とかの方にも行けますよということ で独自の貿易ルートを持ってたっていうの も強かっためっちゃ広くもこ富を蓄えてた わけなんですよただでさえ金取れでその金 がね外国では高く売れたのようんだから それも含めてどんどんどんどん拡大して いっったのが2代目で3代目はどうなの かって言とえ秀平になりますヒヒもう ヒラヒラヒラ大すぎやねって感じなんです けどもま秀平になりますこの秀平がねえ 一番成熟機やったんですよめちゃめちゃ 強かったあのもまもちろんね清平元も すごかったんですけども秀平が1番 すごかったと言っても過言ではないなぜか と言うとその初代2代目があの与えられ なかったえこう暗いあの長底からもらう 暗いとかなんかそういう役職とかをえこの ヒヒというのはもらえるぐらいのすんごい こう交渉とかもう色々やり手やった とにかくやり手やったのがこのヒヒでまも 何でも焼きますよということでもうすごい 力も持ってましたよでもでであの都子は

あの色々血生臭い戦い権力ガラスとか いっぱいあてねもうなんかあるじゃない ですかねいろんなななんとか事件とかなん とか事変とか起こってるのを予想にえこ 東北地方はほんまに争いがほとんどなかっ たのであの映画を極めてたわけなんですよ 争いがないからからもう燃えるもんもない からめちゃめちゃこう豊か豊かになってる から平安鏡に継ぐえ都なんだら傷つかない からもう一大精力独立国家みたいな感じに なってたのがあの欧州のえこう藤原市やっ たわけなんですよのえまこうハンドリング をしてたのがえ秀平ということでこの秀平 がねめちゃめちゃ絶頂やったんですけども この絶頂の時にねちょっと色々ドラマが あるんですよはいもうそれは平安時代の 終わりもう鎌倉に行こうかどうかと時の 時代の話なんですけどもあの鎌倉時代って なったら出てくるのはそうあの原平合戦 ですよね原平合戦あのえ平の清盛とかが こうめちゃ力つけてたけどもそれで逃した よ友が強兵してえ経やられましたよてあの 原平合生なんですけどもその義友の弟吉恒 がえもよ友が挙兵する前はクラマデラって いう京都の山に預けられとったんですけど もそっからえちょっとま色々親戚とかを 辿ったりとかしてえ欧州にちょっと行った んですですよあのかまってもらうかなんか 出血するよりかあのこの欧州でちょっとね 過ごしたいみたいな感じでここの独立国家 に行きたいみたいな夢の国みたいな感じ やったんですよ当時からすると本当に何の 力も頂点の力が及ばへんしなんかすごい やり手の人がおるぞみたいな感じやから パラダイスみたいなイメージそういうこと 極楽上土に行くぐらいの気持ちも含めて 吉恒っていうのはその挙兵する前に欧州 平泉に行ってえこの秀平のところで世話に なったんですよしかも結構長い何年間か いうの世話になってでえよ友があのま拒否 したぞとちゃん強兵して原平活線やる ぞっていうことでわあてやって るっていうのを聞きつけてさすいません 秀平さんちょっと僕ねここでちょっと一緒 に過ごしたいんですけどもやっぱ お兄ちゃんと一緒にあの戦ってあの兵士を 打ちたいんです言うてひひもわあ必ず戻っ てこうよみたいな感じで言うてあの清が 拒否してあのよりとと合流してで兵士を やっつけるわけなんですよで良かったね 良かったねっていうことやったんですけど もドラマはここで終わらなかったんですね 憲兵幹線っていうのはその吉のもうすごい 力をつけて人気物やったとかいうのも含め てよりとはちょっと気に入らんかったん

