【BS11】偉人・敗北からの教訓「第24回 豊臣秀吉・夢破れた大陸進出」2023年12月23日放送分見逃し配信

【BS11】偉人・敗北からの教訓「第24回 豊臣秀吉・夢破れた大陸進出」2023年12月23日放送分見逃し配信



天下人・豊臣秀吉の敗北を見つめ、現代にも役立つ教訓を探る。
貧しい農民から身を起こし、織田信長の家臣となり台頭。本能寺の変で主君・信長が討たれると、謀叛人・明智光秀を討ち、織田家の重臣・柴田勝家も打ち破る。さらに徳川家康をも臣従させ、四国、九州を平定し、天下統一を成し遂げた秀吉は、さらなる野望を抱き、大陸進出を目論んだ。文禄・慶長の役と呼ばれる朝鮮出兵。
秀吉はなぜ、先の見えない泥沼の戦いに踏み切ったのか?
(2023年12月23日放送の期間限定見逃し配信です。)

#BS11 #豊臣秀吉 #加藤清正 #徳川家康 #小西行長 #文禄慶長の役 #朝鮮出兵 #安土桃山時代 #平安時代 #江戸時代 #明治時代 #戦国時代 #歴史 #日本史 #偉人 #伊東潤 #中西悠理

【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)

【配信期間】
2023年12月23日~2024年1月15日まで

📌BS11の「歴史」関連動画をチェック!

【番組情報】
全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
📺毎週土曜日 よる8時00分~8時55分放送
番組公式HP:https://www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/

<番組詳細>
「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。

【BS11+ 公式Instagram】
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【BS11+ 公式X(旧Twitter)】

[音楽] 偶然の勝利はあれども敗北は全て 必然日本の歴史を彩った偉人たちはいかに して破れていったのかその裏にはどんな 原因と謝があったの か今回は農民から天下人へと駆け上がった 期待の英雄豊秀義の敗北をき ます圧倒的な力で日本のあらゆる権力を手 にした絶対的独裁者が万年に見た 夢なぜ秀吉は朝鮮出兵という底なし沼に足 を踏み入れてしまったのでしょう か破れし者たちの失敗から学ぶ人生 哲学擬人敗北からの [音楽] 教訓 歴史場の偉人たちが犯した失敗から私たち は何を学ぶのか偉人敗北からの教訓進行役 の中西ですそして歴史作家の伊藤さんです 今日もよろしくお願いしますよろしくお 願いしますま日本の長い歴史の中には色々 なタイプの英雄がいますけれどもその中で いわゆる天下人と呼ばれる人はもう本当に はいおにぎりの存在ですよね天下人という ものの概念をねはっきりさせていかなきゃ いけないと思うんですけどまずま政権の 主張であるということとやはり自分が初代 でないといけないと思うんですよねその点 で厳しく絞っていくと平の清盛源の呼友え 足高内そして徳が康という辺りじゃない ですかねあそうですよただねやはりあの そこで三長と織田信というのはどうだと いうな意見も出てくると思うんですけど 天下という意味を全国に近い範囲っていう 形で考えると微妙ですよねさあ今回は そんな天下人の中でもま最も華やかな存在 と言えるかもしれませんこの 人物豊富秀吉の敗北に注目していきたいと 思います秀吉はその他の天下人と比べると どんな特徴がある人ですか最低辺からです ねえ都市空間で成り上がったっていうとが 1つ大きな特徴ですよね農民から天下人に なったっていうはいそうですまたですね 先生君主としての独サイ度も非常に 大きかったと思うんですよね完全に自分 だけで全て決めていく他のう人の言うこと 聞かないみたいなねところていうのは非常 に強かったと思いますねマイナスの面を 考えるとですねやはり天下を取って何を やろうとかこの世の中をどう変えようどう やって平穏に導こうとかですねそういう ビジョンがあまりなかったっていうのは ですねえ豊臣政権の特徴でもあると思うん ですねまそんな秀吉ですけれどもええ晩年 の評価というのはやっぱりこう一貫して なんかいまいだなという印象もあるんです

