本日当たられた御言葉の本文をごご一緒に お読みし ます本日当たられた御言葉はエフェソの真 との手紙5章の23節前半になり ます短い箇所なので皆さんと一緒にごあお 読みし ましょうせーのキリストが教会の頭であり あンこの本部を持って教会の頭は誰ですか というタイトルで堀金牧がメッセージされ ますおはようございますおはようまた明け ましておめでとうござい ますえ今日は2024年始まってえ最初の 礼拝になります愛する兄弟姉妹の新しい年 に主の祝福と恵みが豊かに注がれることを お祈りいたし ますえ皆さんもご存のようにまた先ほどの お祈りにもあったようにえ今年は元旦から え野半島で大きな地震がありまたその関係 で羽田空港でも大きなえ火災があってま とても驚かされたえ新年の始まりであり まし た現地では今も救援活動が行われています また被災した方々の疲労もえ溜まっている ようでえ避難所で感染症などが発生して いるとい ますえ亡くなられた方々のご遺族に慰めが あるようにまた今も救援を待っておられる 方たちが速やかに助け出されるように そして被災されて不安と困難の中で過ごし ておられる方々に平安が与えられるように 祈っていきたい ですえ私たちの教団の教会もその地域に ありましてえ金沢協会新潟協会糸山協会の 先生たち生徒さんたちのを心配して くださってえ連絡をくださった方々 ありがとうございます先生方も生徒さんも 現在のところご無事でえいらっしゃるよう ですえまた昨日ですねえ金沢協会の実方 先生から連絡がありましたが石川県内の 教会やキリスト教団体が集まってえ震災 支援のチームを立ち上げたそうですえその チームで検討されたことをいくつかご参考 までにお明しますとえ現在のところ使え ない道路がえたくさんあってえ物を運ぶ ことにま困難が生じているようですえそれ で教会ごと送られた物資がえ溜まっていく 一方なのでま一旦受け入れをストップする 方向で検討されているよう ですまたボランティアもま今受付ができる 状況ではないようなのでま受け入れ体制が 整い次第連絡をくださるという風にあり ましたえ最後に支援金に関してはは口座を 設けて連絡をくださるそうですえこの チームが主にあってえ尊く用いられていく ように皆さんも覚えてお祈りお願いいたし
ますえまたですね今週のえ特別集会のお 知らせをさせていただきたいと思いますえ 土曜日に福島県岩木市からえ佐藤明先生が いらして特別講演会が行われますえ 東日本大震災の体験談とまそこに注がれた ま奇跡のような神様の恵みについて証しを してくださいます翌日の就実にはま礼拝 説教その後にま地域選挙セミナーもして くださいますえ主が与えてくださったこの 特別な機会を私も心からえ期待いた期待し てますえ皆さんもどうぞ振ってご参加 くださいえさて今日の新年礼拝においては 2024年の主題政府を共に分かち合って いきたいですエフェソの信徒の手紙5章 23の前半部分えもう1度ご一緒にお読み し ましょう5章23の前半部分せいの キリストが教会の頭であり アーメン私たちの教会はこの新しい1年え この政府を主題政府として掲げて歩んで まいりますえですから年始のこの礼拝に おいてえこの御言葉の恵みをお分かちして 共に思いを巡らせてこの御言葉が言わんと していることをえ心に刻んでこの1年を スタートさせていきたい ですこの手紙を書き送ったのは首パウロ ですでパウロが信仰共同体このエフェソの 信仰共同体に手紙を書き送ったま1番の 目的というのは ま教会とは何かっていうことを教えるため だったと言われていますまエフェソの信徒 の手紙っていうのは教会について教える 手紙だっていう風に言われているんです ねもちろん他の手紙でもパウロは教会とは 何かについてえ語っていますけれどもま 手紙ごと少しずつ内容が違ってい ますえこれは内容が矛盾している意味で 違っていることではなくま教会ごとに特徴 が特徴だったり抱えている問題だったりに