ですよでえなんか勝手に簡易をもらったと かいうのも含めてなんかいちゃもも含めて あのよつ討伐やみたいな感じで寄りと言っ ちゃったのよでよつ的にはえマジでみたい なそお兄ちゃんさっきまでなんかええよう に言うとったけどなんかいきなり敵扱いさ れたでみたいな感じでとりあえず逃げる しかないとでどこ逃げんねんっていうこと でも関東とか逃げとってもね寄り友のね 膝元やからあかんしどこ逃げようていう ことでもう良かったほんならもうここのね 平泉のあの秀平さんとこ行くしかないわて いうことでえ秀平のところに逃げ込んだと で秀平もどうしよっかなと思ったんですよ いやは可愛い可愛いしももこと 一緒にまなんかこともう構えてもいいんや けどもあでもより友とかうんあいつ今もう すごい飛ぶとり落水やからもうこれは全面 戦争しかない全面戦争しかないけどもあの うちのバカ息子どを大将に立ってても絶対 よりとには勝てへんからもうそれはやっぱ 大義名文も含めて吉さんを立てて相勝にし ておよりとも一戦かもうやるしかないわ もう軍事力あるからね17万期ぐらいの うち馬おるからでそれらを全部してこうし たらよりととも戦えるやろみたいな感じで もう秀平さんもやる気満々やったんすよだ よりともなかなかこう部活に手出せへん なっていうところやったんですけどもここ がね残念なドラマが起こるんすよはいそれ 何なのかって言うと秀平さんがね急に死ん じゃいますまじでて感じですけどそ死ん じゃったんですよあのま病気がなんかで急 になくなっちゃってでえ急遽4代目の安平 になるわけなんですねえこの安平君がね あの秀平さんの太鼓版の残念な息子やっ たっていうことでえまよ友からねこうなん から色々こう誘惑が来るわけなんですよ吉 の首出してくれたらそっちは別に何も なんか攻め込まへんつもりやねんけどな みたいな感じのこと言われて安平もどう しようて家族1人で決められへんから家族 会議みたいな感じであったらあのわ ちょっと吉の首差し出してこのね欧州の 自治権を持っとくだけでも全然ええから そうしたいねんけどみたいな感じで言う たら周りからはねあのそれ絶対罠やって よりとも絶対そんなに納得せんで絶対欧州 そのまま丸ガブって行くつもりやからやめ とけやめとけみたいな感じで言うたりすん ねんけども安平時にはもうわしは争いが 嫌いやから嫌やいうことでえ吉を攻めよつ 攻めろうっていうことになっちゃったのよ でよつ攻められて結局ま自害する形になっ ちゃったねでまこの安平的にはあのより

ともにあの首できましたあの取ってきまし たこれでなんとかびにしてください欧州の 事事権だけはくださいねって言ってたん ですけどもあの寄りと的にはここで前半の 布石が出てくるわけなですよ現時は元々 東北地方の主権を取りたかったんすよね あの全年の駅でもね2をなんで取れへん 清原に助けてもらったから取れへんかった しえ53年の駅ではあの頂Dayからお前 勝手にやっただけや言うてなんかなかもう 橋を外されれたみたいな感じになって取れ んかった先祖のせもう長年の希望をより とも的には島がチャンスやっていうことで そんな約束ペーンしていやいやいやいや お前ずっとかまってました言って言った けど遅かったからもうそんな聞きません いうな感じでえ安平諸と全部この欧州を 飲み込んでしまったえ藤原市っていうのは 滅亡してしまいましたよっていう悲しい ドラマなんですよここでえ欧州藤原市って いうのはえ滅亡する形になります はいはいここまでねえ欧州藤原市の英子 製水を見てきましたけどもその後中村自根 じ道はどうなったのかっていうのを見て いきたいなと思いますまそのよりとに攻め られたからと言って別に中村自じ堂燃えた とかそういうことはなくて一応残ってはい てであのよりともわすげえなここ欧州って やっぱすごいな言うてる言うてる以上に すごいぞみたいな感じで感動したとも言わ れておりますはいそんな感じでやってたん ですけどもやっぱりねあのその主がおらん ようになるとね荒れるんですよ後輩すると いうことでえしばらく後輩してたんです けどもえ1213年北条雅子の夢枕に藤原 秀平が現れてええ平泉寺院の修理を促した ことによりえ幕府は自動にその修理を命じ たとえあ鏡にえ記されてるっていう風な 記述がありますはい東鏡っていうのはえ その鎌倉時代になってえ初めてまとめた 武士が初めてまとめたえ記録歴史書みたい なもんなんですよまそこに書かれてるから ま神憑性あるねということであの法条マ大 先生のところにえ秀平子がおいちゃんと 直してくれやみたいな感じで夢枕にだった からあ分かりましたみたいな感じでこれは 不吉やからちゃんと直さなかみたいな感じ のえことがあったという風に言われており ますそのせいもあってか1288年幕府が 混じ道を修理して大道を設けたという風に 言われておりますはいえまままずあのコジ 道はちゃんと修理しましたよっていうのが 1288年で大い道って何なんて言うと それまではえコジ道っていうのはおそらく これ野ざらしやったんすよだもう

