2024年1月7日 主日礼拝 ルカによる福音書14章 特別賛美:小崎恵

2024年1月7日 主日礼拝 ルカによる福音書14章 特別賛美:小崎恵



関西カルバリーフェローシップ

<日曜礼拝の場所>
 
●●●東大阪市・花園チャペル●●●
近鉄・吉田駅 徒歩8分
毎週日曜日・①午前10時半
      ②午後2時  (各約1時間)
   ※キッズクラス(小学生) 午前9時50分~(30分)
   ※ヤングチャペル(中高生)午前10時30分~(1時間)
住所:東大阪市吉田本町2-8-4
 

●●●堺市・堺チャペル●●●
レストラン・ナチュラルキッチンIMU内
毎週日曜日・③午後4時半(約1時間)
住所:大阪府堺市中区深阪1丁目10-75 
   <駐車場8台分完備> 
 

★ KCFのホームページは毎週更新されています。また子ども用の視聴覚教材もアップしていますので、日曜学校などにお用いください。http://kansaicalvaryfellowship.com
★ 「初めての聖書入門」CGNTV放映 小崎淳広牧師
  http://japan.cgntv.net/detail.php?number=3080&category=1036

★ 「初めての聖書入門・新約聖書編」CGNTV放映 小崎淳広牧師
  http://japan.cgntv.net/detail.php?number=3105&category=1036
 
★(New)「みんなで読む創世記」CGNTV放映スタート! 小崎淳広牧師 http://japan.cgntv.net/detail.php?number=3185&category=1036

<献金をお献げくださる方へ>

https://kansaicalvaryfellowship.com/contact/

[音楽] おはようございますおはようございます ただいまより手術礼拝を始めてまいります 前のパワーポイントに本日のえや書か所が 両面に印刷されておりますのでご覧になっ てください最新プレイズを寂してまいり [音楽] ましょう皆を掲げ てあなたを抱え ます救いのため にあたは来られ た救いの道を えり天よりくりこられた十により命 あかな読みられたをし ましょう皆を掲げ て あなたを称え ます救いのため にあなたはられた救いの道を救いの道を えに剣よりに られた十字により 命えられたなを救いの道を えに天より下り られた十字により命 あがい蘇られ たの道を 救いの道を えにてより くだり 凍られた十字かに より命 あがい 蘇られ た こなに も私のこと愛し て触れて くださったのは主 よ あなた だけ新た だけた だけ私のため十字 で死んで くださたのは主 よ あなただけこんなに も こんなに も私のこと愛し て触れて くださったのは主 よ あなただけあなた だけ

あなただけ 私のため十字 で死んで くださったの は しよ あなた だけ 恵 のが [音楽] え て ください れる主の 界 で イスの 読の朝 新しい歌を捧げ ます すなる未にひく し主イエスを礼拝し ます主イエスを礼し ます 恵の 御 へて くださ えこ えこ 溢れる 溢れる主の 教会 で の りの 朝 新しい歌を捧げ ます せ なるに ひし主イスを礼拝し ます主エスを 礼拝します主イスを主イスを礼拝し ます主イエスを 礼拝し [音楽] ますそれでは総額のうちにしばらく静かな 祈りの時を持ち [音楽] ましょう [音楽] ハレルヤ恵み深い天のなる神様イエス様ご 精霊様あなたの素晴らしい皆をこれより

賛美いたします今朝私たちはあなたを礼拝 するためにこのとに参りましたどうぞ精霊 様あなたをご歓迎申し上げますのでこの 礼拝いっぱいに主がご臨在ください愛する 兄弟姉妹を1人人人の上に見ておいて ください私たちのうるものが精霊様によっ て満たされ全ての罪がをイエス様新たの 十字架を見上げますので私たちの罪を許し あがい清めてください今週1週間イエス様 と共に歩むことができますようにお導き ください私たちの家庭を職場を学び屋を あらゆる人間関係を祝福してくださいます ようによろしくお願いいたします今から メッセージを取りついてくださる崎先生の 上に特別な天からの油注ぎが先生の上に 豊かにありますように私たちが心を開いて 主の御言葉を受け止めることができます ようお導きくださいそしてこの関西 カルバリフェローシップがますます祝福さ れていきますように地域の多くの方々に主 の福音が伸びられてきますように救われる 魂が起こされていきますようよろしくお 願いいたします酒井チャペルも祝福して くださいあめん全てを見に委ねイエス様の お名前によってお祈りいたします メンご起立いただきまして成果見るところ に揺らぞを寂してまいり [音楽] ましょう見るとこによらし て信仰によりて [音楽] べし 何をも水また聞かず とも神の 不足に 立ち 夢よしこに よい歩め歩め疑で 夢よ信仰により 見るとにはよら で見るとはいかなる も我早えたりと信じ つつ歌ことなく歩み な必ずその ごく なら 歩めよ信仰に より 歩め 歩め疑 で め よこに より見る心にはよら で大が清気を持て