ま違いがありますのでパウロはそれぞれに 応じて最も必要なアドバイスま教えを書き 送ったということになり ますではエフェソにある教会の特徴って何 だったんでしょうかえそれはこの教会が多 民族教会だったということですエフェソ 教会は多民族教会でありましたえそれが 分かるのが首現行力のある箇所ですえ人の 首元登録の19章10節をご一緒におみし たい です首元登録19章10節ですせーのこの ようなことが2年も続いたのでアジア州に 住むものはユダヤ人であれギリシャ人で あれ誰もが主の言葉を聞くことになった メン ま御言葉にまこのアジア州っていうのが
この首元録19章10節ではエフェソの こと言ってますけれどもユダヤ人であれ ギリシア人であれってあえて書いてや るっていうことはこの地域っていうのは このま2種類の民族がいたっていうことを 表してい ますえパウロは伝動旅行の際にエフェソ今 というトルコですねそこを訪れて約2年と 数ヶ月滞在してえ選挙の働きしますえその ことを通してエフェソでは福音が広がり 多くの方たちが救われていきまし たエフェソという土地の特徴先ほども言い ましたけどもまアジア州に位置する場所 だったということでユダヤ地域とローマ ローマの中間辺りにあるわけなんですね なのでユダヤ人もいるしギリシャ人もいる そういう場所でありまし たえ加えてエフェソっていうのはアジア州 最大の都市だったんですねで当時世界の3 大図書館って言われるものがありました けれどもその1つがエフェソにあったと 言われていますま言われているっていうか 遺跡もちゃんと今残っているんですねなの でまエフェソっていう街がどれぐらい栄え ててどれぐらい文化の中心地だったか政治 商業の中心地だったかっていうのがわかり ますたくさんのユダヤ人とたくさんの ギリシャ人が一緒に住んでた町それが エフェソでありまし たまその町で福音が伝えられて救われる 方たちが起こされていき教会が生まれて いくであるならばそのエフェソにある教会 っていう教会には信仰共同体にはどんな人 たちが集うのかえそれがまおのずと分かっ てきますよねえこのエフェソっていうま町 にあった教会にはユダヤ人もいるし ギリシャ人もいるねそういう教会だったて いうことです1つの群にユダヤ人 ギリシャ人っていうのが一緒にいるそう いう教会だったていうことになり ますでそこでパウロがこのエフェソに手紙 を書き送る必要性が生じまし たというのもユダヤ人とギリシャ人って いうのは仲が悪いわけなんですねま正確に 言いますとユダヤ人っていうのは伝統的に 他の民族とは交わらない他の民族と交わる ことをま極端に嫌うそうそういう民族で ありまし たでもですね様を信じたユダヤ人たちは 本当でしたらまそういう古い考えを捨てて 他の民族と交わると汚れるみたいなそう いう古い考えを捨ててね1つの教会で 仲良くしていけばま良かったんです ね互いに愛し合って使い合う共同体を 気づくことに心を傾けていかなくてはなり
ませんでしたけれどまそれができなかった とということ ですまま彼らもまだまだ工事中の クリスチャンでありますからやっぱどうし てもですね昔の価値観昔の考え方っていう のが出てきる出てくるわけですえそんな 理由でエフェソ教会っていうのはま1つの 群にユダヤ人がいてまたギリシャ人がいて ま何かにつけてま争っていたバチバチやっ ていたっていうそういう状況だだたよう ですでパウロはですねエフェソでの選挙の 働きを終えてまその後右曲折がありまして え当時はローマでえ牢屋の中にいたって いう風に言われてい ますでそのロの中でですねエフェソ教会の 事情について聞きましたえそしてこれは 自分が手紙を書き送って教えなくてはなら ないということでこのエフェソ新との手紙 を書き送るようになりまし たパウロは語りました教会の頭はキリスト だよ と教会の教会はキリストの体なんだよと1 つの体ですよ と私たちは同じ神の住民でしょうユダヤ人 