ゴールデンテンプルがそのまんまの状態で 出されてたまだ金角みたいなイメージなん かなもうそんだから雨風したらそれ後輩 するでしょうって感じなんですけどなんて たのあのせめてあのガード作ろうよっって いうそれが大い覆うからねあのあその側が ねあの守ってくれたら中のコジは痛まない でしょっていうその大戸を作ったのが 1288年とでその後どうなったのかと言 と1337年に中村時に大きな火災が発生 しますはいえこれがねめっちゃ多かったん ですけどもね中村寺混じ道っていう中村寺 っていろんなお道があるんですよ全部 合わせて存じなんですけどそのうちの混じ 堂がありましてえコジ堂はギリ政府やった んですよ燃えんかったんですけども他の 王道とかは結構燃えてやばい状態になり ましたよっていうのがえこの1337年ま ギリ政府やったよとでまそのねま燃え ちゃったからそれも復興せなあかんていう ことでま大変やったよの中村自体は大変 やってでその後どうなったのかって言と 1665年江戸時代になりましたよとん なら江戸時代になったらあの幕府の本山 マデラ制度っていうのがあってまそれぞれ 本山のすごいお手とえピラミッド式になっ てそれぞれに全部あの組み込まれますよっ ていう制度ができたんですよえこの中村 時時でもなんかの寺のマデラにせなあかん なっていうことでえなぜか江戸のカエジの マデラに組み込まれますえなんでって感じ でしょだから中村にもえあの江戸の寺の 末寺なんですかカエジ全く関係ないです けどねみたいな感じなんですけどもまま 一応組み込まれましたこのカエ寺っていう のは徳川県のボダ寺でもあったのでま1番 まパワーあったわけなんですよのところや からまあまあそれでももうええやろもう 中ソジもすごいけどもう別格扱いだよ見れ とくわみたいな感じでえなりましたよ マデラになりましたよっていうのがえこの 1665年になりますでえ1689年にえ 奥の細道の旅をしていた松尾場所がえ中村 寺に立ち寄りますはいでえそこで見たん ですけどもこん時えその松尾場所が残し てる資料からするとだいぶ後輩したみたい ですやっぱりねまなんだかんだ色々やって きましたけどやっぱ後輩はするんやなと いうことででね雨風もいっぱい2れてる からいくら多い動があるから言うてもま なかなかギギギギ言うたりま浸食したりと かね色々錆びたりとかなんかあって結構 ひどい状態やったみたいなんですよでえ 松尾場所が呼んだくっていうのがえさだの え振りのしてや光堂っていう歌をま残した

というわですこれどういうことかて言うと え何もかも口させてしまうさだもえこの 光道だけは振らなかったのだろうかコジの 道具が光輝いてることよっていうことで あのまサれてまあの何でも侵食するじゃ ないですか雨てま山西油も含めてね色々 からしたりするしなんかまねあの木の屋根 とかもなんかくらしたりするじゃないです かていうのがあるんですけどもこの中の 混じの銅だけはあの振り忘れたのかなと 振らんかったんかなま今でもこの輝きって いうのはえ残ってるよっていう風なえま歌 を歌ったという風に言われておりますだま あのそんなことないねまだいぶやっぱその コジ堂自体も傷んでたみたいなんですけど もそれじゃ歌にならへんからまこういう風 な歌を残したっていうのがまありますよと まこういう風なやっぱあれとったんやなっ ていうのが江戸時代になりますで次どう なったのかって言と1897年あの明治 時代になりましてえ重要文化財に指定され ますということであの明治時代になってえ ま日本美術とかそういうものをちゃんと国 がお金をかけてえ修理とか管理しなきゃ だめだよっていう発想がえ生まれたんです よそれは親外国人のアーネストフェノロサ とえ日本の思想家の岡倉天心っていうのが 2人三脚でそういうま法制日みたいなこと を海外ではそれが当たり前だからそれを 日本でも取り入れようねって言ってま色々 紛争したんです放流しとかいったりとかし てね色々そういう流れの中でこの中村時 混じ動これこそちゃんとしとかなあかん やろっていうことでえ重要文化財に指定さ れましたよとでま指定されたので国の予算 が降りてえそっからね明治時代以降え国々 の北上によるえスドの修理っていうのが 行われたと言われておりますあ良かったね とやっぱメンテナンスっていうのは定期的 にしとかなあかんねっていうことやったん ですよで次どうなったのかって言うとえ 1951年戦後ですね戦後え国宝に指定さ れましたよっていうことであ良かったねっ て感じなんですけどこれにはねあの舞台裏 がありましてえ1949年だから度2年前 に放流寺の近藤壁画っていうのが燃え ちゃったんすよあのなんか節松日野節松か なんかででその近藤壁画ってめ見めっちゃ 古かったの放流やからアカ時代とかその ぐらいのなんか壁がやからもう国方間違い なしいうすごいのがえ燃えてしまったこと を反省してちゃんとあの管理してなが ちゃんと法整備してちゃんとそのお金も 取って予算も取って修理もしたり管理もし たりっていうのちゃんと体型立ててやらな

