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杉さんま前前回とこを見てきてまいろんな そのキュビズムの作品を見てきたわけなん ですけれどもこういうねブラックとかな どれが好きでしたかねどういう作品がそう ねいやブラックのは好きだしうんあと名前 忘れちゃった 今こういう渦のやつとかねああとあれだ えっとロシアの カジミールあカミルミルな稀ビねマビあれ は多分やった時も好きだって言ってた気が するねそうそうそうだけど今回の展示では ね出てないのよ残念ながらあ出ないだろう ねこれデシンのこういうの好きですかこれ は別にいいかなあの階段のやつは割と好き 階段のあれいいよねやっぱり ねうんこれいいい作品だなって私も思う うんでもさ当時はさやっぱりねなんかさ河 工場の爆発とか言われてさまそう見えるよ ね多分そう全くそういうのがない世界から 見るとうんそれそう言いたくなるだなるん だろうねもう気持ちはもう僕らには分から ないけどうんうんうんうんま あのこうねあのいろんな作品があったと 思うんですがこういうさ綺麗なさ キュビズムっていうのはね今見るとさ本当 いいなと思っちゃうんだけど当時はね ちょっとねあれなんですようんこれはね あーファインアートではないっていう風に 考えてた人もいたかもしれないのうんうん それどういうひ読み直してたかていうとね オルフィスムっていう言葉があるんですよ このねうんあれはオオルフィスだからね これオルフェっていうのはねあの芸者神話 の中のオルフェウスのことなんですが フランス語で読むとオルフェなんですが これねアプロンのね息子なんですよで なんかねアポロっていうのはね あの建言持ってるんのよねでオルフェ オルフェウスもねなんか建言持ってて なんか詩人なんかのこうなシンボリックな このアイコンなんですよこのオルフィス オルフェってうんうんうんだからね ちょっとこさ私的で的で情的うんな作品 こう色がついててうんこうカビなっていう かさうんこうリリカルな感じうんをこう オルフィスムの作家とかさオルフィスムの 枝ねとかって言ったらしいうんうんって いうのはそもそも うんこのお香りのキュービズムのさピカソ とかブラックが最初にやったのはうんこの なるべくこうさ物事をさシンプルに捉え ようっていうかうんこううんなんて言かな まずこの新しい視点でこう物事を例えば こう1つのこのものがここ置いてあっても いや実は裏側もあるし側面もあるし見る
視点によって物事が変わるんだからそう いうものを1つの画面に置くことで本当の 真実っていうものはさ表現しようっていう とこ始まってるから色がどうのとか色彩が どうっていうのはこれあの印象派がやって たことだから僕たちには関係ないっていう かそれは自分たちはやらないんだっていう 立場だったわけですようんうんそれがそう いうなんていうかま原理主義的なところ からそういう考え方もあるけれど もうんなんて言うのかなそのもっとがこう 親しみやすさとかみんなが喜ぶものもって いう風にさうんこうあーなんか こうなんていうかな色も加えて作品を作る ことがまたいいまた新しい作品のをうまま 産むことになるっていう信じてみんなこう 制作した人たちがいるんですようんでこう いうう原理主義的なものとこオルフィス的 なものの区別があのまあったことともう1 つね こう いう分けがあるんですよサロン キュービズムとギャラリーキュービズムっ ていう違いがありますうんうんこれどう いうものかと言うとねサノンでひ出品して あのまうんアンテパンタアンテとかそう いうところで対策をこうさ出品しているの はあれはサロンキュービズムだうんであの カンワイラーのような画像に認められて 画で発表するっていうのはギャラリー キュービズムだていう風に別れてったどう して別れてったかていうとカンワイラー 自体が自分がこう育てたいからもう ね君はうん自分とこのガロで扱うんだから もうサロンでは出さないでくれっていう風 