よねうんうんこれ1つ原因がありましてね 僕はあの彼はですね自己愛生 パーソナリティだったと思うんですね どんどん成り上がってくで信長にですね猿 よくやったって言われてるうちに人が どんどん褒められたい褒められたい周り からはすごいですねえまさすがですねって 言われたいえそれが講じていって文六経の つまりえ大陸進出ですねえそこまで行って しまったんではないかなと思うんですね 今回はそんな秀吉の敗北の理由をきながら 明日を生きるための教訓を探していきたい と思いますまずは豊秀吉とはどんな人物 だったのかを振り返りますこちらをご覧 ください戦国のサバイバル競争を制し天下 統一を果たした豊秀吉は1537年尾の 農家に生まれたと言われてい [音楽] ますい少年時代を必死にい は18歳頃に織田信長の家臣となり ますやがて上や略などに才能を発揮し 1570年には金ヶ崎の口で新をめ主君 信長の地を救う手柄を立て ますこうした働きが評価され北のとなっ たとして数々の戦に参加し中国方面軍司令 官としても氏攻略を任されまし [音楽] たしかしモ軍と対人中の秀吉の元へ本寺の 編の知らせが届き ますすると秀吉はすぐさまモと和を結び異 的なスピードで今に戻り明秀を 一躍小の中心に踊り出た秀吉は継者問題で 対立した柴田勝井へとの戦いを制し翌年に は小巻長くての戦いで争った徳川家康も 従属させ ます1585年に関白の地位に着くと四国 九州を次々と定 し590年には小田原攻めで上手を下して 悲願の天下統一を成し遂げたの です日本の頂点に立った秀吉の目は海外に 向かい ます1592年中国大陸進出をむ秀吉は 肥前名古屋城から大軍を朝鮮に送り込み 首都の感情を陥落させ ますしかし戦いが長期化すると勢いは 弱まり河和にも失敗し再び朝鮮出平へと 踏み切りましたこれが秀吉敗北の瞬間 ですこの慶朝の駅の佐中山に倒れた秀吉は 62歳でこのよ去り大陸進出の夢はついえ まし た秀吉はなぜ再び泥沼の戦いに足を 踏み入れたのか 今回は朝鮮出平を巡る秀吉敗北の原因を 探り ますさここで秀吉の人生の主な出来事を

振り返っていきますまこうして改めて見て みるとま農家の子供から天下人にまで 登り詰めるまこのドラマチックさってある 意味この時代だからこそ生まれた人物です よね秀吉みたいな身分の人にとっては非常 に良き時代だったなっていうに感じますね ま秀吉はやっぱりこうに使えたことで人生 がこうぐっと変わったと思うんですけれど も信長は秀吉のどんなところを一番評価し ていたと思われますか簡単に言えば仕事が できたからだと思うんですよ信長の要求を 迅速に実現したとただそれだけではなくて 何らかのプラスアルファていうのをですね え秀吉は考えていたんではないかなと思う んですね求められたこと以上のことをして 印象に残ったっていうところあるかもしれ ないですよね秀吉はま信長家康とならま3 ですけれども本当に3人とも全然タイプが 違いますよねま信長はですねカリスマ的な リーダーシップでま戦を勝ち抜きてったと いうことで家康はですねま万葉な己れを 知っていたつまり自分が万葉だからえ周り の意見をよく聞いて慎重に物事を運運べた と逆にえ秀吉はですねアーティスト的な ひらめきと実効力これが引いててたんです ね例えば分かりやすい例で言うと鳥取勢の 場合なんていうのはあの近隣の農民を あえて城に追い込んでえ評論をですねえ 食べさしちゃう使い尽くさしちゃうって いう非常に面白い戦術を取ることがあり ますよねこうしたところから分かることは ですねやはりあの添加人っていうのは タイプが違うつまりえ成功者には決まった タイプはないということですね圧倒的な 能力と想像性で日本の頂点に立った秀吉 ですが晩年の朝鮮出平を境いに求心力を 失っていきますなぜこの計画に踏み切った のか失敗の伏線を探りますこちらをご覧 ください日本で初めて天下統一を果たした 豊 秀吉しかし豊政権は秀吉の死後わずか2年 で崩壊し天下は家康の手に渡りまし たなぜ豊政権はあけなく崩壊してしまった の かその理由をの と実などの書を持つ歴史学者の堀さはこう 話し ます朝鮮出兵自体がですねあの最終的にト 政権を滅ぼすまほぼ直接的な原因になった のは確かだと思います ね秀吉が自ら築き上げたものを失う朝鮮 出兵にこだわった理由はどこにあるの でしょうまで 多の歴史学者によって様々な説が論じられ てきまし