あかんなっていう反省のきっかけになった のが1949年に起こりましたよとでえ 文化財保護法っていうのができてじゃ国法 っていうのを指定せなあかんなっていう ことでえ1951年に国法に指定されまし たよとま一発目にねあの指定されたという ことで良かったねとでまえそっからまお金 とかも予算とかも出るようになってじゃあ そろそろちゃんと修理セラあよねちょっと 今までこ色々言うてきましたけどいつ ちゃんと修理されたんちょっと怪しいから ちゃんとここら辺ちょっとリセットもう 本格的なもう最高級の修理しましょうって いうのが起こったのがえ1962年え ついにコジ道をばらしますはいえばらして 解体を修理しますもうすごいよねあの部分 的な立った状態の部分的なねあのパッチを 当てるみたいなそういう風な修理は今まで やってきたかもしれけど解体修理はこれが 初めてなんじゃないかないや分からへん けど僕の想像やけど英道時代とかさすがに そんなしたことないんちゃうかなていう ような感じなんですけどもまこれがついに 行われますよともう大々的に行われますよ ということでえ解体されますとでまず 1965年に鉄筋コンクリートで大い道が 作られますはいあの大いねあのあの バリケードバリケードまも側がですよ雨風 防ぐだから今まであった雨風防ぐやつが ささにちょっとボロボロになってたから それじゃなくてその側の方もうちゃんと 鉄筋コンクリートでしっかりしたやつにし ましょうねっていうことでえ作られます じゃ今までのあったやつはどうしたのって 言うとこれはこれであのちょっと移動させ られて元々あったところから移動して 100mぐらいかなえ移動して1964年 にえ一されましたとでえこれがこれでえ 重要文化財に指定されたまボロボロやった けどよう守ってきたなっていう古いのも 含めてえ重要文化財になったというまさか の大移動があの重要文化財になるという ことでま歴史って面白いなって感じなです けどなりましたとでえその時の調査では この大道っていうのは室町時代中期頃に 建てられたえま大道なんじゃないかという 風に言われてるのでということはえ鎌倉 時代に初めて大戸を立てたって1288年 に立てたって出てたのでそっから大道自体 は何回かやりかえたんかなっていうのが 分かってくれたそれはちょっと面白いなっ て感じなんですけどもまそういうのがあり ましたよとでえやっと1968年にえ混じ 道の修理が完了いたしましたよっていう ことでえまコンビてもうもう金箱とかも

多分張り直したりしたんやねあのボロボロ になってるちゃんと綺麗にしてもう今現在 の状態ももうめっちゃ綺麗な状態にえなり ましたよとで今現状どうなってるのかって 言うとまず大道がありまして外側から見る とねあの側の鉄筋コンクリートの大戸が ありましてで次ガラスケースがありまして でえ中村寺混じ機動がお道があるよって いう感じなんでその中村寺コジ機動自体が 美術品のような感じでショケースで見から 外から見るよっていう風な状態になって おりますはいこれがねなかなかあそうや僕 調べてみてあそうなんやていうの分かった んですけどだから僕らが中村寺混じ堂行っ たらあのていうかさよね中村寺混じ堂の 写真とか見るんですけどもあのその大戸 しか見えてないから全然こじちゃうやんて ずっと思ってたんですよそれはそういう ことなんですよずっと大戸を見てたわけね 僕はだからその大戸を履いてでガラス ケース越しにえそのおを見るという何十に もこう付けを食らった後見ることができ るっていう状態になってるとま例それ ぐらいしてでもねあの言うたらガラス ケースで中はあの湿度とか温度とかを調整 して空調とかも入れて調節してもかなり 綺麗な状態でえこの保存せるあかんよって いう風なそれぐらい重大なもうお宝や からっていことなと思いますよでまあの 現在に至るんですけども現在に至るのもね 部分的なメンテナンスってのは ちょこちょこ行われてるみたいなんですよ 最近もなんかえ部分的なメンテナですけど もそれは行われたっていうニュースがあっ たのでまそれも結構結構金かかるこのあの 混じ動やから何千まとか3000万それ ぐらいの予算感で確か修理したと思うそ バラすまではせでもそこところちゃんと メンテナンスしていかなかてま言うても金 かかんねんけどぱそれぐらいせともお宝や から900年のお宝やからね現存最高の 東北地現存最高のお宝やからそれそれ ぐらいせなあかんねっていう風な状態でえ 今見れるのがこの中村時道になり ますはいここまでねえ中村寺混じ道の歴史 っていうのをざっと見てきましたけども 見所っていうのもちょっとざっねご紹介 させていただきたいなと思いますまず最初 が こちらはいえカこじっていうことでま みんな金色だよとまそれそうでしょうコジ どやから金じゃなかったら嫌やろって感じ なんですけどもあの外側金っていうのはま まあまあまああるっちゃあるんですけども 中川も金っていうのはあんまないんすよて