に言うんです よここにねこのその後の画家のこの活動の 仕方がこう二分していくこう掃除ができて いくというかうん日本にも今ありますよね そういう意識がそのこう原型がここにある んですようんで合唱はねあんまりそんな 対策じゃなくてさこういうの室内絵画と 言いますがやっぱりこうコレクターが買い やすい大きさのものとか扱いやすい動かし やすい大きさのものが欲しいわけようん うんうんそうするとやっぱりギャラリー用 の作家とサロン用のこの作家ってこう だんだん分れていくんですよねうんうん それでねそういう区別っていうものがこの 頃からこのパリの1909年ぐらいから この起きてきますこれもキュービズムのま 良きせぬうん遺産というかまあの残して くれた1つのあり方っていうかそういう ものだと思うんですよ ねでま何しろこのグループっていうものも
あある意味で革新的なキュビズムを作って 行きましてこれがまアメリカのそのうん方 にこう電波していくんだけどカワイラーが やろうとしていたことっていうのは あんまりそのアメリカの方でさ活躍して 欲しいっていう感じはないんですよどちら かというと自分がこうさ大事に育てたもの をヨーロッパの中でえっとま商売したいっ ていう考え方だったみたいうんそこでね このうんここでやっぱり分かれるのは ペギーグッケンハイムがあのアメリカにさ 送ったサッカーはギャラリーが決まって ない作家だったんですよ当時うんだから 動かしやすかったしうんアメリカに送り やすかったし行きたいって言ってくれたし うんでそういうことでねこの後ねこの留出 っていうものがそのサロンキュービストの 間で起きてくわけですうんギャラリーが 決まったキュービストたっていうのは パリンとコっ たけ うんところがこのサロンキュービスト達っ ていうのはま決して悪いくはないやでも 多少このオルフィスムっていうのがある ですよねうんでオルフィスムがあって そしてあのピトグループのような確信的な 部分もあるうん前衛的な部分そういうもの がねアメリカにものすごくね受け入れ やすかったでその後のアメリカの美術の 動向が見えてくるよじゃないですかうん うんまデュシャンを初めとしたあーまその 後にう例えばアンディウフルがねあやった こととか うとまジャスパージョーンズとかさあと コンセプチュアルアートが生まれていくと かそれからまアンディウフルのようなこう やっぱりこう売りかあのなんて言うのかな 売りやすいこうさオルフィス的なそのカラ カラー的なね作品とかそういうもの吸収し ていくそういうきっかけになってるという ことなんですよ ねでこの うんアーモリーシうんていうのがま前回 ものすごくこうシカゴの方でま人形を焼い たりとかまものすごくこうねま賞賛もした けど反発もあったりしてアメリカに ものすごく衝撃を与えてそれがあーま いろんな作家に電波していくっていうこと を紹介したわけなんです がここでねどんどんどんどんいろんなこの コレクターがまデュシャンのを買ったあー コレクターをちょっと紹介したことがあり ましたけれど もこの人ですねアレンアレンバーグ夫妻 っていう人がそのジシンの作品を
うアレンスバーグねうん買ったところが これだけじゃないとにかくねアメリカはあ アメリカの大富豪たっていうのはもう本当 にこのペギグハムだけではなくていろんな 人がねフランスの美術が欲しくてしょうが なかったわけ当時うんフランスにも行って 買った しその中にねうんバーサパーマーっていう 人がい ますこの人ねものすごくね面白いなあと 思ったのちょっと紹介したいんですがこの 人がねしま集めたフランス美術っていうの は大体やっぱりねこの年齢的に1918年 までだからこのキュビズムが起きるね もっと前にあのフランスの美術に海岸して フランス美術を買った人なんですよだそう いう措置があるところにリシンがやってき たって感じですようんうんだからうんと フランス美術にものすごくやっぱりさ理解 のあるアメリカ人がその大富豪とか教養人 