事故 父なる神は 誠 なりその御言葉を信じるもの になし わること あじ あよ信仰に より 歩め 歩め 疑わ [音楽] あめよ信仰に よりるとには よら でご起立のままで裏面に印刷されており ます人心情をご一緒に告白してまいり ましょう首 信条我は天地の作り脳の地なる神を信我は その1人後我らの主イエスキリストを信主 は精霊によりて宿り乙女マリアより生まれ ポンテピラトのもに苦しみを受け十字に つけられ死にて葬られ読に下り3日目に人 の内より蘇り天にり脳のなる神のに出し たりかよりきりて生けるものと死にたる ものとをさきたわん我は精霊を信聖なる 行動の教会生徒の交わり罪の許し体の蘇り としえの命を信あンどうぞご着席 ください本日のメッセージの書書の朗読を お願いします本日の聖書箇所はルカによる 福音書14章1節から6節12節から14 節になります神語訳聖書でお読みいただき ます聖書お持ちの方はお開きになって くださいお持ち得ない方は神に印刷されて おりますのでご覧になってください特別な 音楽のご奉仕をいいた後崎先生 より視点から見ると題してメッセージを 取り付いでいただき ます聖書拝読させていただきますルカに よる福音書14章1節から6節とんで12 節から14節です14章1節ある安息日の こと食事をするためにあるパリサイ派の頭 の家に入って行かれたが人々はイエスの 様子を伺っていたするとそこに水子を患っ ている人が見前にいたイエスは立法学者や パリサイ人たちに向かって言われた安息日 に人を癒すのは正しいことかどうか彼らは 黙っていたそこでイエスはその人に手を 置いて癒してやりそしてお返しになった それから彼らに言われたあなたがたのうで 自分の息子か牛が井戸に落ち込んだなら 安息日だからと言ってすぐに引き上げて やらないものがいるだろう か彼らはこれに対して返す言葉がなかっ

た12節またイエスは自分を招いた人に 言われた誤算または晩餐の席を設ける場合 には友人兄弟親族金持ちの隣人などは呼ば ぬが良い おそらく彼らもあなたを招きかしそれで あなたは判例を受けることになるから むしろ宴会を催す場合には貧しい人体の不 十な人足の悪い人目の見えない人などを 招くが良いそうすれば彼らは洗礼ができ ないからあなたは幸いになるであろう 正しい人々の復活の際にはあなたは報い られるであろう [音楽] 主の地我を 清め主の地自由に する主は 崇めるこの 時我が全てを捧げ ます主 の たかれ主の 足我がためさされ た今は私が 生きる ことなくただ主のため [音楽] 生きる主の手にが手を 重ね主の足に我が足 重ね主と共に死に主と共に生きる永遠に主 のため 生きるただ主の ため [音楽] 主の地我を 清め主の地自由に する主を 崇めるこの 時我が全てをを捧げ ます主の手我がため され主の 足我がためさされ た今は私が 生きる ことなくただ主のため 生きる 主の手に我が手を 重ね主の足に我が足 重ね主と共に死に主と共に生きる永遠に主 のため 生きる主の手に我が手を 重ね主の足に 我が 重ね主と共に死に主と共に生きる永遠に主 のため [音楽]

生きるただ主の ため [音楽] た主の [音楽] ためた主の ため新会者捧げ ますねえ深いメッセージ性のあるえ良い 賛美だと思います死の皆を崇めます え今日はえっと1月の最初の日曜日ですの で誕生祝福の時を持ちたいと思います1月 が誕生好きの方どうぞその場にちょっとお 立ちいただけますでしょうかえ実は私も1 月なんですよ1月の17日という阪神大大 震災の日でありますけどあ何日ですか1月 4日ですあ4日ですかはい他に1月にえ 結婚記念日とか受記念日記念日が1月の方 もどうぞその場にお立ちになってください あはいじゃあえYouTubeの方々 ZOOMの方々も該当者はどうぞ心の手を あげてくださいではえお祈りしたいと思い ます愛する天の父様え今1月の誕生好き また記念好きの方々がいらっしゃいますが どうぞ神様の恵みによってこれからも歩む ことができるように今までの人生もあなた が支えてくださいまし これからもどうぞあなたの足跡を踏むかの ようにしてあなたに抱き上げられながら 歩む人生でありますようにどうぞ神実現に 生きることができるようにどうぞ1人1人 を導いてくださいえどうぞ霊肉魂信仰経済 の必要を満たしどうぞ恵まれたえ人生を 送ることができるようにこれからも導いて くださいますようにイエス様の皆によって 祝福してお祈りしますメンそれではガ ブレッシュハレルヤでお祝しましょう ガレッ ハレルヤ ガレッ ハレルヤガブレッシュ ハレルヤ ガシュ ハレルヤはいおめでとうござい ますはい感謝しますそれでは朝のご挨拶を したいと思いますえ皆さんおはようござい ますおはようございますえあけましてお めでとうございますの人もいらっしゃるか と思いますけどもえ心から歓迎いたします えー今日はうん生産式がこの後ありますの でえジョークを期待しておられた方は今日 はなしにしたいと思いますえまえジコ しばらくえま封じておったんでありますが え元旦礼拝でえジコ入れてえ来週も期待し てますなんていう人がいましたけれどもま ちょっと控えながら来はまちょっと1つ