いうのでこれカコ時期みんな金色だよって いうことでこれが珍しいということなん ですけどもこれはねほんまにすごいんです よ何がすごいかというとあの天井とかもね 金なんすよはい天井がねあのまこの天井の 作りもすごいんやけどねあの折り上げ天井 って言って普通の天井からバコってへこん でなんかえぐれくぼんでるような感じで そこにもあの甲子になってるあの甲子の 折り上げ天井って言うんですけどももう この甲子にも木に張っててもうすごいね もう立体的な菌がめちゃめちゃ出てるので あの何辛ペタって貼っただけじゃなくて 立体的に全部金張ってるよっていうこの 天井がすごいのねこれこれはすごいなって 感じなんですけどもこれが見所だよという これはもうあのまそのガラスケース越しで も見たらすごいなと思えるんじゃないかな と思うけどもまこれがすごいところだよと で次の魅力っていうのが こちらはいラデンザイクなどの工芸って いうことであの金がすごいのはまま有名な んですけども金以外の工芸っていうのも すごいんですよめちゃめちゃ細かい工芸的 な細布がめちゃくちゃあるんですよその1 つがラデンっていうものなんですよラデ ラデンって何なんですかって言うとま簡単 うと貝殻なんすよ貝殻貝殻のなんか貝殻 ってなんかこうねあのちょっと光当てた なんか虹色に光ったりするじゃないですか 綺麗かったりするじゃないですかああいう のを工芸的になんか色々最高してえこう いうのにめちゃめちゃはめ込んでるわけな んですよ見てくださいこれこれあの仏像を 置いてる段を趣味弾って言うんですけど 趣味弾のこの手すりのところとかもう めちゃくちゃラデンの細かいのでこよ こんなしてるなっていうぐめちゃくちゃ 作ってんですよで柱も見てください柱柱に このラデがめちゃくちゃちゃ配置されて ますよもこの金ピカこのラデンがね アクセントとしてめちゃくちゃええように なってんちゃうかなと思っですよ金は すごいもちろんもうインプットされてる けどそれ以上にこのラデンがなんかこう アクセントとしてめっちゃ強弱強弱強弱 みたいな感じでうわーってこうおごそか感 でこの多分なんか湿芸的なやつからうるし も塗ってんちゃうかなと思うけどこの コントラストこもうすごいなもこれ一体的 にもうすごい超豪華もうなんか金をさらに 倍化さして感じ取れるよっっていう風な 最高してっていうのがねこのコジ堂の魅力 かなと思いますでこ趣味団のねあの下の方 にねあの鳥がおるじゃないですかこれ金の

