【ゆっくり解説】動画013 岡田茂吉思想哲学で考察する無肥料栽培の原理(後編) 無肥料栽培は完成していた?普及しなかった驚愕の理由とは!?

【ゆっくり解説】動画013 岡田茂吉思想哲学で考察する無肥料栽培の原理(後編) 無肥料栽培は完成していた?普及しなかった驚愕の理由とは!?

[音楽] この動画は岡田吉思想哲学をゆっくりと 分かりやすく紹介する動画です皆様のご 参考になることを願ってい ますこんにちはゆっくり霊夢です こんにちはゆっくり魔理沙だぜこんにちは ゆっくり妖夢だよ岡田もきファン チャンネルへようこそねえねえ魔理沙前回 は無肥料栽培を完成させた人物の話で 終わったわよねああそうさ無肥料栽培の 完成に関わった人物がいたという話で 終わってたねそれってすごく重要なこと じゃないかそうなんだよせっかくそんな人 がいて無肥料栽培も完成していたのになん で普及していないのその理由が気になるね では今回はその辺りを考察してみるぜそれ ではゆっくりしていってねでは名主様が 無料栽培をどのように進めていったのか 東方の光から一部を紹介するぜ昭和の初め 真事によって教祖は新しい文明の想像こそ 緊急の大事でありしかもそのことが他なら ぬ自分自身の指名であることを悟ったこの 悟りに基づいて真っ先に手掛けたのは真事 の健康法であったそして長期に渡る研究の 結果始めたのが条例法であり昭和9年 1934年5月から東京の工事町において その普及を始めたことは前述の通りである 続いて競争は次の問題である法の創生に 着手することとなった昭和10年1935 年7月大日本観音会発会後間もなく開かれ た観音口座の中において真事の方の根本 原理を解き農作物を豊富に収穫できる時が 将来必ず来ると述べている当時の農村は 今日では想像もできないほど悲惨なところ が多かった小作農家自分の多を持てず土地 を借りて工作をする人々は疲弊しその困窮 は甚だしくこには9年1934年東北地方 は例外のための大協策となり自分たちの 食べるものにさえこかく農民が数多く出た のである教祖はこの頃の農村を農村の疲れ し記事の新聞を見ぬ人手なく胸の重り試し なき米の不作にた草はな変とすなり秋風 さけと呼んで農民を救う道を真剣に考えた のであった広い庭のある玉選教へ移って間 もない昭和11年1936年の2月新鮮な 野菜や洗卵を手に入れるため野菜作りと 余計を始めることとなり丘には道開きが 担当することになった岡庭は早速店内の 北東側道路沿いの部分300坪約メの芝を 取り除き開国して畑を作ったそして夏に 入ってナストマトキュウリなどの野菜作り を始めたのであるこの頃警視庁から1度目 の領禁止の命令を受けたこともあって教祖 の経済状態は極度に急迫していた畑での 野菜作りはこのような一迫した経済状態の

中で競争始め家族や奉仕者の食事を一部 なりとも賄かおうとする切実な役割を担う ことともなったのであるところで当初の 野菜作りは科学費用を施す一般的なやり方 が行われているしかし岡庭の努力にも 関わらず畑作も余計も成果は対して上がら なかった作物の生育は墓しくなくその上 病中外の異常発生まで起こったりした そこでその後は一切肥料を持ちずに工作 するように命じたのであるそして昭和14 年1939年にはできるだけ肥料を使わず に育てた野菜の苗を探し求めて植えてみた すると成績は極めて良好で成長は少し 遅れるが味の良いこと虫のつかないこと などがはっきりした教祖はこれらの事実を 細かく観察した結果科学費用などを用いる 方と無肥料栽培退避は活用するが他の一切 の肥料を使わない方を比較して人間に 対する医療に行きすぎや誤りがあるように 従来の農法にも自然を無視した母牛が潜ん でいることを見届けたのであるすなわち 禁秘科学肥料神秘人間の糞尿給費家畜の 糞尿を使った肥料などの肥料や農薬が作物 や土に害毒を及ぼしたり病中外発生の原因 になっていることさらにその疲労や農薬が 