とかギリシャ人とかそういうこと言って ないでお互い神の家族として愛し合って 使いあっていきましょう とみんなでイエス様を見上げて互いに手を 取り合って1つの体として結び合いれて 教会を立てあげていきましょうとこの エフェソの手紙で語ってい ますえそのようにパウロはエフェソ教会に 兄弟姉妹たちにこの手紙を書き送りました 教会とは一体何なのか そしてそこに集うクリスチャンはどういう 生き方をする必要があるのかということを 書き送ったわけ ですえ皆さん教会とは一体何なんでしょう か一体どんな集まりなんでしょう か何をする集まりなんでしょうかえこれ からはパウロの語ったこのエフェソシトの 手紙で語ったことを元にしながらえ会とは 一体何なのかっていうことを3つの ポイントに分けてお明していき ますまず1つ目でありますけれども礼拝 説教の本文にもしましたがエフェソの1章 23節の前半部分えもう1度一緒にお読み したい ですエフェソの真というの手紙の5章23 節の前半部分せーのキリストが教会の頭で ありメン え教会の頭はキリストなんです教会の頭は イエス様イエスキリストなん ですこれは教会っていう集まりを考える上 でま立上げていく上で本当に大事な心理で
あり ますこの世の中にはいろんな集まりがあり ますよねいろんな団体があっていろんな 組織がありますそしてその団体にま頭 みたいな立位の人がいるんですよ ね会社だったら社長さんのような方 でしょうかまた学校だったら校長さんの ような方がま頭っていう立位にいるかなと 思い ます頭っていう存在がその集まりに与える 影響って本当に大きい です例えば社長が変わりますとがガラっと 変わったりし ますその社長さんの個性っていうのが会社 に反映されるっていうことなんです ね集まりにおいて頭って言われる立場に ある人たちはその集まりの アイデンティティを決めてビジョンを決め て方向性を決め ますえそして決めたことが実現するように 他のメンバーと一緒に働いていくんです ねでは教会の頭は一体誰なんでしょうか 教会も集まり1つの集まりなんですこの 集まりの頭は誰なの かその答えをパウロは提示したん です教会の頭はキリストだよ と教会の頭はイエスキリストだよって パウロが語ったんです ね教会の頭はキリストまこれは何度言って も言い足りないぐらいとっても大事な心理 であり ます教会に集う人たち全てがこの心理を胸 に刻んで教会を立上げていく必要があり ます教会の頭はキリストですから教会って いうのはイエス様の価値観それで歩まなく てはいけませ ん神の国の価値観によって歩む集まりが 教会という集まりでなくてはなりませ ん物事を判断したり選択する基準がイエス 様の基準でなければなりませ ん教会っていうのはイエス様の品性人格を 表す 集まりになっていかなくてはならないん ですでもですね難しいんです実際 は私たちは目に見えるものにとっても縛ら れてしまう存在ですよ ねエフェソ教会もそうだったん でしょう立てられている人間のリーダーに 目がいってしまっ て目が意識が言ってしまっていた だからパウロが語る必要に迫られたん です教会の頭はイエスキリストだ とこの目に見えるリーダーは頭ではない誠 のかしらはキリストだっていうことなん です
ね私たちの教会は昨年担任牧師の本先生が 辞任をされましたですから一般的な考え方 からすると頭っていうポジションが空いた 状態になったわけですでも違い ますそうじゃありません人は教会っていう 集まりの誠の頭にはなれませ ん教会の誠の頭はイエス様 です誠の担任牧師っていうのはイエス様な んです ね今日の宗法から日本部の担当牧である私 の名前だけ乗るようになりましたけれども まどうぞ心の目を開いて欲しいんです ね私の名前の前に担任牧師イエスキリスト という文字があることを私たちは心の目で 霊の目でしっかりと見てああこの教会の頭 担任牧師はイエス様なんだっていうことを みんなで同じ思いでやっていきたいん