にいたってことなんですうんでそれを紹介 するんですがこの人はねうんあの二十歳 ぐらい20代でねま結婚してそのすごい 実業家っていうかね商店最初はね ものすごい小さな商店をやってたねご主人 と結婚するんですよでその人はねこなんて 言うのかな多分ビーフジャーキーみたいな 干肉とかさ星干物みたいなものを扱ってた 商店だったんだけどスカーフとかねなんか ねこうちょっとや手袋とかうんなんかね こうちょっと女性がさ欲しがりそうなもの を扱い始めるんですよそうするとね ものすごくねそれがヒットしてシゴにね 50何十件だかなとにかくね数10件のね ビールが立つんですようんでそこから じゃんじゃん毎月お金が入ってくるんです よ商売しててお店があってうんビルが立っ ててうんところがねこここにね大災害が 起きるんですよあのね大火事が鹿後に 起きるん ですでねでここにねうんすごくうんその ことが ねうん紹介されてる本がねあってビッグ コレクターっていうね関慎一さんが書いて もこの方亡くなっちゃいましたけど たくさんね美術のことをね詳しくてね いろんな本出されてて読みやすい本が出版 されてるんですがここにね紹介されていて この人も最初バーサパーマなんか知らない でシカゴに行ってでねそこにねすっごいね パーマーハウスっていうホテルがあるので ますごくこう格式があって歴史があるから 止まってたんだけどある時ねどうもこの人 すごい美術コレクターだったらしいって ことを知るんですうんでよ調べてみたら
どうもこのシカコビスカにあのフランスの 印象派を始めとしてまロダンの作品なんか もうんコレクションしたものを贈した人が いたとでそのこれががあバーサパーマンで その人のホテルなんだってことが分かって でその人が書いてることなんですが その事業を始めてもバンバンこうお金が 入ってくるとその矢先にですね 1871年に大家事が起きるわけなんです でも自分が立てたその自分たちが立てた ビルが51件だから焼けてしまってうん もうね死人はたもうま当時はねもう大した さ消化器なんかないからバンバン人が なくなってそれでだたまたまご主人が出張 でいなかったので出張先からとにかく自分 のところのことはいいから町のみんなを 助けなさいって言ってもうね火災にあった 人たちのねせはね一生懸命するんですよ この人はそしたらねなんとねすごい やっぱりね人望が集まっちゃってでね見る 見るうちにねその焼けの原をね建物建て なきゃいけないっていうんで不動産業始め てね不動産業からねこの建築も始めたり なんかしてどんどん街を綺麗にしちゃって ものすごい大富豪になり上がるっていうね すごいサクセスストーリーが残ってるん ですようんうんうんでこの人がね集めた 作品 もう五歩の自画像とかねルノワールとかね エルグレコとかもうねすごいんですよ なんかこういろんないい作品持ってた みんなシカゴにねこ偽造してるんですうん うんもうこのバーサパーマって言うとね もうあああのあのコレクターねまこのグキ ハム以前にものすごく大成功したアメリカ のコレクターとして有名なんですこの シカゴ後にこのアモリ装がこの巡回し たっていうのはものすごくやっぱり意味が あってまこのこの街が持ってるこのう 200年の歴史今ね持ってるこのシゴ美術 館ってやっぱり自分たちのこのヨーロッパ に対するさ見識フランス美術に対するさ 見識こんな美術感でも知ってるよっていう 感じでさやっぱりこのアーモリー賞で ジシンがあれだけのああの作品を出したり こうわけのわかんないもん出したとしても やっぱりみんなね片を飲んで注目したし 待ちこぞってこのあ天覧カをこう受け入れ たという素があったわけですようんでこの こういうこういうものがさ流出して るってこともやっぱリシンとしてはさ ものすごくショックでもあり嬉しかったり もしてさそうかやっぱりフランスの美術は アメリカでも受け入れられるんだっていう ね確信にも繋がってたと思うんですよね