人体や家畜の健康に大変な悪影響を与える ことの具体的な裏付けを得たのであった このようにして無肥料栽培こそ真事の脳方 であることを実証することができたので あるそこで教祖はさらに徹底して具体的な 栽培方法技術面の研究を行った例えば大豆 を使って袋戸土を被せることしない種まき の実験もしている自然界の草の種は地面に 落ちただけで土で覆わなくとも発根発して 立派に育つのであるから大豆などの種まき も胸の上に点々と置くだけの無度の方が より自然であるという考え方なのである 実際に大豆を巻いたところ初めはカラスに 食べられたりしたが網などでこれを防ぐ 工夫をしてからは順調に生育し驚くほどの 収穫を得たのであったまた同107年 1942年からは無による水頭の実験も 行われた法山層の斜面を降りていった底地 に池がありその傍を開こして開いた田を 試験殿としたのである現在は盛り土されて 勝負池の南側の通路になっているがかつて は湿地でここを利用して水田が作られたの である昭和13年1938年頃から鉱山の 経営に力が入れられるようになると岡庭は その担当となり自然の法に従事することが できなくなったそこでしばらくの間は様々 な人の奉仕によって教祖の指導の元に自然 方の研究が進められていったのである昭和 16年1941年に入ったある日のこと 教祖は1人の信者を富未定に呼んだそして

あんたは農業の経験はあるかと尋ねた身 見真似でクの使い方ぐらいは知っており ますと答えると教祖は素人がいいんだ あんたがやって私に報告してくれと庭の 公人を託したのであったとここまでが昭和 16年のお話だぜこれが何か問題あるの いや今のところ問題はないぜそうして他に は道明氏の公人に選ばれたのが原製作師な んだぜどのような経緯で原さんが選ばれた かは原さんが書かれた自然方研究機にこの ように書かれているから一部を紹介するぜ 自然報研究機1昭和16年2月上旬頃と 思います名主様の経営された鉱山岐阜県 まし軍ゲロ町の近くの亜鉛交渉の鉱山で ゲロ鉱山と命名され事務所は剣道際の田舎 やり経営すると言ってもこれから単行を するという深夜でありましたその当座は 境し清水と私の3人でしたが私は入山3 ヶ月目に名主様にお使えしていた時弟の 木原先生と入れ替わりに多摩川の名主様の 元に起きいたしましたこの時は名主様にお 会いして足掛け3年目でありました帰参し て間もなくある日名主様からお屋敷に来る ようにと突然の呼び出しがありました何事 があるのかと思いながら取るものも とりあえず参上いたしましたお屋敷に行っ てお取り次ぎをお願いし法山草の客までお 待ちいたしておりましたこの当時はさしと 私は客人のようなまた使用人のような扱い を受けておりましたまもなく名主様から 関山定神山定は名刺様のお住まいで当時は 一般の人は元より使用人でも乱にお伺い できませんでしたの方に来るようにとお 言葉がありましたのでお伺いいたしますと 名主様はおいまでの観音様のお姿をご執筆 中でありましたお部屋に伺い私がご挨拶を いたしますとお筆を乙女になって私に 向かってあなたは農業の経験があるかとお 聞きになりました私は突然のお言葉であり ましたのでちょっとびっくりいたしました 名主様のお言葉でありますので正直に私は 農業の経験はありませんと申し上げました が私は何か農業に対して誤用があるのだな と直感いたしましたので農業の経験はあり ませんが育ったのが田舎でありますから 見よ見まねくらいのことはできると思い ますそれに私の家は農家相手の小さな種屋 をいしておりましたので種の種類くらいは 分かりますと申し上げますとうんそれで いいのだついてはあなたが肥料を使わない で農業をやってくれないかその結果をわし に教えるようにと申されました私は何が なんだか分からないがご指令されたことだ し私もやればできると思いましたので素直 にお言葉を受け申し上げましたお光りを