た近年では朝鮮出平は秀吉政権の完成系で あり支配の特徴がよく現れているとして 研究者たちの関心が高まってい ます日本と朝鮮双方の資料から朝鮮出を 研究する島さんはの特徴を次のように考え てい ます木吉の政権というのは直属の軍隊が 少なくて戦国大名たちを統合して作り上げ た政権ですこの仕組みを豊フランチャイズ と佐島さんは呼んでい ます参加に加わった大名はまだ秀吉に従っ ていない隣の地を勧誘する もしくは攻め込むかの選択が迫られ ますどちらをかは選んでいいんだけれども 結果的にはその隣の地域も秀吉に従うよう に なるこのようにフランチャイズ毛は雨と鞭 を使いながら外へ外へと広がり中国四国 九州を参加に収めれば次は海外すなわち 朝鮮にのは当たり前の感覚だったと言い [音楽] ますしかしこのシステムには大きな問題が ありまし た秀吉政権のビジネスモデルを続けていく 限りここでストップっていう線が引けませ んでしたストップしてしまうと大名たちが あれも秀吉の力は衰えたっていうことかな 氾濫できるかもしれないて思わせてしまい ますそれは秀吉にとって良くないことなの で秀吉はいつも制服戦争をしています そして勝っていますっていうポーズを作ら なければいけませんでした秀吉政権はあの 戦争をやらざるを得なかっ たそもそもこの出平の目的 は朝鮮の攻略ではありませんでし た秀吉は朝鮮がすでに 日本に真住していると捉え朝鮮の軍勢を 従えて中国の民に攻め入る計画だったの です秀吉は何のために民の制服を潜んだの でしょう か江戸時代後期に発見された組門上には次 のように記されてい ます民を征服した後を北京に移しとしてを 任せさらに御天皇を北京に移し自らは忍法 に居所を [音楽] 定める秀吉の野望は中国だけにとまりませ んでし た日本に従する時だ遅れれば抜 する民を征服したら天に攻めいる外国を 攻めるっていうことについての心理的な壁 はないですねままむしろそういうこそ世界 統一というか世界制覇だったんじゃない でしょうかね秀吉が考えてたの は当時世界はスペインとポルトガルが圧倒

的な海軍力で各地に植民地を作り大海洋 帝国を築いていまし た秀吉はこの2つの国を相手にしても戦う つもりだったのでしょう かたんじゃないでしょうかね秀吉は自分が 負けるってままず考えてないと思いますね 誰と戦ってもま考えられないような出世を してる人間ですのでもうそれは成功体験 しかないわけですから失敗するなんてこと は考えてないんじゃないでしょう [音楽] か果たして当時の日本に世界統一を 成し遂げるほどのポテンシャルがあったの でしょう [音楽] か 上さんに聞きまし たあのポテンシャルありました大体GDP がですねこれアンガスマジソンとしての データなんですが世界の56番目なんです ね農用生産力が極めて高いと世界2位 ぐらいの軍事力があったとで鉄砲が大体 10万兆から15万兆ありましたんで世界 の半分が日本に集まってたとそれから兵力 がやはり非常に多いですね大体50万前後 集められるんですね 船上さんによると当時の軍事動員数は スペイン無敵艦隊が3万オスマントルコが 30万秀吉引きい日本は50万で世界2位 でし たただ非常に問題なのはですね鎖国できる ほど豊かな国だったけです日本はどうして も豊かな農業国ってのは鎖国の方向に 向かいますんで海軍国に行こうという発想 を持ってればそれはあのポルトガルとか スペインとかイギリスが及びもつかず大 海運国が出来上がったと思い ます豊政権が画会するきっかけとなった 朝鮮出平には回線前からほとんどのものが 反対していました戦国時代の感覚ならば 自分の戦争としてやりたかったと思います でも朝鮮に行ってもその土地は秀吉様の 土地になるんですね行くだけ損な戦争 ところがわずかながら得するものもいまし た徳川家康です霧吉の戦争というのは 新しい戦場地に近い大名が大負担をして いくものでしたですから九州は大変なん ですけれども関東とか東北の大名たちは ほとんど行かなくていいんですね家康とし ては日本全体を納める時に自分のライバル になる人々が力が弱い方が有利になります 特に中国地方のモ氏を連れて行ってくれる んなら大変ラッキーかもって思ったかも しれませ ん多くの大名を引き連れ朝鮮から民へと

乗り込むつもりだった秀吉です が現実は思惑通りには進まなかったの ですなんかすごく挑戦出平ってこう無謀な 計画だったっていうイメージがあるので 秀吉のま妄想なのかなとか思いつきだった のかなと思っていたんですけどま結構こう 具体的なプランというかを練っていたその 本気度が伝わってきましたこの時代のその 日本の兵力っていうのがあのVTRにも 登場しましたけどあんなに強大なもだっ たっていうのちょっとびっくりしました ええすごいですよね50万人もえま兵力が あったっていうことでま当時の日本はです ねま世界最強と言ってもいいぐらいのです ねえ軍団を持ってたんですね100年近く 戦乱が続いたことでですねやはりあの武士 というものに対する価値が非常に高まった ということででしかも武士たちは武芸にを 磨いてですね武芸ってのは鉄砲のもう含め てですねえそういったことから武士が多く いたでさらに鉄砲をえま輸入してたんです けど最初はえ日本人で器用ですからすぐに ねあの堺とか国共で作れるようになっ ちゃいますよねああだからもう西洋諸国 よりすぐですねえ鉄砲所持率が高くなっ てったとあと実際にはですねあまり目立た ないんですけど平坦線の平坦補給といった ものをですねえ豊臣軍団は特に重要してえ そういったことからですねえ日本というの は非常に世界でも有数というかえ1番強い 国であったと思うんですねああやっぱり それは戦国時代が産んだ強さという感じな んですねこの秀吉のプランを止めることが できるとすれば誰が止められたと思います かもうあの秀永という弟しかいないですよ ねええただですね豊富政権のモデルって いうのはえというのを止めてしまうとです ねえま停滞してしまうというかえもう無法 を起こされる可能性もあるそういうモデル なんですねえですから常に拡大を思考し なければいけないということで聞き入れ なかった可能性が高いですよね戦い続け ないと持続できない形システムにもなっ ちゃってるってことうんなっちゃってる です ね自分では完璧と思うシステムであっても 必ずどこかに弱点はあるものですどんな 権力者ものをに独するのは危険です ね強大な軍事力と独裁的な権力によって 大陸進出計画を強行した秀吉はやがて自ら のイメージと現実とのギャップを 思い知らされることになりますこちらを ご覧 ください朝鮮は日本に真住しているそう 思い込んでいた秀吉は朝鮮の軍勢も