ぐらいやろうかなと思っております え今ルカによる象を学んでおりましてえ 年末はクリスマスシーズンでありましたの でえルカによる印書の1章2章に戻ってえ クリスマスシーズンによく読まれるイエス 様の誕生の記事を読みましたえ今日から また元に戻りましてルカによる福書の14 章からまた順番にえ学んでいきたいと思っ ておりますえ皆様は月まあ何かたくさんえ 食べられた方々もおせ料理を食べられた 方々もいらっしゃると思いますしえまた これから新年会とかなんとか会と言って ですねえ理由をつけて集まって食事をする ということも多くあろうかと思いますけど も福音書の中にも実は食事をする場面が 多く出てきますそして今日のルカによる 福音書14章もその1つであります当時の 人たちが考える食事というのはえ単に食欲 を満たすということだけのものではあり ませんでしたえユダヤ人にとってはそれは 人々とお交わりをするというそれは大きな 目的があったんですえ私がえ小学生中学生 時代というのはえ何か食事をする時には えお話をしちゃいけません喋りながらえ 食べちゃいけなという風にまこの中でうん うんって言われてる方は昭和の生れだと 思いますけどもま今はどういう風に指導さ れるのか分かりませんが私の時代はそう だったわけですよねえご飯を食べる時はっ て食べなさいというまそういう習慣が身に ついておりましたからえま私アメリカ留学 をしたことがありましてえまた選教師の 時代も含めますとまあ合計で6年ぐらい アメリカに住んでいたんでありますがまさ 様々なアメリカ人の家庭に及ばれして一緒 に食事をするという機会が何度もありあり ました初めてえ当時学生大学生でありまし たが初めてアメリカ人家庭で食事をした時 に感じたことはアメリカ人って食事中に よくぺちゃくちゃ喋るなとそういう風に 思いましたま彼らは食べているという何か 食べ物を楽しみながら食べるというよりも お話をするということを楽しんでるような そういう雰囲気でありました え私が日本とアメリカの食事の目的の違い 文化の違いというものを感じた瞬間であり ましたえ多分食事があえこの交わりをする ためのツールとして用いられているそれが ユダヤ人でありましたそれぞれの職文化と 言いますかえ食事をする時の文化という ものは違うと思いますね習慣というものは 違いと違うと思います当時のイスラエルで は日本食のように別々の皿で1人1人が 食べるというのではなくて同じ1つの大皿 があってまた1つの大きなパンがあって

パンを食べる時にはえ最初に取った人がえ ちぎって次の人に回してちぎって次の人に 回すという風なそういう形式でパンを食べ ておりましたまたスープもえ個人個人に スープの皿があえ用意されてるわけでなく て大皿にスープが入れられていて取った パンで同じその皿のスープにえパンをつけ て食べるということをしていたんであり ます同じものが自分の体内に入るという ことによって1つのものを共有して自分 たちは1つなんだというそういう意識を 食事の中で持つことができた確認すること ができたそれがユダヤ人の食事の文化で ありましたですから誰かから食事に招か れる時あるいは誰かを招く時には交りの中 に入るんだその人と同じ同列同じレベルの 存在なんだということをそういう意識をし ておりましたそういう意味合いがありまし たですからユダヤ社会ではどのような人を 招待して一緒に食事をするかということは その家の質というものを表していたんです ですよ聖書を読みますとイエス様が罪人 たちと食事をしているとユダヤ人がなぜ あなたはそんな人たちと罪人と食事を一緒 にするのかという問われる場面が何度か出 てくるんですねそれはユダヤ人の習慣今お 話しました習慣のことを頭に入れますと 分かることなんですよあなたはユダヤ人に 言わせるとイエスよあなたは罪人と一緒に 食事をしているあなたも罪人の1人かと いう風に言ってるのと同じ質問だったわけ でありますえそれはそのようなユダヤ社会 の倫理感というものがあったからであり ますさて今日の14章にはパリサイ人の 指導者の家で人々が食事をする場面と イエス様が神の国で人々を食卓に招かれる その場面が出てきますこの パリサイ派の食事会そしてイエス様の神の 国の食事会この2つを比べながら私たちは どちらの交わりの中に食事会の中に宴会の 中に入りたいのかまた入らなければなら ないのかということを見ていきたいと思い ますえ14章の1節をお読みします今日 読んでいただいた印刷にもありますえ1節 2節をお読みし ますある安息日のことをするためにある パリサイ派の頭の家に入って行かれたが 人々はイエスの様子を伺っていたすると そこに水取を患っている人が見前にいたえ パリサイ派の指導者の家に人々が食事に 招かれているという状況でありました イエス様も招かれてそこにいましたしかし そこに場違いな人間がいるということが 記されています深海の説の客中には身を 水質を患っている人がいたという風に書か