それからまもちろん前に あの紹介したグッケンハイムのうん コレクションとかあとねこのパリの アメリカ人と言われたねガートルード スタインっていう人もねこのアメリカのね うん詩人だったり美術収集家として知られ ていてこの人が集めた作品ガートルード スタインコレクションっていうものは今ね ボルチモアっていうねところにボルチモア 美術館っていうのがあるんですがそこにね みんな寄付されてるんですよでやっぱり これもねうん現代美術パブロピカソとか ブラックとかもうそういうね 1933年から14年までこう集めた やっぱキュビズムの作品それからあの パリンのあの作家たちの展覧かあえと作品 を集めてい ますチマのビス館のまうんなんていうか 特徴としてはまずマジスが1000点以上 あるってことうんパリのねあのフランスの マティスの作品ってやっぱりほら前紹介し た時にやっぱちょっとこうフランスの中で あれだけの装飾的なものとかさあのあれ だけのなんかデザイン的なさあのこう抽出 したような作品っていうのはうんすごく やっぱ的なことであったしなかなかパリで こうすぐにこうさうんなんかこう作品が 売れるっていうものではなかったらしいん だけどももうそのマティスを買ったのは ロシア人であったりこのアメリカ人だっ たりしたんですようんうんでこの先天もの ものがアメリカに今あるん ですそしてボルチモアにはうんパピカソも あるしセザンヌもまドガもあるし ゴーギャンそかゴルノワール もうたくさんねそういうあのやっぱり知ら れたフランスの作家ま留出して るっていうことでまこの特にねブランク士 の作品はこのジシンがやっぱりこの フランスからこの船に乗せてあの思い彫刻 をね運んでまアメリカの裁判所でまソドに なったわけですよこれが この税関とま関税をかけて工業製品として 売るものなのかいやそれはアートであって このアートっていうのはすぐに売れるもの ではないんだからこう税関を通さずにその 税金は取らずにそのま変える返すかもしれ ないんだからうんなんとかして展示させて ほしいってさこの樹さんが言い張ってこう 裁判になったわけですよでこれでこの アメリカがこのブランクーシの作品をこの アートとして認めて最終的にこれはやっぱ 工業製品というよりはアートだっていう風 に認めたことてものすごくこのフランスの 作家たちとかその美術作品とってある意味
さ希望が持ててこの作品がアメリカに渡っ て評価されてこの展示のこのチャンスが もらえるっていう道を開いんですしかし 一方 でフランスの美術がフランスになくなって しまうっていうさうんそういうことが起き てくるこはチャンスでもあるけれどももし かしたらさ悲劇というかさままずいことな んじゃないかって気づき始めるだんだん うんかなり時代ま時間が経ってからなん ですけれどうんだいぶ流出してからこれ ちょっと待てよとこのまんまでいくとうん ちょっとこのフランス美術が特にほら松方 秀樹のねま松方あのコレクションうん松方 秀じゃない [笑い] 松 芸能 違うちょっとここ勝っ た松方コレクション松がね作品フランスで も害しちゃって流出したっていうことも あってまそういうんでこう海外にどんどん フランスの美術評価されるのはいいけれど もこのまんまではいけないということで ある時気がついた人物が1人おります うんそれが このジョルジポンピドという大統領です うんこの人はね2回ね大統領にね就任し てるんですがまあね色も激動のパリでも 当時ねまいろんなねことがありまし本当に ねえと危機的な状況もあったりパリってね 結構ね学生運動があってね月革命があっ たりとかねまあね色々なことが起きながら もこのまんまではねこのパリはこのれて しまうっていうかねものすごくかつてこう なんていうかナポレオンが排出しされた フランスうんそれからうーんフランス革命 が起きたフランスうんパリっていうのはさ もうヨーロッパの中心であったはずなんだ けどどうもね このギクシャクしてくるんですよでこの ここにねやっぱりなんかねうんカンフル剤 を打たなければなら思い 始めるうんそれが何かというとねあらゆる 形態の現代捜索に特化した新しいタイプの 文化施設をパリ中心部に設立しなければ いけないんじゃないかって思い始めるん ですようんうんこのまんまだとね文化の都 芸術の都パリっていうものがなんかね ニューヨークに取られちゃううんうんもう ねニーにた実はルシのせいでもうね相当 ルシ行ったり来たりしてるうちにね ニューヨークをね芸術のね都にしてきてる わけなんですよで芸術シーにおけるパリの 衰退を食い止めニューヨークとの競争が