引き連れ民に攻めるという大な計画を立て まし [音楽] たまず大陸新行の前線基地として朝鮮半島 を臨む肥前の国に巨大な名古屋城を築き ますこの地に徳川家康前田俊打政宗日本 全国から160もの大名を呼び寄せ人口 20万人を超える軍事都市を形成しまし [音楽] た学芸院の鶴さんに案内してもらいまし たちょうどあの奥に息が見えますがえその 駅の向こうに津島そしてその津島の奥に今 朝鮮半島とありましてえまこの名古屋の地 からですね軍団が海を渡ってきまし [音楽] た15万もの兵数の を秀吉は名古屋城の山里に屋敷を構え式を 取り ますその際にはば大阪から運ばせたものが あり ます黄金の茶室 です移動式のこの茶室はらの制と力を演出 する置でありは場で意識的に使用しまし た黄金の茶室を披露することでこの朝鮮 出兵が極めて重要な作戦であるという意識 を大名たちに植えつけたの [音楽] です大陸制覇を目指して始まったこの戦 ですが出だしからつまづきまし たの道案内命じていたはずの朝鮮が行手を 阻んだの です実は朝鮮はそもそも日本に新入してい ませんでし た朝鮮が日本に下ったというのは交渉役と して秀吉と朝鮮側との板にあっていた小西 幸永の嘘だったの です想定外の流れで朝鮮軍と衝突した遠征 軍は そのままハの勢いで進撃しわずか1ヶ月で 死と感情ぴょんやんを陥落させ朝鮮の王子 を捉えまし [音楽] た思ったより楽ってものすごい嬉しかった と思うでしょうね九州でさえ10ヶ月 かかったのがもう半月ぐらいで朝鮮の都が 落ちてしまった朝鮮はもう秀吉に従った ものだと思えて気持ちは楽だったと思い ますこの報告を受けた秀吉は自ら現地に 乗り込もうとしますがそれを引き止めた ものがいまし た徳川家康 です家康は台風の来るこの時期に海を渡る のは危険ですと涙ながらに引き止めたと 言い ますこの家康の意外な行動の狙いと

はがするとも軍隊を引きて行かなければ いけないですね家康の負担はかなり重く なります名古屋まで来ただけで止めておき たいってのが家康と本音だったんじゃない でしょう かこうして朝鮮に渡るタイミングを逃した 秀吉はその後も度々渡航しようとしますが ことごとくチャンスを失い ます秀吉が現地に入れなかったことは朝鮮 出平における大きな失敗の1つだったと 佐島さんは言い ます朝鮮は真四角に近い国なので線で収め ても意味がなく面で収めなければいけない プサからソールまでの間は1本ハイウェイ ではなくて並行する3本ぐらいの ハイウェイを作らなければいけなかった 秀吉が現地に行っていればそれが分かって 日本列島から軍隊をもっと呼ぶこと と思 ます上陸直後は次々と城を落としていった 遠征軍ですがやがて会場を封鎖されると 不足に陥りさらに民の援軍も現れ追い詰め られていきまし た秀吉は自分の代わりに朝鮮へ派遣した 石田成らの報告を受けの制服を一旦諦め 目標を朝鮮平に切り替えようとしまし たしかし当初の目的を達成できずに無理だ からやめるでは秀吉の間に関わり ますそんな時交渉役の小西幸永から民が 和木を求めているという報告が入りまし たそこで秀吉は一系をじます 事前交渉のため小西が連れてきた死者 を周囲には民の皇帝からの施設だと 偽り民皇帝が頭を下げて和木してほしいと いうので仕方なく急戦するというポーズを 取りまし た秀吉は和の条件とし ての にする こと朝鮮の領土の北は変換するが南は日本 の領土とすることなどの7を出しまし た当時の監修では先に和木を切り出した方 が負けです秀吉は民が幸福してきたと捉え 優位な立場から強気の条件を出したの ですそして渉を成功させるように念しまし た和木に失敗したら帰るところがあると 思う なしかし小は民にも秀吉が和木しっている と伝えていまし た双方共に相手が幸福してきたと思ってい たの です追い込まれたはの条件を改しさらに 秀吉の幸福文書まで偽造して民との交渉に 当たりまし た嘘に嘘を重ねて窮地に陥った小西の心境