いいて名主様にご面接した場合は同時にお 光りもいただきますので左用に申しますお そばを下がってから法山草の待合室で私は 今お言葉をけしてきたもののしかしよ神様 が農業のことを私ごときもに教えるように と申されたが私が教えるなんてとんでも ないことであるこれはなんだか理由は 分からないが私を試されるのではないか などと思いました自体神様に教えるなど 人間ができるものではないしまたそんな ことはできないと思いました私はこの時 自分が経験したことをご報告するという風 にして実際にやってお目にかけ名主様に 判断していただくというやり方で行くべき だと思いましたそれからは毎日のように境 商事の要件を済ませては玉川髪の毛のお 屋敷に伺い畑作りの準備をいたしました2 面に畑にして良い場所のおさしをして いただいて畑を作りましたまず手始めは畑 うないをして畑を平に鳴らすことでしたと まあこんな感じで名主様からご指令があっ てと書かれているぜあら原さん大変ねああ 今までにない方法の研究だからご苦労は あっただろうと思われるぜでも研究って何 を研究するの無料栽培の原理はもう5論文 に出てるでしょその通りだぜ無肥料栽培の 原理は5論文でご発表されていらっしゃる が原さんが研究しているのは原理ではなく 技術面だぜ技術面そうなんだぜ無肥料栽培 の原理はこの宇宙に漂う過疎水素土の酸味 一体の密合体である自然力Xこそが全ての 作物を精々回復させる力なんだから土を 正常にして純粋化すればするほど父はその 性能を発揮できるんだぜとは言っても実際 にどうすればいいのか何せ初めての方で 分からないことだらけなためそれを原さん たちが研究してたんだぜでもすでに五論文 に自然退避を入れるとか連作で作れとか 書いてあるんじゃないその五論文の年代を 思い出して欲しいんだぜ確か昭和23年や 昭和25年とかだっけあ原さんが昭和16 年だから5論文の方があとねそうなんだぜ つまり原さんたちが研究した結果がご論文 に反映されているんだぜそういうことね 分かったわまあ反映されているというか無 肥料栽培の原理の技術面の裏付けといった 方が正しいだろうけどなでは続いて原さん が書かれた自然方研究機の一部を紹介して いくぜ自然方研究機14前回でのことから 箱根で自然方を引き続いて研究をすること ができるようになったのでありますこの時 に神様のがなかったならば私は東京に残っ ていて自然法はご競輪上の方で住んだもの と思ってこれ以上の研究はしなかったと今 になって思うのでありますその理由は私が

頭の素人でありまた自分の職業とあまり 駆け離れていることでありましたしかし神 様はそんなことには頓着なく私をお手元に 引き寄せて農業の研究をさせたのであり ます前にも申しましたように自然方の明を 私が受けた当初素人が良いのだとのお言葉 がありました通り私の農業知識は誰でも 想像できる程度のお恥ずかしいものであり ましたまた箱根にお引っ越しになられても 作物も作る土地もありませんでした新山層 の裏手にあたる岩田中三さんの土地もお 引っ越しになってから買い受けられたので それからようやく少しばかり農作物を作る 土地ができたぐらいであります神様のご 競輪は初めぼやとしていてだんだんに はっきりしてくるものだとのお言葉にある 通りおそばの農業と言っても本格的なもの ではなく名主様のお召し上がりになる無 肥料野菜を作る程度のものでありました皆 様もご存知のようにゴラは山坂の上に体積 の累積した土地でありましてその石の間に 点々としている少しばかりの空気を耕して 畑を作るという具合でありました対戦中で もありましたので当時は大根や枝豆と モロコシ島またナパは小松なほれ草強な などを手当り次第少量ずつ施策的に作った ものでありますは多摩川のお屋敷で取った 無肥料3年目の種を大切にして巻いたり いたしましたなんと言っても農業の経験は わずかに3加年という誠に浅い体験しか