れていますが他のパリサイ人は招かれては いたんですけどもこの病人は招かれるべき ではない客であって彼らにとってこの病人 が一緒にいるということは意外なことで ありました水守というのは体内から水が出 ていく病気でありまして彼らはこれを神の 呪いの印という風に考えていましたま ユダヤ人というのは当時は病気などをし ますとえ特にうんこの皮膚病とかそういう ものに関してはえ神の呪いだえそういう風 に考えていましたこのように彼らの食卓と いうのは自分の考えが合っている人たちと 一緒にいるためのものであって考えが合わ ないとか自分とは質が違うレベルが違う そういう人たちを排除するような集まりで あったわけでありますえそれは1節の後半 人々はイエスの様子を伺っていたという 表現にも現れていると思い ますさてこの人物が入ってきたイエスは どういう反応をするのかということを ユダヤ人はじっと観察していたわけですよ ねユダヤ人の思いとは違うような行動言動 を取られたらえイエスよなぜあなたは そんな行動を取るのかなぜそんなこと言う のかという風に批判することができたわけ ですパリサイ派当時のパリサイ派はイエス 様の言葉じりを捉えて訴えてやろうとそう いう風に考えていたわけでありますから じっとイエス様を観察しておりましたえ その日は1節の冒頭にありますように安則 日という日でありましたこの安息日につい て彼らがイエス様とは違った教えを持って いたことをイエス様は知っておられました ので批判される前に上げ足を取られる前に 彼らにまずメスを入れられましたそれが3 節から6節お読みします3節イエスは立法 学者やパリサイ人たちに向かって言われた 安息日に人を癒すのは正しいことかどうか 彼らは黙っていたそこでイエスはその人に 手を置いて癒してやりそしてお返しになっ たそれから彼らに言われたあなた方のの うちで自分の息子か牛が井戸に落ち込んだ なら安息にだと言ってすぐに引き上げて やらないものがいるだろうか彼はこれに 対して返す言葉がなかっ たイエス様は安息日には仕事をしてはいけ ないと考えていたパリサイ派の人たちに 安息日に人の必要を満たすことは正しいか どうかということ尋ねられたんですよ今で も政党派のユダヤ人たちというのは安息日 を厳格に守るんですねまあ彼らは考えて みれですね えエレベーターのボタンを押すという行為 もこれは仕事になるから安則にはダメだっ ていう風にそういう風に言うんですよだ

からイスラエルに行った時ホテルには2つ のエレベーターがあって1つはえユダヤ人 用エレベーターっていうのがあるんですね それはなぜ何かと言うとえ自動的にドアが 空いて自動的にえドアが閉まって自動的に 1回1回ですね各停車で上に登って下に 登ってというですねボタンを押さなくても 明けしめは自動的にするというそういう うん えエレベーターがあるんですよえ今でさえ そんなボタンを押すぐらい仕事にななるの かなって私は考えますけどもえ今でさえ そうでありますから当時は厳格にそれを 守っておったわけでありますよ安息日に えーまずこの場違いな男をえイエスは 追い出すだろう追い出さなければならない とパリサイ派の人たちは考えておりました えそしてええ癒しを行うことも知っており ましたからえ安息日に仕事をしちゃいけ ないという考えからすると癒したらすぐに イエスを訴えてやろうという風にユダヤ人 たちは目論んでいたわけでありますよえ 水守っていうのはま当時の医学においては もう死に至るほっといたら死に至る病で ありましたいつ死ぬかも知れない病人を前 にしてはパリサイ人たちは死から救って やることが間違っているということは言う ことができなかっただから黙っていたって いうんですねそしてイエス様は癒してやっ てそしてお返しになりましたパリサイ人 たちの立法によりますと自分の息子や自分 の牛であれば彼らの解釈では安息日には 働いて良いっていうそういうう立法があっ たんですよですからそのことを指摘します と彼らは全く返す言葉がなかった彼らは 自分の身内や自分の家畜が大変な状況で あれば安息日であっても手を貸してやると いう特別恩家があったんですよそれは自分 にとっての都合の良い解釈を立法の中に 持っていたしかし自分の身内やえ友人以外 の見知らぬかわいそうな人に対しては何の 哀れみもなかったんですよつまり彼らは 自分たちの考えに同意する人々自分たちと 人間関係を持つ人自分たちのものは 受け入れたりえ助けたりえ自分と関係ある 人には哀れみを示そうとするんですけども それ以外の人々にはあ安息日だから助ける ことはできませんまあ英国と言いますか無 関心だったわけであります彼らは自分中心 に安息日の基準を決めていたんですが もっともっと大きな視点から神様の視点 から見るならば見知らぬその人さえも神様 が創造された対象でありそして神の家族で あるとということが言えますえニュー ホープクリスチャンフェローシップ東京と