が朝鮮側の記録に残されてい ます嘘がばれたら一族殺しにさ れるの嘘にいち早く気づいたものがいまし た朝鮮に残っていた加藤清 です清は現地のルートから小の嘘の証拠を 掴むとすぐに秀吉に報告しまし たところが秀吉はあろうことか清正の訴え を却下しまし たは清が言ってるのが本当だろうと分かっ たとは思いますがだからと言って自分が今 まで騙されていましたと認めるのは政権が 崩れる原因になりませんなりかねませんの でえこに騙されてたとはとても言え ない秀吉は和交渉を進めるためにの嘘に 便乗したの [音楽] ですの言葉を信じた民の皇帝は死者を秀吉 の元に送りまし たところがこの場で秀吉が耳にしたのは何 を封じて日本国王となすすなわち日本を民 の作法国として認めるという屈辱的な内容 でし たこれに秀吉が激怒し和木が決裂したと いうのが従来の説ですが近年では秀吉が民 のになることに同意したとも考えられてい ます民の制服を目指していた秀吉はなぜ民 の下に着くことを認めたのでしょう か戦争前には民に死者を送ることすらでき なかったこの戦争した結果皇帝自ら施設を 出してくれるとアジアの中で民と外交関係 を持てる国というと内でさすが秀吉様だと みに言ってもらえるようになり ます誰もが和交渉の成功を信じた数日 [音楽] 後民の死者が伝えた一分朝鮮の支配権を 認め ないこの言葉に秀吉は頭から湯が出るほど 起こったと記録されています すでに制圧して参加に収めたはずの挑戦を 無条件で手放すなど絶対的独裁者である 秀吉には考えられなかったのかもしれませ ん従ったと言っておきながら従わのやめ たっていう風に思ってるわけです朝鮮の ことをでそういうような存在を認めると他 の大名たちもじゃあやめたってみんなが 言い出すことになりますそういう連鎖反応 を恐れましたので朝鮮は絶対に従えなけれ ばいけない存在だっただって1590年に 1回新入したんですから秀吉はそこが嘘 だったとまでは知りませんのでそこが 前提怒り新島の秀吉は朝鮮の地を力づくで 奪おうと14万もの大軍を派遣し ますこうして朝鮮と民そして秀吉の合わせ て数10万の兵が入り乱れる沼の戦いが 始まったの

ですこれが秀吉の敗北の瞬間でし た豊政権の維新を守るために始めた戦いは 大名たちの秀吉離れを加速させ政権の中枢 にいた理療派と無断派の対立を決定的な ものにしました [音楽] 全てを崩壊させるきっかけとなった秀吉の 挑戦出平この計画を止められるものはい なかったのでしょう かまあ裸の王様ですからね見えてないわけ ですからね彼は全体がもう自分が思ってる ものと現実が離れてることにま気づいて ないわけですからなかなか秀吉に気付けっ ていう方が無理かもしれませんね独裁者 ってのはそういうもんじゃないでしょうか ね裸の王様秀吉を注意はどう思っていたの でしょう か朝鮮側の資料に秀吉の小いだった加藤 清正の言葉が残されてい ます我らの国王は別にいる秀吉は王では ない秀吉は卑しい羊でただ最極に欲しい ままに号令できるだけだ [音楽] あの秀吉政権というものが2代目まで継続 できるかどうかはあの非常に厳しく判断し てたと思いますですから秀吉が死んだ後に 清正は関ヶ原の戦いでは飯康川につきます ね清正は恩義がある秀吉ですけれども秀吉 の限界についてはクールに判断してたと 思い ます清に限らず多くの大名がは豊政権を そう見ていたのかもしれませ ん霧吉が朝鮮の支配を民が認めてなかっ たってことが分かったとしてもそこは目を つぶってとりあえずは戦争を辞めておこう 今は外生でどんどん国力を外に使っていく 時期ではなくてひよりを盛り立てるための 国作りをしていこうていう風に考えること ができていたらば政権は2代目に続く政権 になったかもしれませ [音楽] ん2度目の出平の翌年秀吉が亡くなります その後すぐに家康五太郎が朝鮮からの撤退 を命じ長の駅は集結しまし たそして天下は家康の手に渡るの ですこの後は学をせた出の 新設独裁的なトップになってしまうと 正しい情報とかがこうトップのところに 入っていかないっていう問題はありますよ ねまさにその典型例がこれですよね勝利を 確信して進めていた戦いだったと思うん ですけれども途中から結構苦戦し始める じゃないですかこの原因はどこにあったと 思われます朝鮮軍の正規兵というか正規軍 を倒すっていうことで結構余裕だったん