ない上箱根の寒冷地についても農業知識が 何にもなかったのでありますから寒さ暑さ が農作物にどんな影響を与えるか何1つ 分かっていなかったのでありますそれでも 名主様の召し上がる無肥料野菜は欠かせ ませんのでなかなか気苦労でありましたと いうわけで名主様が昭和19年5月に箱根 を引っ越しになられると原さんも箱根で 引き続き研究をされることになったぜでも 箱根は小石混じりで不良度なんでしょそう なんだ原さんは東京多摩川で研究をしてい た時は1m掘っても黒土って言ってたから 箱根の土とは大違いだしそれ以上に箱根は 東京より寒く気候が違っていたのが大変 だったみたいだぜなるほどね大変な苦労が あったんでしょうねさてここで一旦東方の 光の続きのの紹介に戻るぜ確か岡庭さんの 公認になったところからねそうだね新しい 担当者は前述のように昭和17年1942 年湿地を開いたた犬を作り畑では落葉など の自然退避によってナやキリなどを作った そして教祖に1つ1つ報告し指示を受け ながら忠実に仕事をしてかなりの成果を 上げることができたこのことを通して教祖 は経験の有に関わらず誰でも白死になって

自然の報を実施していけばまずまずの収穫 を挙げうることについてさらに自信を深め たのであるこのようにして教祖は柿や果樹 野菜水筒や小麦大豆に至るまで主持の作物 について数年間にわって新しい方方による 実験研究を続けたのであるそれも側近奉仕 者に任すばかりでなく自らシベルを握って 土にまみれることもあった土の硬さを調べ 作物の生育具合を確かめることなどに余念 がなくよも初めの頃厚い見過ごしていたが 毎日聖痕込めて畑や庭の管理にせを出す 教祖の様子にやがて何か特別な意があるの ではなかろうかと感ずるようになった そして食事の折りに卓上に登った料理を つまみながらこれは肥料を使わずに作った んだがどうだうまいだろうと自慢をする 教祖の言葉に初めてその真意を知ったので あった法山層の脳炎で取れる米や野菜は年 ごに良質となりこの脳の進化を実証したが はまだ農家の信者が少なく実施するものは ほとんどなかったたまたま女子奉仕者の 父親の若田部関三が栃木県で農業を営んで いたことから競争は無肥料栽培を進めた 早速実施したところ大良行の成果が得られ たことを聞き教祖は一段と確信を強めたの であったその後さらに終戦の前年昭和19 年1944年の5月箱根のゴラに去すると 隣接地を入手して無肥料栽培の実験が続け られたそこは石の多いいわゆる痩せ地で あったが作物は質量ともに優れしかも都事 に向上するという素晴らしい成績を示した この事実を見て無肥料に切り替える信者が 次第に増加していったあれ全人の庭さんは 名前が出てるのに新しい担当者ってだけで 原さんの名前が出てこないわよなんでそれ は分からない分からないが東方の光に名前 は一切出てくることはないんだぜ当時の 自然方の担当者ってそんな感じの扱いだっ たのいや原さんは無肥料栽培の研究がしる 業務ではなく本葉は箱根新選教の造営責任 者だぜこれは仁王わね私でも分かるわよ 何かあったに違いないわね当時何があった かは分からないし今それを索してもしよが ないんだとにかく原さんの自然方研究機の 紹介を続けるぜ自然方研究機19前後で 発表いたしました歯と気候について私なり に研究集計しました一家年の植物41種類 の開花敷一覧があるのですがまだ不の点も 多く見られるようでもありますのでそれに 加えて各地放置法により当然のごと祭も あると思われますのでこれは割愛いし本校 を読まれた方々が各地区において統計を 取られて参考となされることを希望し次に 移ることといたしますここで橋の研究当時 に名主様から賜ったお言葉の生殺を書いて