鳥これくじなんですけどこれもねなんか あのどういう風にしてるかようわかんない ですけどなんか立体的にべこってこう出 てるんですよ出てなんか羽とかを刻んで こうね削り削ってんのかどうかわからない けどなんか立体的にとりあえずしてんすよ ていうのももうすごいどなになってんねん ていうの本当に税の限りもう映画をも極め しもの立てたジどうやなみたいな感じを 感じ取れるというから本当にすごいのが こちらのえコジ道になりますでもう1つの 魅力っていうのが こちらはいえ11体の仏像かる3セットっ ていうことでえ仏像もね美力的なんですよ この趣味弾仏像断っていうのがえコジ道の 中には3つありますえ真ん中中央がメイン なやつでえここに11体の仏山仏像があり ますよこれがえ今年のえ1月にえ東京国立 博物館にえ貸し出されてえお広めします ようの仏像になりますそれ以外にもえ左と 右に向かってね左と右に11体11体合計 33体のえ仏像があるということでもう すんごい豪華なえまこ仏像群があるわけな んですよでその仏像のねフォーメーション もなかなか面白いですよフォーメーション はい11体どういう内訳かていうとままず え本尊あさんなんですよ極楽状態やからね あ如来がおりますよとであ三尊物っていう のがいいて安田さんにお友達2人手下た 2人をつけるってしたら必ずこの2人が つきますよていう必ずお決まりのえ仏さん がいるんですよ精子菩薩と観音菩薩がえ 置かれてますよもうこれ絶対決まりなんね あのま言うたらミと校門で言うとスケさん かさんみたいなえルパンで言うと次元 五衛門みたいな必ずこの2人がいますよっ ていうのがえ必ずその3段全部にはえい ますよとあた三ゾ物でえ次がえ地蔵さんお 地蔵さん地蔵菩薩がえ6体います多くねっ て思いますけどいやま6体なそんなんで そんなといやもうちょっと他のやつ置いて えちゃと思うんですけどもえ色々調べてみ たらこの6体自蔵を置くのにも意味がある みたいなんですよへえそうなんやてなんで かって言うとあの仏教ではえお釈迦さんが 悟をま開いて仏になりましたよねそっから 次仏になる人が出てくるまでにはえ次次出 てくる次仏開く人も決まってんですよそれ がえ弥勒菩薩っていう人なんですねあま仏 さんなんですねがえ仏になる釈迦の次にえ 悟を開きますよって言われてるんですけど その期間がねめちゃくちゃ長いのよはい はい何年やと思います10年20年とかの 話じゃなくてなんとね56億7000万年 後って言われてんですよ長すぎやというか

仏教でそんな先の言葉で考えてたんて感じ なんですけどもそうなんです56億 7000万年後にえ弥勒菩薩がえ仏になる ということでじゃその間誰も仏おらへん やんけっていうのがちょっとまずいなって いうことで分かりましたじゃそれを助ける あの仏さんっていうのをえ配置しますって いうことで自蔵菩薩がえ配置されたんです よでなんで6体なのって言うとえ仏教の中 ではこの世っていうのはえ6つの世界に 分かれますよって言わに考えられてますえ 天道人間道修道地象道ガキ道地獄道かこの あ地獄そう6つの世界があってそれぞれ6 つの世界にえ救ってくれる仏さんいるよ ねっていうことでえ6体じゃ地蔵さん自蔵 菩薩を入れますよていうことで6体自蔵 っていうのがえあるんですよよく飾られる んですねということでえ6体地蔵あ なるほどそのフォーメーションの6体地蔵 なんかっていうのがえま展示されてますよ とでその前にえ2体のえ仏像が置かれて ますこれが天部という種類の仏像になり ますね天部え仏像っていうのは4種類に 分かれるんですよえまずニラていう悟った 人のことを如来と言いますま人って言っ たらあれやけど悟ったのを如来と言います 悟って仏になったの如来で修行中まだ悟れ てないけど修行中なのが菩薩っていう種類 なんですねでもう1つが怒ってる人え明王 さん不動明王とかああいう明王っていうの が3つ目になりますでそれ以外を天部って いうお助け部隊を天部と言いますで大体 この如来菩薩妙て大体なんとか如来とか なんとか菩薩とかなんとか妙っていうので 分かるんですけどもそれ以外なんてななん とか点とかねなんか言うなんかなんかよう わからんなっていうのは大体天部に入りま て僕仏像の歴史の時に言うたんですけども まそういうことでえ天部というお助け部隊 がえこの2体え作られて置かれております それがえ増長点と時国店っていう天部がえ 分かれてますこれがねまた味そで面白いん ですよなんでかって言うとあのめっちゃ 動きがすごいんですよこんななってたり こんななってたりてめちゃめちゃ躍動感 溢れるえ仏像なんですねでこの平安時代 後期の仏像のあの主流っていうのは 大人しい感じなだらかな曲線で大人しい 極楽上道みたいな感じのもんが普通やった んですけどもで鎌倉時代になったらその 運気とか会計とかいう京波とかっていうの が動きのあるめちゃめちゃ躍動感の掘の 深いあの射術的な動きのやつがめっちゃ 主流になっていくんですけどもえそんな 先取りをちょっとしてるような仏像がここ