激化している世界レベルのレベルでの現代 美術の主要な場所の位置を確保した維持し なければならないっていうねうんそういう さ命とかそれからフランスの作今までの そのフランスのうん作品だけではなくてこ これからの国際的にも通じるさフランスの 芸術を育てたいっていう願いもあるうん うん今までねなんかこうちょっとギ ギクシャクしちゃってなんかこのキズが やるとみんながさ叩いたりなんかしてこう 新しいことするさそういうこう雰囲気をさ なんかこう台無しにされてたところがあ ってやっぱりこう新しいもの受け入れ るっていうフランスでなきゃいけないん じゃないかって思うわけうんうんでこうね それからねやっぱりねポンピドとしての やっぱりこうさ20世紀後半のこう代表 する建築物をねこう立てたい記念費的に 立てたいっていう気持ちもあるわけよで そこでねまでもね問題がね山積みなのよ うんこう2回ね人気があるんだけどねもう 後半なんかね9馬機器なんかもあったりし てねうんなんかねあと石油ショックとかね あーもうねニクソンが出てきたりなんかし てこうフランスもね結構やり込められ ちゃうわけですようんうんでね このそのねで実際こう国内にもねなんかね まだねこのうんま前に紹介したこともある けどサロンのさエリート主義みたいなうん うんうんうん歴史主義的なことがやっぱり こうさ油飯が残っててなかなかねこの大衆 分このパリのねそのニューヨークは大衆 文化がこうさこれから離開くっていう時に さパリはさまだこうエリート主義の文化で なんかやっぱり遅れてるんじゃないかなっ ていう危機感があるわけやっぱりパリも 大衆文化っていうもの書き付けなきゃいけ ないんじゃないかうん それから1972年にねフランス現代美術 の12年っていうのをね一応グランパレっ ていうところで展覧会やったんだけど なんかねその時にもねどうもねこの新しい ねこの12年のねこれがねどうもやっぱり あんまり評判が良くないでねなんかねこう 暴動も来てこのそこにねこう紹介され なかったアーティストなんかがねデモを 起こしたり ねなんかこう新しいものっていう割には やっぱりね結局ね審査があってね特別な人 しかこう選ばれないとかうんそういう問題 がやっぱりあるんですようんでねやっぱり ねそういうことではいけないと立ち上がっ てまポンピとは1969年にして ようやくこうね新しい近代美術感を立て ましょうて決断もうけ作るんだって決意
しってうんもうね1番ね人気のないね不 衛星でね評判の悪かったね第1区第1外区 っていうとこがあるらしいんですがそこを ねもう新しいこうさ綺麗なアートでねいい 街にしようっていう風に決めるんですま もちろんねいろんな問題があってなかなか 大変だこれこの72年のねこのフランス 現代美術の時にもねこの展覧会の時も すごいななんかねあの暴動が起きてね大変 だったみたいうんなんかみんその反対運動 があったりしてアーティストの作品ねこう うん一定のねアーティストが展覧会への 参加をね拒否したりとかうーまなんて言う のかなまこうポンピドポンピ道店にのうっ ていう風に書かれたま結局この展覧会は ポンピドーセンターを作るためのうん なんて言うかな作るっていうことでえま それのなんて言うのかなあ皮切りになる ような展覧会だったんだけどももうさこう ねやっぱりねこの建物ねまこれは建築して まもっとこういう風にしますみたいな様子 だとは思うんですがま今もねま大体こんな 