みましょうこの研究は何も私1人で研究し たものではなく神様のご指示によった合作 の研究機でありますことを特に明記いして おきます私は長間自然方の研究をさせられ ておりましたがなんとか初期のご指名に 対して1日も早くお答え申し上げなければ と常々心にかけておったのであります しかしこれというまとまったご報告ができ ないまま数年を経過してしまったのであり ますそれで自然方研究のご指名から8加年 目の昭和24年の春3月頃と記憶しており ます当時のご面会場は熱清水町別院であり ました私はこの頃ようやく自然方に限らず 農業には死を発する時期が核植物にあって この時期を外すと早すぎれば例外に合い 遅ければ正育不十分となり不良策となるの であります大根などはとかもハシが遅れる と空りになって出来栄えでその3くらで寒 さが来て育ちが止まってしまいますこれは 大根に限らず全ての農作物はそうであり ますというように人工的に派手をするには 自然の時期との兼ね合いを知るのが難しい のでありますそれでありますからこの人工 的に発止する時期の判断が非常に大切で あるということになりそれが分かりかけて きた頃のことでありますちょうどその日の ご面会の時は名主様のすぐおそばであり ましたいつか橋についてご報告方々お伺い したいと思っていたところでありました 良い機会でありましたので私は橋について お伺いしたのでありますこのお話をする前 にちょっとここで神様のご発言について私 の体験を申し添えておく必要があると思い ます名主様のご生活の中には常々の一般的 なお言葉の中にそうでないご心意のお言葉 があるのであります私は長い間内外ともに おばの御用にお使えしていたのでその体験 からご心意のお言葉か一般的な御用向きの お言葉かが分かるようになったのであり ますそれでご心意の発言は必ず1度限りの ご発言で2度とないのでありますその言葉 は非常に簡単でいで何か考えさせられる 意味合を持ったものであります実際に あたって名主様の御用を伺っている時に またそれも本の偶然のことでありますお話 中に突然と前後の事情とちょっと切り離れ たような単独な意味を持ってお言葉がご 発言になるのが特徴でありますちょっと いい表し方が難しいのでありますがこれで 私としては正一杯の表現でありますその時 にお話の内容をうっかり伺っておりますと なんとなく継ぎはぎのないお言葉だなと 考えさせられるまたなぜこんなお言葉を いただくのかなと不思議な感じがすること もありますよくよく考えると後になって

からなんとなく意味が分かっていつかは はっきりしてくるのでありますその時 初めて素晴らしいお言葉であることが 分かるのでありますというわけでこの端の 件についても同様なことがありました私が その当時に言上した言葉をそのなりに書い てみましょう名主様を伺い申し上げます 農作物には端があるように思われますがと 伺ったのでありましたその時の返事のお 言葉がどうですなんとあったと思いますか そのご返事のご発言が即座に温度だよと 申されましたその時私は橋をお伺いしたの に対して温度だよのお答えでありましたの で実のところはあと言ってお言葉をその なり頂いたのでありますが次のご質問の 言葉が不思議に出てこなかったし内心では 温度とは音質の植物を差してのお言葉なの かとも思ったりして音質のことなら ことさらにお言葉ををいだかなくても 分かっているのにどうもチグハグな感じの するお言葉でちょっとの間私は理解でき なかったのでありますまた名主様からは それ以外のお言葉もなく大勢の浸透相手に 他のお話に移ってしまわれましたそれから 私は家に帰ってもそのことについて考え ましたはきと申し上げるとすぐ大返しに 温度だよと跳ね返ってきたそのお言葉を 何百回となく反復しているうちに何かある のだと思えてきたのであります1週間も2 週間も考えているうちに温度とは気温と いう意味に当てはまる気温は気候という ことにもなりそう考えて順次遡って考える と季節にもなりますところがその後温度に ついて色々調べ考えてみますとこの温度と いう言葉は農業技術の面で最重要な事項で