ですねえその後が賛成してくんですよそれ だけならまだしもえ義兵というですねえ立 朝鮮軍の正規軍ではない民兵え彼らが強兵 して平坦を破壊してくんですねそれによっ て非常にえ北の方の舞台に行けば行くだけ 兵動がえ枯渇していくっていう状況になっ てしまうんですね現地で戦う大名たちのま 本音ってどうだったんでしょううんいや もう本当に過酷な戦い敵が強いというより もですねま寒さの対策が不十分だったと いうこととか疫病が前てくんですねかなり 線気分が蔓してたみたいですねあ戦闘して ない部隊でもかなり減ってるんですよ兵の 数がはいでこの戦いではですね積極的にえ ま攻め入った加藤清正でさえ戦線拡大を 反対するえそういった外書にですね初代名 が署名してるんですけど加藤清さんも書い てるんですねでも結局秀吉がなくなるまで この戦いは続いてしまっ たここで歴史ならではの歴史を考察する 伊藤の界 ポイントまあ秀吉はこの時ですねもう かなり先生君化していますからやめましょ うっていうことは言えなかったかもしれ ませんよねそれだけ日吉は怖かったわけ ですで秀吉というのはとにかく周りから すごいなまわ偉いなで褒められたいって いうとこありますんでねでそれ別の方向に 導いてくっての一番良かったんですねで 秀吉本人がま長の影がうまくいかなくて ですね現実のことを考えたくなくなるん ですね裁判年にそれで脳という脳を舞う ことにですね没頭し始めるんですああ そんな最後だったんですかつまりですね バーチャルな世界に逃避し始めるんですね ですからもう少し早い段階で脳っていう ものに目をつけてればですねえ文六長の意 はなかったかもしん ない自らの権威や組織を守ろうと無理を 重ねたことで起こった 悲劇1人真実を知らない裸の王様にだけは なりたくないものです ね泥沼の失敗のまた中でこの世を去った 秀吉朝鮮出平はその後の日本の歴史に一体 何をもたらしたのでしょうかこちらをご覧 ください朝鮮出平は大田秀吉の妄想が 引き起こした負の出来事として語られる 一方これにより日本の運命が大きく変わっ たとという研究者もい ます戦国日本と大公開時代を記した平川 さん です朝鮮出平はえ日本が軍事大国であると いうことを世界に知らしのま非常に大きな あ役割を果たしたとまヨーロッパ諸国には もう武力で日本を征服するのは無理だと

認識させたというそういう効果があったと 思います 当時スペインやポルトガルなどの告は アフリカアメリカアジアに至るまで植民地 を作り広大な商業権を築いていまし たしかし日本は侵略をまかれまし た平川さんは50万もの軍勢を動員できる 秀吉の力を見て教師たちは日本の植民地家 を断念したと考えています さらに朝鮮出兵をきっかけに彼らは秀吉を 皇帝と呼び日本を帝国と呼ぶようになり まし た世界が日本を大国と認めたの です農民から天下人へ誰もが羨む大出世を 遂げた秀吉は死の間自らの人生に何を思っ たのでしょう か私なりの理解で理解する日吉だと後悔し てるでしょうね後悔っていうのはそのやり きれなかったということについて不満と 言うんですかね世界制服でしょうね やっぱりねしたかったとは思ってると思い ます よこれまで自分がやってきたことへの誇り と結果的にできなかったことへのま残念な 気持ちとそのいずれも含めても夢の途中な んじゃないでしょうかね まだまだ見の夢を追い続けた秀吉にとって 満足できる人生のゴールははか先だったの かもしれませ ん秀吉の自性の歌 ですつと落ちつと消にし 我が何のことも夢のまた夢 この後は朝鮮出平のもう1つの 狙いある意味でこう秀吉が朝鮮出平の計画 を進めたからこそま日本が脅威だっていう ことが世界に知れたっていう面もある ちょっと新しい発見でした配線みたいな形 で言われてますけど秀吉の狙いっていうの はもう1つありましてね当時ですね武士の 余情人口すなわち浪人とかま無い職する ですね風物若党周元足軽小物といったです ねそういった臨時野の侍たちがいっぱいい たんですよはいそういった仮想階級の侍 たちはですねま農業にもいまずですね喧嘩 をしたりとかえ何か強盗したりしながらあ かなりの数国内にいたんですねで彼らに 目標を持たせるで彼らの武士になれるぞ みたいな形で朝鮮半島に送り込むという ことでまそういった階級の人たちを リストラするっていう目的あったんですね まある意味そう日本国内の治安維持みたい なところにもあ一役買っていたそういう 出平だったんですねそうですね秀吉はこ 豊富政権のある意味存続のために海外進出 っという方にこう家事を切ったわけです