感じなんですよでこれでねやっぱりね ちょっとね景観的にどうなのか とうんあのなんて言うのかなルーブル美術 館のこのさクラシックなあのイメージから やっぱり頭にさみんな頭が離れないわけ ですようんうんうんあのさやっぱりこうさ 伝統的なさこう宮殿のようなさこう やっぱりさ建物が美術館らしいのであって こういうね新しい建築物はねこのアメリカ じゃないんだからからさこういうのね立て ないで欲しいっていうねそういうね訴えが ねやっぱ多かったみたいどちらかというと うんうんしかしね押しきって今この新しい フランスの美術っていうのが残されている しまだいぶ流出してはしまったんだけども 今回そのまキュビズム店で見られるような あーま重要な作品も まま展示されてはいるんですよね うんどうですかあの杉野さんこう いうなんて言うのかな 新しいものを受け入れるっていうこと て杉野さん的にははいどういう抵抗とそれ から理解とどんなものがありますいやでも 世の中そういうもんだからねとしか言いは ないよね うんそう抵抗されるようなものが後に良い ものになるっていうのはずっと変わらない からうん結局最初は抵抗され るっていうことはもう火がないよねうん うんやっぱりたいじゃだめだよねそういう 特そこでねん何ちゃだめて足白いってさ やっぱり中途半端で終わるのが1番悪くっ てまあそうだねだからあのま信念があるか
ないかだと思うよ結局だからそれが本当に いいもんだと思ってたら貫くんだろうし そうだよねポンピドね就任中も1974年 で就任したんですけどもねあんまりにのね このねあの過労でね白血病になって なくなっちゃいます突然うんまそれだけね もう聖痕尽きるまで頑張ったのよこのね ポンピ美術家なんで1969年に立て るって決めてま多分ね1972年にこのさ 展覧会やるんだけどさうんうんうんまね ここに至るまでのねこのやっぱりこう逃走 というかね戦というか ね新しいものを作る時のものやっぱりさ 勇気とさ葛藤と さうんまそういうやっぱりそういうものに られるっていうことはでもさポンピドーの 名前が残る美術館がうんうんうん結果的に うんそういうことになってるわけよあそ それでねま最後これすごい重要なこと忘れ てましたはいルシンね一体このキュビズム をまアメリカに持っていってその子を アメリカとフランス行ったり来たりして うんでまあアモリ賞ねま出品した時にま かなりねまこう衝撃に走って あアモリシもね実はねまだ未だに続いてる んですようんうんま国際アートフェア みたいな感じなんですがうんただね50 周年でね1963年に50周年記念式典が あってデシンはCBSの記者のチャールズ コリングウッドっていう人から インタビューを受けていますうん でこの時にねああれほどのねソドを 引き起こすだろうってことは認識分かって ましたかって聞かれたんですよあ森勝で あのね河原工場のあの大爆発なんか言われ てであっちこっちで更新が起きてねあ フランス美術なからねあの帰れみたいな 感じでなんか人形が焼かれたりそんなこと があったけどそんなこと想像してました かってどんな風に感じてましたかって聞い たらルシンがまそもそも私当時26歳でし たよみたいなもう随分おじいさんなって ますよね50周年経ってますからアメリカ に行ったこともなかったしその時はねこの ま今アメリカにいるけどもうここにはい なくてフランスにいたんだとでま当時は うんそういう人たっていなくって今日ま 今日今日的にはさこういう守やってもさ 大衆が見てくれてるでしょうみたいなこと 言ったのどじ見てくれる人だってねわずか だったんだもうねそもそもね大衆にね拒否 するようにしけてたんだよキュビズムはっ て言ってんですようんうんうんピュあの ピュートグループっていうのはねもっとさ なんていうかさ過激なのよ過激派なんです