でもうね平で出てるできてるっていうのが なかなか面白いやっぱさすが税の限りを 尽くしたんだだけやってねそのなんかな なんて言うのその流行とかも書き取りして 仏像の流行は今後はこういう風なのが来る ぜっていうのをここにぶち込んだんかなっ て考えたらめちゃくちゃ面白いなっていう のも見所になるのでまこの11体セット下 3あだからえ右段と左段にもありますよっ ていうのがね見所になりますのでこれは なかなか豪華な物造群っていうのを見とで 面白いんじゃないかなというところなん です よ はいで最後にねちょっとお伝えしたいのが ミイラっていうことでなんなんミイラて あのミイラそうあのミイラなんですよこれ どういうことかて言うとあの実はねこの 中村自根食道の趣味団仏像とか置かれてる 趣味団にはあのミイラがいますえそうなん ですそうそう知なかったらびっくりするか もしれないそうなんですよおるんすよで誰 のミイラなんてそそんじそこらのミイラ じゃなくてなんとね初代や清平え2代目元 3代目秀平のミイラがアチされてるんです よえそうそうマジで都市伝説みたいな感じ そうほんまにそうなんですよででこれ実際 調査が行われたことがありますはいえ前昔 から言われてはいたけど誰もそんな開け たくないじゃないですかちょっと怖いしや ないんですけどもちょっと学術的にも含め てちょっとちょっとちゃんとした調査せな あかんなっていうことでえ1950年昭和 25年に近事道趣味団に800年もの間 安置されていた藤原4代の遺体に対する 学術調査が行われましたはいで実際出てき てでえ最初は3体の遺体があったんですね あの向かって中央団1番メインところに あの初代の清平が言ましたよとでえう段右 段右段まだから向かって左あのこの宇って いうのはえあ如来から見て右だから我々か したら向かって左になるんけどこっちには 2代目の元がいましたよとでこっちの左段 差段って言うんだかな左の趣段にはえ向っ て右の方ねには3台目の平プラスえ4代目 も一応痛よったあの残念な安平君のあの 安平君は痛いじゃなくてあの首だけやった らしいんですよ首だけやけどそこにあの ありましたよっていうことでえこれが 見つかったとんであの色々調査したら 間違いないそうそ間違いないあの藤原市の ものやということが分かったんですよで もう1回ねあの代々的な調査っていうのも 行われたんですよまあの色々ねあの研究の その何あの技術とかも高まってDNA研究

とかも色々できるようになったからかなん か分かんないけどもえ1994年にも行わ れましたよっていうことでこっからね かなりのことが分かったらしいんですよ はい例えばあのねこのちあの藤原市はどう いう風なえ体系やったのかとかなんか病気 してなくなったのかなとかあの阪神付随 やったんかなとかねそんなん分かったり なんかちょっと中肉中勢やったんかなとか もそそんなん分かったりとかあの血液方 こうやったんかなとか分かったると元々は この東北に住んでた人ではなくて京都から 来た人の地の骨格だねとかなんかそんなん が色々わかったらしいんですよすごいな ほんまやりたい放題で調べたい放題まさか 調べられると清平とか思ってなかった でしょうけどもえまそういう風に調べられ てまいろんなことが分かりましたよとんで あのこれ面白いなっていうのはなんで ミイラにしたのかっていうところですよね あのまあの色々今までもそのいろんな ところでねミイラがミラというかま遺体を アチしてるみたいなあの都市伝説的な 言い伝えはあるけど本ガチであったのは ここだけと言われてるのでなんでなんか なって言うとやっぱこの東北地方この欧州 っていうのは独自の文化が育ってたんか なっていうのの1つのエビデンスじゃない かなと思いますねま元々あのえエミシとか エミシ映像か映像って言われてたしあのま 上の方にったらアンじゃないですかで独立 国家みたいな感じでしたしあのま各国と 自分独自で交流攻撃とかもしてたので入っ てくる文化っていうのがその日本が普通に 入ってくるた検討とかからあの入ってくる 京都とかの都の文化ではなくてダイレクト に中国とかそういう北方からのえ文化とか も入ってきてたりしていろんな考え方が あったからえこう独自のねあの文化って いうのがねいてたんじゃないかなとの中で えこのミイラというのはま仏教的な感覚で 言うとまななんだろうなそのライセ行く時 のなんかボディが必要やからとかそういう 考え方なんかわかんないしあのま分からん よ宗教的な考え方から分からんけどなんか そういう風なのも相まってミイラとして4 体ちゃんとまあのま安平はちょっと置い といて3体ちゃんと残しとくってこれは ちゃんとなんかの意図があってやろうとし てたという風なことやからねこれは なかなかちょっとこういう研究もっと もっと深ぼっていったら面白いんちゃうか なっていうミステリーやけどロマンという か面白いところやなと思いますねでまこの ミーラも自然的にミイラになったのか人工