いう教会が東京にあるんですけどもえ ハワイから来られたえ太郎先生が木介され ていますけどもえその先生はえメッセージ の中でこんな話をしておられまし たハワイでは休日にビーチへいてそこで バーベキューをする人たちがえたくさん いるんですけどもある日え私たち家族も 友人親戚を呼んでビーチでバーベキューを しておりましたたくさんの食べきれない ほどの肉を準備しましたえー野菜は嫌いで ありますみんな嫌いえハワイの人っていう のは野菜はあんまり食べないようであり ますがそこに置かれていたのはビーフ ビーフチキンチキンソーセージソーセージ 少しだけ サラダビーフビーフチキンチキン ソーセージソーセージ少しだけサラダえ そういう風に持ってあったと言んであり ますそして火を起こしてたくさんのチキン を焼いていますと良い香りが当たりにた 漂いましたもうみんなお腹が空いて早く 食べたいという気持ちでありましたけれど も焼いている間に我慢してじっと待って おりましたしかしチキンが次次と 焼き上がってさらに盛られ始めた頃に 向こうの方から路上生活をしている汚い 格好をした人が歩いてき た私はそれに気づいてこっち来るなこっち 来るなこっち来るな内心そうやって念じて いたそう ですしかしその男の人はその良い香りに 釣られるようにして近づいてくるではあり ませんか もう私は思いました太郎先生がねこんな男 に分けてやるもんかとそう思って見て見 ないふりをしてい たところが自分の兄弟がその男性を見つけ てプレートに今焼き上がったばかり1番 最初に焼き上がったばかりのその自分の お腹に入るはずのそのチキンや肉を山盛り のせてその男性に与えているではないです かもう私はどうしてそんなことをするんだ おと内心思って怒りにも近い感情があった んですがふと心の奥から神様のきがあった そう です先週レストランでランチを食べた分は 誰が払ったの かその日のランチのことを改装しました 家族でランチを食べてえおったんでその レストランに行ってランチを食べていまし た食べ終わって会計をしようとしますとえ ウェーターがもうこれは支払われています から払う必要ありません ええ後で調べてみますとあるクリスチャン がそこにいて太郎先生を見かけて家族分

全部のランチ代を支払ってレストランを後 にしたそうでありますその時に太郎先生は え感動してありがたいな感謝だなとそう 思っていたんですけどもそのことを改装し ているうちに今あり余る肉をその貧しい 男性にあげることができない自分の身にく さ心の小ささというものが示されました 自分は神様から与えられているのにどうし て自分は与えることができないんだ自分 自身にはりましたそして情けなくて情け なくて涙が溢れてきたってそんな話をして おられまし た私たちも結構自分の周りだけを見ている 間は様々なイライラというものが出てくる と思います自分の思い自分が中心にいつも なっていますとそんなもんをあげるか親切 なんかこいつにはすることはできない こんなやつを許すことなんて絶対できな いって自分がまず中心になって生きている とそういうものが出てくるものであります 自分の思いのままにここことが進んで 欲しいという風に願っている体であります しかしそうならない現実にだんだんとそれ があそれに嫌気がさしストレスになって いきますたくさんの祝福を神様からいいて いながら不平ばかりが不平不満ばかりが出 てくるんであります よ神様から多く許されているのに他者を 許すことができないでも神様のビジョンで 現実を見るならばもっと大らかな心になる ことができるものであり ます私もまこの1年間え街道が立って1年 が経過ししてしましたけども不思議なこと が起こってますよね石切りチャペルの時代 はいくらチラシを配っても日曜学校に子供 が来ないんですよこれからうちの教会は もう後の人たちが育っていかなくてこの ままえおしまいになるのかな子供たちが来 てほしい神様どうぞ次世代のえ小学生を 集めてくださいって何度も祈っていました けどもなかなか1人も来ないという風な そんな状況でありまし たしかし花園のチャペルに移ってから近く の小学校から子供たちがえ続々と集まる ようになりましたそのことに最初は本当に 神様感謝しておりましたでも状況見ている と口が悪い子供たちもいますよ ねちょっとむかっと腹が牧師だっても 腹立つんですよえこいつこん生息なこと 言いやがってっていうちょっとねそういう 思いが出てきたりうるさいなもう本当に もうえどんなしつけしてるんだろうかって いう風なですねまそんなえ思いがですね むくむくと出てきたりして神様に感謝を 捧げなくなっちゃっていた自分を見たん