ですえ私たちの教会はこれから新しい担任 牧師を勝平することを始めていきますがえ 不安にならないで欲しいんですねうちの 教会担任牧師今いないけど大丈夫って不安 にならないでいただきたいん です大丈夫なんです教会の誠の頭はイエス 様だ からうちの教会をイエス様が導いて守って 助けてくださるんです今までもずっとそう でしたこれからもそう です変わらない担任牧師イエスキリストが 私たちの教会を導いてください ます人間の担任牧師が決まるまで日韓中 担当牧師を始め先生たち協力しまた皆さん と祈りを合わせながらやっていきたいと 願ってい ますえけれど人間の担任牧師が決まっても あくまでえ教会の誠の頭はイエス様だて いうことをみんなで心に刻んでやっていき たい です私たちは目で見えるものにあまりにも 弱いです縛られてしまいます教会の頭を 人間の牧師だと考えてしまった教会は残念 ながら後を立ちませ んイエス様を忘れてしまう教会も後を立ち ませ んまそれを予防する1つの方法としてま 会議などの際にイエス様の席を作っておく 教会もあるって私聞いたことがあり ます会議中にその席を見るたび にこの席にはあの席にはイエス様座っ てらっしゃるこの会議を誠に導いておら れるのはイエス様この教会を誠に導いて おられるのはイエス様っていうのをまその 席ですねまその席を見るたびに思い出し ながら会議を続けることができるんだって ことを聞いたことがあり ます教会の頭は
キリスト本当に大切な心理ですこの心理を 胸に刻んでこの新しい1年共に歩んでいき たいと願い ますえ次にですねパウロは教会は1つの体 という風に言いました教会は1つの体え そこを読んでみたいと思いますエフェソの 1章23節のところ ですエフェソの1章23節せーの教会は キリストの体であり全てにおいて全てを 満たしている方の満ちておられる場です メン教会とはキリストを頭とした1つの体 であり ますこの1つってどういう意味なのかを 分かち合っていきたい です1つになるっていうのはみんなが同じ になるっていうことではありませ んパウロが教会の例えとしてこのエフェソ の手紙で使ったのは2つです1つは体もう 1つが神の神殿であり ますでこの神の殿と体って2つですね共通 点あり ますそれ は2つとも体も神殿もいろんな部分によっ て結び合いれている組み合わされている そうして1つに1つの存在になってい るっていうことが共通点であり ます例えば神殿の建物ね柱があって屋根が ああて壁があります階段なんかもあります よ ねそれらのものが全部組み合わさって1つ の神殿になっているわけです全てが柱とか ね全てが壁とかそういう神殿ないわけです よ ねまた体も同じです手があって足があって 目派口があってねいろんなものがあって1 つの体を形作っています それぞれ役割が違う部分がありまして1つ の体を形作っているわけ ですえ教会はキリストの体である1つの体 であるってそういう意味になり ますみんなが同じことをやっているわけで はなくお互いに形も違って役割も違って そういう人たちが集まって1つの体を 作り上げて行くわけ です教会はキ精霊様が満ておられる場所 ですですからこの部分部分を結び合いて くださっているのは精霊様 です私と他の兄弟姉妹の間には精霊様がい てくださって結び合いてくださってい るっていうことになり ます私たちが精霊様の助けを通してイエス 様の愛とへりくだりを通してお互いに 愛し合って使いあっていく中で本当の意味 でイエス様の1つの体とされていき ますパウルはこういうことも語っています
エフェソの信徒の手紙114章11から 16節も一緒にみしたい です4章の11から16節 ですせいのそしてある人を死とある人を 予言者ある人を福音選挙者ある人を牧者 教師とされたのですこうして聖なる者たち は奉仕の技に適したものとされキリストの 体を作り上げていきついには私たちは皆神 の子に対する信仰と知識によ