的にミイラになったのかっていうのもねま まだどっちかどうやっていうのははっきり とは言いきれないみたいな感じらしいので ねそこら辺もね今後の研究で解明されて いったらめちゃめちゃ面白いなっていうの がえこちらのミイラのお話になります はいはいいかがだったでしょうか今回は 中村寺コジ道についてご紹介させて いただきましたま歴史だけでもねさすが 900年っていうだけあっていろんな文化 的なものとかねえそういたものが紐もつい てめちゃめちゃボリュームでしたけども これらを分かった上でえ中村食道 ゴールデンテンプルやえ中の仏像を見て いただいたらさらにね味わい深く楽しめる んじゃないかなと思いますので今回の動画 良かったな面白かったなと思われる方是非 チャンネル登録いいねボタンなんか コメント書いていただけると非常に やりがいにつながりますので何とぞ よろしくお願いいたしますそれでは今回も どもありがとうございましたお疲れ様でし た掛軸塾では日本美術を学べる 授業日本美術に関する最新 ニュース春の美術展覧会 情報展覧会などの美術 レポ交流を楽しめる生配信など術を 楽しめるコンテンツが沢 さん是非チャンネル登録して最新情報をお 見逃しなくどうぞよろしくお願いいたし ます

7 comments
  1. 今週もありがとうございます。
    建築は好きですが歴史は苦手でしたがそれぞれの物語があって面白かったです。
    名前を覚えないと関係がややこしそうですが、これを機会に頑張って勉強したいと思います。
    ミイラの3人は亡くなった年がバラバラなので、昔からそういう風習があったのか?興味深いです。

    先日、野暮用で東京に日帰りで行った際、三井記念美術館の「雪松図屏風」だけ、かろうじて見ることができました。
    雪の部分は彩色していないとのことですが、200年以上前のものが劣化もしないで
    綺麗な白を保っているのが不思議であり、私にはほわほわの雪に見えてメッチャよかったです!
    アンミカさんは「白って200色あんねん」と言っていましたが、一旦疑うのはやめとこと思いました。
    掛軸もそうですが、下地の糊とかは変色やカビたりして作品を汚したりはしないのでしょうか?

  2. 塾長、日本史の授業を聞いているようです。昨年コロナ下、遠路はるばる平泉に行きました。平泉は東北地方の交通の要衝なんですね。中尊寺や毛越寺など奥州藤原氏の栄華の跡を感じてきました。松尾芭蕉も奥の細道で訪れてます。
    来週東京に行くので、ご紹介いただいた美術展をいくつか観て周ります。トーハクは本阿弥光悦と中尊寺も行く予定です。掛軸塾動画のおかげでばっちり予習できました。ありがとうございます😊

  3. 一部の徳川将軍の遺体は増上寺に安置されていて、戦後に行われた改葬の際に調査が行われました。

    京都の高台寺には秀吉の妻のねねの遺体が安置されているそうです。この方に関しては故人を尊重して一度も調査は行われてないみたいです。

  4. 楽しい動画でした😆
    修学旅行でツアーで金色堂は2回行っているのにその時説明も聴いてるはずなのに忘れていてガラス張りの金色堂だけが頭に残ってました😂💦
    なので今回、歴史をさかのぼりどういう想いで建立したのかまで知って、仏像33体の迫力、金色の天井に螺鈿細工等の絢爛豪華さをなるほどと理解できました。囲いのことや政子さんの夢枕のおかげて修復開始されたこと等、それはそれは大きな物語ですね。本格的な修復をできるようになったのはつい最近の事だったとは。知識を得ることのありがたさを痛感しました。
    素敵な動画をありがとうございました。塾長の滑らかでユーモアのある解説はすとんと入ってきます。これからも楽しみにしていますね😃❤

  5. 今回も素晴らしい動画ありがとうございます。一流の歴史の授業を聞いているような爽やかでわかりやすい内容でした。有名なのに、中尊寺の話ってなんとなくすっと出てきにくい感じだったので、大変勉強になりました。

  6. 2016年7月東北旅行で
    「中尊寺金色堂」
    見学しました。
    当時は歴史の知識も無く観光でしたので今回の動画を拝聴して大変興味深く感動しまた😂
    有り難う🙇‍♀

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