ですよそして神様からお叱りをいただき ましたお前は小学生を与えてくださいと 言って祈っていて今与えたのに今はまた 文句を言い始めかこれ人間の弱さなんです よこれくださいあれくださいって言ったら それが与えられたらその時は感謝すんです よでも1週間2週間2ヶ月3ヶ月だったら 腹が立つ嫌なところが見つけるえここには 新婚さんもいらっしゃいますけども最初は もうラブラブですもうもう何でも許すこと ができるアタもエクボみたいなそんな感じ でありますが年を取ってくるとまある人は 1ヶ月ぐらいでえ2ヶ月3ヶ月1年えま ここでえ年を重ねておられるご際はうん うんて思われるかもしれませんがえその時 の何でもアバタもエクボてそんなえ綺麗な 言葉を使うことはできないほどですねえ エクボもアタに見えてくるという風なま そういう現実というのがまあよく知れませ んけどもいらっしゃるようであります よ私たちはええそれが弱さだと思います 最初は感謝するんですけどもだんだんと 慣れてくるとですねあれもダメこれもダメ せっかく与えられているにも関わらず文句 を言い始める私はそれを叱られたんですよ え何を不満なのか子供が当たらなかなか 集まらない時代もどんなうるさい子でも いいから与えてくださいって祈ってるにも 関わらず与えられたらこいつうるさいな口 が悪いなってそればかりもちろん教育はし なきゃいけないですよ教育はしなきゃいけ ないんですけどもただ不平不満ばかりに目 がいってしまうと私たちは違う方向に進ん でしまうそれは危険な方向に進んでしまう ということを気をつけなければならないっ ていうことですよですから私が与えられた ものに関しては感謝だなもちろん心で 向かってくることがあるかもしれません けどもこ口からは神様感謝しますってそう いう告白をしているならばえ私の周りまた 心は必ず変わっていくものでありますえ パリサイの人たちは自分と考えがぴったり あってる人自分の気持ちが通じ合う人馬が 合う人自分の必要を満たしてくれる人を 受け入れそして与えるギブアテイクの関係 だったんですよギブギブギブではダメだっ たんですよテイクテイクえ私はギブ与え てるんですから私にもしてくださいねそれ がギブアテの関係でもイエス様は神様の ビジョンでこの男性を見られましたこの水 の水主の男性も神様の愛の対象であり神の 家族でありました願は私たちも神様の視点 から人生全体を見渡すことができるように と願いますそして14章の4節から11節 は印刷にはないんですがお読みします7節

からえ11節 え客に招かれた者たちが上座を好んでいる 様子をご覧になって彼らに1つの例えを 語られたえー今園に招かれた時には上座に つくなあるいはあなたよりも身分の高い人 が招かれているかもしれないその場合 あなたとその人とを招いたものが来てこの 方に座を譲ってくださいと言うであろう その時あなたは始って松田に着くことに なるであろうむしろ招かれた場合には松田 にえ行って座りなさいそうすれば招いて くれた人が来てえ友よ上座の方へお進み くださいと言うであろうその時あなたは席 を共にするみんなの前で面目を施すことに なるであろうおよそ自分を高くするものは 低くされ自分を低くするものは高くされる で あろうこれは同じイエス様が招かれていた その場所での様子をご覧になってイエス様 がご指摘になった内容であありましたえ 披露宴というのは普通の食事会とは違って え主催者がどの人をどの席についてもらう かっていうことま日本では大体決めますよ ね披露宴っていうのはえですから自分自身 でえ上座に座るというのはルール違反 ばかりではなくみともないことでありまし た当時のユダヤ社会でもえ席が決められて いたわけではありませんがユダヤ人たちは みんなを自分は上座に座るべき存在だ自分 は上座に上座にってえ上座ばっかりを選ん でですねえそこに座っていたわけであり ますその人は勝手に上座に座っているので 1番最後に席に導かれて末席しか残ってい なかったということになりかねないです よってあなたよりも身分の高い人そういう 人が来た時にちょっとのけなさいと言われ て恥を書いてしまいますよそれから人間 社会なんですよこのえ例えは何を表してる か自ら低くなって松に座る人っていうの は主催者に自分の座るべき席を委ねてい るっていうことなんですよ主催者に自分の 座るべき席を委ねる自分で決めることはし ないです自分はこれだけのことをやってき たから自分ははこれだけの地位があるから ここに座る価値があるそういう風には決め ないっていうすなわち自分の主権者である 神様に自分の人生を委ねるということなん ですよこれが神実現なんです自自己実現に 走ると自分はここに座るべきだえ自分はえ こんなとこに座るべきではないいろんな ストレスが出てくるわけですよそして腹が 立つわけですよでも神実現に生きていたら 神様がらせられたその場所で満足すること ができるっていうのが神実現の人生であり ますそれが自分を高くするものは低くされ