けれどももし伊藤さだったら天下統一をし た後政権を維持するためにはどんなことに 力を入れまし たもしも自分が歴史の主人公だったら伊藤 ならこうし たこの分力経ちの駅っていうのがあの失敗 という前提で考えた時にですねやはり民の たの前世を行うべきだったと思うんですね 武力つまり力で抑えつける政権っというの は明なものなんですよでできるだけ早く そういう武断政治から分地政治に切り替え ていかなきゃいけないそのためには民の 指示ってのは非常に重要なんですねで さらにま前向きな案としてはえ公益の進行 ですね外に外に攻めいるんではなくって まず天下統一をした日本をもっと安定せ方 に力を注ぐべきだった僕だったらそうし ますこの秀吉のことをまある意味そばで見 ていた家康っていうのはかなりその失敗 から学んだんじゃないかなっていう気はし ますねえ康はじっと秀吉のいろんな判断 政治的判断を見ていてま反面教師として ですね学ぶところ大だったと思うんですね まずあの秀吉というのはですねま自分は こんなにすごいんだぞというま見を張る ために強者な城だとか5点だとか増します よねまそれにによって桃山バブルというの が起こってしまってですねインフレが進行 したんですねはいああで庶民はですね困窮 してですね工作であっても合者が出るほど だったんですああそうだったんですかえで このですね桃山バブルを退しなければいけ ないということで家康はですね金すなわち ゴールドを集めて銀をですね海外に流出 することによってインフレ大事に成功する わけですねはこれによってですねみんなが 家康だったら神のため火九物資のための 政治を行ってくれるということで望が 集まってったわけ ですこの後は秀吉の敗北から学ぶ教訓 ですさあここで秀吉の敗北から私たちは何 を学ぶべきなのか人生の教訓をまとめて いただきますまずですね部下の意見に耳を 傾けるということですねはいでこれ 当たり前のように聞こえるじゃないですか みんな経営者の方これ見てらっしゃる番組 見てらっしゃる経営者の方俺は耳傾けて るって100人中99人ががおっしゃると 思うんですけど本当にそうなのかっていう ことをねあのしっかりあの考え直して 欲しいんですよねえ自分のアイデアとか 自分の考えってのは可愛いんですよで人の 考えとかアイデアってあんまり可愛くない んですよね私もコンサルタントで長年の間 企業のミーティングとかそういうのに出て

たんですけどやっぱ最後上の人の意見が 通じちゃうんですね全く意識しないで自分 が先生君主になってる自分はちゃんと周り の意見を聞いているつもりではあるけれど も結局は自分の意見を再優先してしまって いることが多いなぜそうなのかというと やはり上の人が人事権を握ってるからなん ですねえですから人事評価みたいなものを AIにやらせてしまうとそうすると どんどんもっと活発に意見が出てくるし あの苦いことなんかもね上の人に言える じゃないですかあそれは新しい発想かも しれないですねで2つ目なんですけど途中 で投げ出さないということですねえ秀吉も ですねえ世界制覇ということを目指してで 分力の慶長の駅をですね起こすわけです けどで結構ですね秀吉の秋っぽくってうり なんですねでこれはですね現実世界のです ねあの経営者にもありがちでまパッて ひらめき型の経営者アーティスティックな 経営者っていうのはですねえ新しいことを 聞いたりとかひめとですね目移りしちゃう んですよで成功してる分にはいいんです けどえそれがどれも中途半端で失敗し 始めるとあのやはりえ経営全般がうまく いかなくなってくるということでまや るって決めたもんには腰を据えてかかる ことがですよねそうですね うん周囲の意見には自分にはない視点や 発想が眠っています聞えてるつもりじゃ だめですよそしてやると決めたら最後まで やりにくこと初心忘るべからずですねこれ ぞ秀吉の敗北から学ぶ教訓 です自分でも気づかないうちに周りの意見 を聞けなくなってるっていう状態は本当誰 でも起こりうることなので本当に私も気を つけなきゃなって思いましたあの人の意見 を聞くっていうことはすごく大事で 当たり前のように思えてて結構できてない ことの1番に近いことだと思うんですよね 耳の痛い話だったりとか自分のなんか アイデアとは全然違うアイデアだったりし ても冷静に考えていやそっちの方がいいな と思ったら素直に聞くっていうことが やっぱり大事ですよね大事ですなかなか これができないんです ね藤さん今日もありがとうございました ありがとうござい [音楽] 偉人敗北からの教訓それではまた次回お 会いし [音楽] ましょう

32 comments
  1. 年表を見ると、四国平定の2年後に九州平定、九州平定の3年後に天下統一、天下統一の2年後に朝鮮出兵。朝鮮出兵は晩年の秀吉の錯乱ではなく、「豊臣フランチャイズ」の論理的必然であることがよくわかる。天下統一への成功体験が豊臣政権の崩壊の遠因である朝鮮出兵につながるという、歴史の皮肉を感じた。

  2. 権力を持てば持つほど煽てられて自惚れてしまう習性は現代の権力者も同じ。致し方ないがプーチンのように武力を使って自分の欲求を満たそうとすれば相手国だけでなく自国の若者の生命を奪う事になる。