ようんうんねにで拒否されるようなこと ぐらいしなきゃっていう風に考えてたんだ とうんうん私の言いたいこと分かりますか って言ったっていううんでねこう続け ます今日ではどんな新しい運動もそれが 始まる前からほぼ受けられているもう ショックの要素なんてものは全くないんだ うんて言ったうんうん確かにこれねすごい 考させられ た今ショックになることってあるかなと 思っ てできる人いるかわかんない芸術では 難しいかも ねなんかさねなんか表現の自由ってとか あるけどさ うんなんか過激なことしてそうだけどさだ あれもみんなうーんみたいな感じだしうん うんうんま第にもほとんど 乗らないしねアートの どこうんうんすごい考えさせられてね やっぱりさこういうものってさ1回ぐらい しか聞か聞かないのかもなんかやっぱり ほら こうなんて言うのか麻薬的なものっていう のは さあの助性があるけどもうんなんか こう構成物質ってさ1度使うとさもう効か なくなるじゃないうんなんか構成物質 みたいなものでこういうアートの表現って うんうんうん聞き目があるんだけどさ1回 聞いちゃうとさなかなかもうさそれに反応 しなくなるというかまあそうだよね うんうんある意味羨ましいっていうかね その当時にこれだけの衝撃を持ってさメに 迎えられたデシンていうのはものすごく いいタイミングでうん仕事をしていてま キズムっていうものもものすごく短い期間 しか花開かなかったかもしれないんだけど それだけにねやっぱりこの大きな衝撃を こう世界に向けて発信できたというかうん うんうんまあこうね芸術家はね大衆を驚か せる能力をね失ってるっていう風にまそう なのかもしれないなってねつくづく 思ったんです よどうですかね衝撃を与えるよう なそういうもんでしょアトさアートにさ そういうものはもう期待してないかもしれ ないし ね うんまあそうだと思うよ期待してないと 思うよなか今多分次のまわかんないけど これ僕が勝手に思ってることだけど次そう いうものそういうアートが出るとしたら メディアアートなんじゃないメディア アートの領域なんじゃない
うーんまあねそれでねうんちょっとね次の 回 に進もうと思うんですがちょっともう1度 ねこのカールポッパーの本のこれを ちょっと紹介したいんと最近うんこのレイ ダリオっていう人知ってるすさんうん知っ てるよその人の動画Twitterで紹介 したもんあそう私もね動画見たのうん すごくねよくまとまっていてね分かり やすくてねうんおとか思ったんでちょっと 買ってみて読んだんだけどうんすごくこの 2冊をね合わせ読むとね非常にねこう考え させられることがあってうんこのねうん ルシャンがこの言ったこともね考え合わせ てちょっと次回はうんこのアートの動向に ついてちょっとね語ってみたいと思います はい分かりましたじゃあありがとうござい ましたありがとうございまし たうんでどうですか大阪の 万博いや僕はあんまり関心ないから現状と か全然知らないけど さ大変なことになってるだね今ね僕はあれ はやめた方がいいと思ってるけどねあやめ た方がいいねタイミ多分コロナあのコロナ のタイミングの東京オリンピックと同じ ようなことになると思ってるようんさ すごいけしから話なんだよね結局ね一新の 会がやるって言ったんだけどさ大阪がや るって言ったんだけどさうん今やなんか国 でやってくださいみたいになって間に合い そうにないってなっちゃったのねうんそう そうそうでさどこにさこの決意があるのか なってバンパをやるにあたってなんかさ いやないよもうさ私さポンピ センターからさみんな学ばなきゃいけない のはここじゃないかとこのキュビズムの美 の革命から学ばなきゃいけないのこの辺 じゃないかと思うねそれはまああの1つの 理想論だねあの理想は わかカさんの言いたい理想はすごくわかる けどもまあの政治とお金の問題が絡んで くるとそうはいかないんです よそう簡単にはかないんですしかも1回も 大きなお使うって決めたらもうとま止める に止められない止めたらもう自分たちの 生命がなくなっちゃったりするからその うんデジ生命がね例えばうんみたいなこと になるからあのいや本当やめた方がいいん だけどなと思ってる人たちは絶対いっぱい いるはずなんだけどうんあやめれないよね そういうもんですあのなんかさもうさもう 万博だけじゃなくてさいろんなところにさ うんなんか中途半端なさ気持ちで起きて 中途でやめちゃったっていうようなさいや そういうもんですなんかさそういう文化