自分を低くするものは高くされるという こと私がいつもえ今年になって意識してる のは恥は我がも栄えほまれは主のもので すってほまれや栄えばっかりを私が得よう 得ようとするから腹が立ったりえストレス がたまるんでありますよでも恥を受けるの は私ですっていうそういう気持ちになっ たら結構何があっても安心するというか 平安でいることができます栄えはほまれは 主のもの えまこの例えでこういう風に書かれてる からといって決められた席があるにも 関わらずあえて松田に座る必要はありませ んこれあくまでイエス様がそのえパリサイ 人たちの食事会を見て言われた感想であり ますですから教会ではできるだけ前の方 から座っていただければと思いますねえ 教会には上座とか松田とかそんなのあり ませんえまあえて言うなら前の方に座っ てる人たちが松田なんですよ後ろが上座な んですよてそういう風に意識したら結構 今日えね前に来られる方がいるかもしれ ませんがえこれはあなたの人生を主催者で ある神様に委ねているかそれとも自分の 人生はは自分のためだと生きているかを 表してる内容であります私たちは自分たち のために生き始めると自分が上座に座ると いうことを求め始めますしかしキリストの ために生きる時に自分はキリストにあって 神に受け入れられている認められていると いう確信があるので良い席に座らなくても 別に構わないということになるんですな ざら神様に委ねている人生でありますから 神様が上座ではないそういう場所を用意さ れたら示されたらそれが自分に与えられて いる使命であると受け止めることができる からであります本当の謙虚者謙虚さえー 自分を低くするものというのは人ではなく てキリストを見つめる人そしてキリストの 心を心とする人その人が本当の謙遜な人の 姿でありますそしてイエス様は受けてこう いう風に話されました印刷にもありますが 14章の12節から14 節またイエスは自分を招いた人に言われた 誤算または晩餐の席を設ける場合には友人 兄弟え親族金持ち隣え金持ちの隣人などは 呼ばぬが良いおそらく彼らもあなたを招き かしギバとテイクですねそれであなたに 判例をあなたは判例を受けることになる からむしろ宴会を催す場合には貧しい人体 の不重な人足の悪い人目の見えない人など を招くが良いそうすれば彼らは判例ができ ないからあなたは幸いになるであろう 正しい人々の復活の際にはあなたは向報い られるで

あろう え当時は保険とか福祉とかそういうの整っ ていませんから貧しい人とか体のの不な人 足の悪い人目の見えない人そういう人って いうのはもうえ路上生活をするしかなかっ たわけであります よ自分に生きる人は見返りっていうのは 必ず求め ます多くの人たちは招き招かれギブアド テイクの関係で生きてるのがこの社会だと 思いますしかしイエス様は本当の見返 りっていうのは人から来るんではない人 から期待してはいけない神から来るんだと いうことをここで示されました神の国と いうのは神様から見返りが来るから自分は 人から見返りが来なくても大丈夫ギブギブ ギブただ一方的に与えるというのが神の国 の宴会なんだっていうんですよパリサイ派 のその宴会はえこの人はうん自分に良い ことをしてくれるだろうかね投資っていう のもそうですよね投資え見返りがこの人 から来るという人に投資をするわけですね これがこの世の中の宴会であります私たち もあまりにも多くの見返りを求めていると 思いませんか私はこれだけのことをしてる のにどうして認めてくれないのかこれだけ 一生懸命しているのにどうしてどうして どうしてそのような思いが出てくるのは神 様に対して生きているのではなくて人に 対して自分のためにきている証拠であり ますえマザーテレサの映画の中でこのよう なシンに私は非常に感動を覚えております それは色々な団体から献金がまマザーテリ サの元に届くようになってえマザーは スタッフと共にその献金を自分たちのため にえまず用いるのではなくてまず他の自分 たちよりももっと困っている選挙団団や ミニストリーとか診療書などへの献金とし て仕分けをして最後に余ったものを神の愛 の教会自分たちのその教会の建設のために それを持ちを平和の村を作るためにえの 取り分にしようとそういう風に思っていた んですが分けているうちに小切手が全部 なくなってしまいましたそれ全部えマザー テレサの団体が全部外から送られてきた ものですから自分たちが使って良いもの だったんですよでも自分たちよりももっと 貧しいところにそれを仕分けしているうち に全部なくなってしまったその中にいた シスターの1人がこういう風に言いました 2000ドル寄付しようとしていたあの 団体にえ送ろうとしていたものを後回しに したらいいんじゃないですか後から送って もいいんじゃないです かその2000ドルは私の必要ために用い