あることが分かりました植物と温度生物と 温度と言って被なくして水なく水なくして 温度なく温度なくして生物なしというよう に非常に深い因果関係になっていてその 関係が分かれば分かるほど温度は農業に とって大切なものであることが分かりまし た温度なくして農業なしとも言えます温度 と植物との関係を自由に駆使することが できるようになればそれ以外の農業技術は いわゆる二技術でなんら難しい問題は1つ もありませんこの温度だよのお言葉こそ全 農業を一言でご教示くだされた尊いご真意 のご発言であると今でも身にしみて思って おりますそれはいわゆる神脳のご発言だっ たのであります私はそれからはこの温度と 植物について実証的に手術と研究をいたし たのでありますこの温度だよってのは すごいことなのよねああすごいお言葉だぜ 農業をやっている人はこのお言葉温度だよ を忘れないで欲しいぜその言い方だけじゃ

分からないわよ温度っていうのは気温で あり気温ということは気候でもあるんだ つまり温度を見るってことは気温を見なく てはいけない気温を見るためには気候を見 なくてはいけないそのためには自然をよく 観察しなくてはいけないんだぜ無肥料栽培 では自然と土を尊ぶ能方でもあるから気候 だけでなく太陽も月もそして地球も観察し なくてはいけないと思うんだぜあと退避に は土を温める効果があるんだがそれも作物 を育てるのに非常に重要なんだぜそれら 全てがこの温度だよに集約されていると原 さんは悟ったんだぜじゃやっぱりすごいお 言葉なんだそれでは自然方研究機の クライマックスと突き進んでいくぜ自然方 研究機22私はこの正育の事実を見て誠に 驚いたことは今日まで私は色々と農作物の 育成について最新の注意を払って苦労もし てきたのでありますが右の苗床の苗の成長 を見てからはなんとなく今日まで色々苦労 をしてきたことが馬鹿らしいことのように 思えてきましたくらいでありましたそれと いうのも今までに気温と植物の関係を築い ていながら徹底的に研究することができ なかったことがが遠い回り道をしてこんな ことで結果を見せられるとは思えなかった からでありますなんとしても気抜けがした がその反面苦労が実って結果が出たので前 とはヨヨとして希望が湧き上がってきた ものでありますその時はちょうど今から 18年前の昭和29年春のことでありまし たその年はナスの育病から引き続いて安定 した気候になるまで保温栽培をしまた路地 上もしましたが大成功を包めたのであり ますその年のナス種のスは25cmもあり ました写真も撮ってありますナスの一病が 成功してその年の秋のナス種も立派に成熟 したのでこれで自然方は完全に完成したの でありますと申しますことはナスはなると 言ってご信用に不快関係と意味があるので あります自然の法に私が手をつけた初期に 名主様から無比のナス種を取ってナスを 栽培するようにと言いつけられてから15 家年もかかってようやく完成したのであり ますそれもご商店間際に結局よく自然方は 完成したのでありますご診療に関係したお 言葉は後にも先にも一言しかご発言がない ものでこの作りがその1つであります 不思議なことにその年の空りに私はナビを 挟みでもぎ取る夢を見せられました私は この時今ご報告ができないがこれで自然方 は完成したのだと悟ったのであります今後 は今までに説明した基本に従って江に 別れる色々な実験研究によって自然方は 進歩することになります原さんやったね