施設とかこのさリゾートマンションとか リゾートなんとかとかさ観光地とかもうさ やったらにもうさ今さもうは廃屋だらけに なっててね日本中 ねそうだねでもこれわかんないよフランス にもそんなあるあるのかもしんないよだっ てうんなんていうかアメリカとかにも やっぱねもうね一生かけてこれはどうして もこういうことをしたいだこれはねこの国 のためになることなんだっていうさ強い 意思っていうかさ意思表示とかさうんない もんねなんか日本人に ねうんまそれもいろんな事情があるんです よなんかさこうそういうのはさもうなんか さもう呆れちゃうっていうかさうんうんだ からさこういうところからはねトは生まれ ないんだ わどう思ううんそうそうだからあの石橋 正次郎みたいな人が必要なんですよ要する にそのもう民間でしかできないからそんな ことはうん国国隊員ではねよっぽどの タイミングとかなんかがない限りできない からそういうことはうんまずいよねなんか さ美術館立ててもさうんなんかそが陛下に なっちゃうとかさ うんあのもうさ清里に昔さ本当にすごい いい現代美術館があったんですようん兄弟 でやってるあのやっぱこれ大きな コレクターでもうそれこそさもう中小開学 からコンセプチュアルアートからもう アメリカニューヨークのさまルシャンも そうだしあのもうポロックとかもそういう さあありとあらゆるさこの20世紀のね いい作品を集めてる美術館があったんだ けどもう清里が潰れるともうねちょっと間 を置いてからもねやっぱりなくなっちゃっ たんですようんうんでそういうものはさ やっぱりさバーサパーマじゃないけど やっぱりちゃんと叱るべき美術感に造すれ ば良かったんだけど結局お金がないから やっぱ売っちゃってあっちこっちさんね 散らばっちゃったんですよま今どうなっ てるのか分からないんですけど うんやっぱりねこの生実家なところでね 同じようなことをしてしまうの でそうですよだからその理想だけではね 続かないから うんそうそうなんですもだからね本当にに ねあの まあうんなんて言うのかなやっぱりね少し でも この今回のねキュビズムのうん美の革命 っていうのをさうんもっと深くね皆さんに 読み取ってもらってうんそのねえ功績って いうかさそれがこの人類に与えたショック
と革命的なことは一体何なのかっていう ことをさうんもう1度こうじっくりね 味わってほしいなと思うんですよなるほど でねそういうはね全然紹介されてないです ポンピドセンターのこうねなことなんかさ うんなんかねちょっとねこの写真これ何に も解説ほとんどなくてさうんコンピ道 センターこんな感じですてさそんな感じで こうちっちゃい映画があの写真が貼って あったりしてま改築するんのかななんか 貼ってあるなって思ってよく調べてみ ようって帰ってきて調べたらあこういう 事情でそうか 2020うなんか5年までさ休刊な長期 休刊なんだみたいな分かってでそもそも ポンピードってどんな美術感なんだろう みたいな自分で調べてようやくうんこんな すごい大統領がいてこんなビス感が立っ たっていうさうん全然紹介されてないし なんかこういうところがまこういうことが なぜ起きたかっていうねこうやっぱりさ 日本の美術もさ一時期こ留出して受とかね あのいろんな美術品が流出したことがある んですようんでアメリカが持ってたりする んですがやっぱりこういうさあのなんか それをこうちゃんとさ振り返って自分たち はこれでいいのかどうかっていうことを 考えさせる部分もあるし まいろんな意味でねこのキズム店っていう のはいろんな刺激があるなって私は思った んですよ はい今回はこの辺で終わり今回ねまだね うんこう美術館のねあのアメリカのね美術 館