ましょう よそうしますとマザーテレサはこういう風 に返しましたいえそのまま送ってください 神様はせっかちじゃない からそんなに急いでえ建物を立てなくても いいですよもし神が急がれるんであれば 必要は満たされます急がれないんであれば ゆっくりしたらいいんですって これが神に生きる人の姿だと思いました 人間に生きたら自分が自分が自分が自分が まず自分がまずというそういう気持ちに なる でしょう今やこのマザーテレサの神の愛の 選教会の働きは全世界に広げられるように なりましたそして彼女が生きていた時に やってきた小さな小さな働きは多くの人 たちに今感動与えています私たちは誰でも 自分のために生きてしまう弱さはあります しかしそれゆえに様々な問題や苦しみを 抱えることになりますもし自分というもの から解放されて神に生き始めるならば最高 の人生を送ることができるようになります 私たちの人生の主権者は神で主催者は神で ありますからそのお方に委ねるならば最善 に導かれていきますええこうファン先生の この世に打ち勝つ力という本からの抜粋 ですが読んでみ ます進行生活を始めた頃え信仰生活を始め たばかりの頃牧師は神の代理であり清い 存在であると思っていましたそんな私が 新学生になりました新学生になれば記憶 なると思っていましたが私には清さの きの字も見えませんでした伝動士になれば 清くなるとなるかもと期待しましたが相 変わらずでした二十歳の独身伝動士であっ た私は女性と出土したいという思いや 面白い笑顔を見たいという気持ちもあり ましたそうするうちに牧師安手を受ける チャンスが来ましたしかし記憶ならなけれ ば安手を受け入れられないと思っていたの で結局伝動地生活を7年2ヶ月もしました 牧師になれば強くなるだろうと考え安手を 受けました安手を受けて約20年が過ぎ ましたが今も私はそれほど清くなってい ません私は今になって悟りました私は神の 代理でも見いでもない相変わらず罪に汚れ た心を持って歩んでいる私は弱く足りない 部分を神様に委ねて御言葉を伝える主の しべにすぎない私が主のしべになったのは ただただ神の恵みであり使命を与えられた からですイエスはをするにしても神の栄光 のためにするなら全てが清いと語られまし たどんな仕事をしてしていても誠実に働き 神に栄光を期して歩むならそれが生殖なの です何をするにしても神の側に立っている

ならば清い働きをする祭祀ですメンだと 思いますえ私たちはただただ神の恵みに よって生かされているだけですよ成人 なんて1人もいませんえー牧師であっても え清い牧師なんか1人もいませんよ ただただ神の哀れみによってえ公団から神 の御言葉を 取りついているただのお罪人の1人であり ます神の恵みでありますそして皆様も 同じく神様によってあれているということ を今日は生産式でありますがそのことを心 にとめ神の恵みを心にとめてえ歩みなさる ことを心からお勧めしたいと思います違う からえ違う視点から見る今週も神実現に 行きたいそう願うしたはご一緒にアーメン と言いましょうアーメンお祈りし ます愛する天のお父様感謝します今日も あなたの恵みによってえここで恋愛を捧げ させていただけることを生かされている ことありがとうございますどうぞこれから もあなたを見上げあなたの視点からの人生 を見ることができますようにどうぞ助けて くださいイエス様の皆によってお祈りし ますメンえそれではしばらく祈りの時間を 持ちたいと思います えーもう年始からえ野半島の地震え被災さ れた方々もえいらっしゃいますえ飛行機 事故もありましたえいろんなことがあり ましたけどもえ私たちはただ祈ることしか できませんけどもそれは私たちにとって 非常に重要なことでありますご主に祈って いきたいと思いますえ教会のメンバーの中 にも えこの弱めておられる方がいらっしゃい ますえーどうぞ是非祈ってくださいえ有本 幸夫さんえ受験されましたがえ是非覚えて 祈っていただければと思います青沼あ克之 さんのお母様え施設の中に入っておられ ましたけどもえ緊急で手術を受けられまし た救急搬送されましたえ青沼すみ子さんの ために祈っていただければと思いますその 他え祈りの課題がたくさんありますがえ 祈れことをさえも感謝しながらご一緒に 祈っていきたいと思いますしばらくお祈し ましょう アメン

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