  3. 戦国時代の多くの武将の行動気質は変化します。複合しているのです。
    秀吉は羽柴時代まで信長と同質、豊臣になり光秀気質が全面に現れるようになります。
    光秀・義元・ニコライ二世、皆同じ気質です。
    自己の戦力を過大評価し、相手戦力を軽視してしまうのです。
    こうした人物がトップになれば戦略的失敗をしでかすことが多い。

    もう一つ相手の明の万暦帝の能力を見誤っているのです。万暦の中興と言われる政治
    を行った家康型戦略脳をもつ皇帝です。当時酒色に溺れ政治に興味を失っていましたが、
    秀吉の大陸侵攻を知り俄然目覚めます。

    光秀が家康に立ち向かっても勝ち目はないでしょう。
    しかし当時日本は軍事大国です。やりようによっては勝てたかもしれませんが、
    相手を軽視し制海権・兵站を考えずの秀吉では敗北濃厚です。
    戦略で負けるのです。
    もし羽柴時代の秀吉なら多分勝つ可能性が強い。

    家康を全軍司令官に任命して采配を任せておけばこれも戦況を変えることが出来たと
    思われます。

    元寇の時の軍司令官は北条宗政、日露戦争のそれは大山巌、東郷平八郎共に家康型
    の戦略脳を持つ軍人です。

  4. 秀吉がいくら戦の天才でも足を引っ張るようなの(家康)がいたり
    無能(小西)がいると失敗するということですね

  5. 唐入りは、失敗や敗北ではないと思う。
    ちょっと偏向しているのでは?
    あとへ行くほど偏向がきついですね。
    20分で見るのをやめました。

  6. 現代日本人には朝鮮出兵は失敗で、徳川家康の江戸幕府が正解だったという先入観があると思う。
    歴史が徳川幕府に繋がるのは揺るぎない事実として、欠けていたどんなピースがあれば他の選択が生まれたのか。そうしたら日本はどうなっていたのか。
    当時世界トップクラスの国力を持っていたことをほとんどの人が無視しているのはあまりに勿体ないです。
    260年引きこもる以外に何ができたかと考えることで、逆に当時の解像度も上がると思います。

  7. 朝鮮出兵は国内のキリシタン大名やキリシタン達に行かせてキリシタンの力・人数を削減させる為だったていう一説もある。

  8. 驕れる者久しからず!
    トップに就いたら、必ず悪魔が囁やき寄り添う!
    本田宗一郎だけだよ、歴史の偉人は!

  9. 申し訳ないが、俺は秀吉を評価してない。
    信長の地盤を継いだだけでなく、朝鮮出兵も信長の真似事なのは「信長が朝鮮出兵後、明を攻撃する」と言っていた記述もある。

    天下を夢見たが、日本と言う単位ではあまり展望が無かったのは、秀吉が身分が低い為に起きた当然とも言える思考。

    たらればになるが、本能寺の変がなければ、日本は朝鮮をこの時に得ている。
    現に本能寺の変前に、信忠に家督を譲っている。
    それは後の大陸進出の為に、信忠に日本のトップとして慣れさせる為だろう。

    人身売買もおそらく時を見て禁止にしただろう。

    秀吉とは信長が描いた絵を模写しただけである。

    ただ、秀吉は仕事をこなせる能力と、その人望が桁外れなのは歴史が証明してる。
    が、こうした自分の能力よりも地位が高い人物に見られる現象が秀吉も例外なくあった。

    それは天下統一後の功労者の処遇である。
    黒田官兵衛や加藤清正等の秀吉の影の功労者は、京から離れた場所に領地を与えられた。
    天下統一前は頼りになる謀臣や武将などは、統一後には遠ざけられる。

    劉邦しかり、秀吉しかりだ。
    天下の覇者は天の意志なれど、能力は別である。

  10. 偉人・敗北からの教訓のみを編集した書籍が欲しい 伊藤先生へ要望  こぼれ話はいらない

  11. ムガル帝国の軍事動員数450万は圧巻ですがアジアのもう一方の大国であった明はどうだったんでしょうか。
    番組中で出ていた国の人口を調べてみたらムガル帝国は当時の世界人口の1/4である1億5千万でやはり圧巻で、日本は1200万、オスマン・トルコは1500万とありました。
    そして明はと見るとこれが1億6千万とありまして、ムガル帝国に匹敵するかなりの人口なのですが、あの広い国土で異民族の侵入に対抗する必要もあり、
    加えて皇帝の権限が強い専制であるのにオスマン・トルコより低い動員力しか持とうとしなかったという事でしょうか。
    周辺諸国に冊封体制をとっていざとなれば軍事支援をする必要もあったのにその程度の軍事力しか持たないというのはどういう算段だったのでしょうかね。

  12. 秀吉が朝鮮に渡ってたら、もっともっお戦況がかわってたはず
    なんで、大将が来ないねんとの不満もあったはず

  13. 士農工商が事実なら小西のせいかも
    商人は嘘つき要警戒の認識を世間に作っちゃった

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