無料栽培は完成したんだねああナを種から 苗にしてその成長した苗栽培し収穫する しかも7月から10月まで収穫することに 成功したんだこのナスが最後まで難しかっ たとのことなんだぜ各地方地方の地域さは あるもののこれを持って無肥料栽培の技術 面は完成したんだぜあれでも魔理沙 おかしくないか無で完成したんだよね もちろん 無料でだぜこれで無肥料栽培の自然能が 完成したんだよねこれで無肥料栽培の自然 方が完成したぜじゃ全国の自然方の農家 さんは原さんの技術面の完成を知っている のよね原さんの技術を使っているんだよね 残念ながら技術面の完成を知らないと思う し当然技術は継承されていないぜ えなんでなんでそんなことになっているの それについて原さんが自然方研究の中で 書いてるから一部を紹介するぜ自然方研究 機8ただ現代では幸運機など初期会が発達 しているので農業技術が機械と農薬に原爆 されて一番大切な農作の基本的技術が何に も研究されていないということであります 事実農業界が真面目に基本的技術を研究し ていたならこんな破行的な農業は生まれ なかったと思っておりますと申しますと 自然方では農業の基本的技術というやが 分かっているのかと申しますと私は今から 10数年前に分かったのであります名主様 ご上下の年でありました私は長年調べてい た最終的結果をご報告することを心待ちに して名主様のご浄化のお済になるのをお 待ちしておったのでありましたがついに そのご報告の機会を得ることができません でした私は名主様ご商店により晴天の霹靂 のようにその当時は愕然としましたそれ からは一転して奥月の完成に前例を 打ち込んで務めたつもりであります私は 20数年間おそばでご君島をいただきまし たがご商店後2年目の奥完成の間際に何の 理由もなく大草館長の名によって給食の 事例を渡され1年後には何でもかんでも 理由なく石原工作理事が担当で私を教団 から退職させたのであります名主様の見 教え通りに考えたりしたりするものはいけ なかったのであると今でも思っております 自然の法もそんな具合で発表もできずにい たのでありますが今日図らずもこ有に発表 できるようにになりましたのでお役を 果たしえることができましたような次第で ありますえ何これこんな理由かねえねえ やめさせた人達ってバカなのねえバカなの いやいやそうじゃないと思うぜさっきも 言ったが当時何があったかは分からない けど大きな石が働いていたんだと思うよ

いい石か悪い石か分からないけどな悪い石 ってああこれあれだ魔理沙は知ってる パターンだないや本当に分からないんだ じゃああれだ負けたパターンじゃないのか そうかどうかは分からないぜただ事実は原 さんは昭和32年頃には世界急世教を退職 して他の名主様関連団体へ行かれたって ことだぜしかしそこで自然方研究機を発表 したからこそ今日の私たちの手元に完成さ れた無肥料栽培の自然方が残って るってことなんだぜじゃ魔理沙は自然方 研究機を呼んでから無料栽培を始めたの いいや私が無料栽培を始めた時には自然方 研究機の存在は知らなかったぜただご論文 通りの無肥料栽培を始めたいと思っただけ さところが無肥料栽培を始めるって言っ たら他の自然方の農家から笑われて白い目 で見られたなははは懐かしい思い出だぜ そんなに理解できないものなのああ無肥料 栽培なんて理解できないぜ未だに肥料名神 にどっぷりだぜそっかだけど無肥料栽培の 方の米や野菜を食べなくて大丈夫なの もちろん良くないぜしかも観光方や勇気方 から無肥料栽培に切り替えたらひどが 抜けるまでに3年間は覚悟しないといけ ないぜ3年も抜け始めるのに3年で大体 抜けるのに5年はかかるんだぜ5年か名主 様は無肥料栽培に関しては宗教や思想哲学 に関係なく誰でもできる方として5論文に 残しておられるから実行できる人から早く 無肥料栽培を始めて欲しいぜそれに今日の ような食生活が健康にいいはずないんだぜ というと今や日本の農作物は農薬の種類 使用量ともに世界のトップクラスとなって いるぜまさに薬付けだぜさらに食料品の 添加物の種類もトップクラスだぜこの農薬 と添加物は外国で使用禁止になっている ものも日本では認可されているという異常 事態だぜ今や日本国民の2人に1人がに なると言われているけどそりゃこんなの 食べていればそうなるよなだから農産物や 食料品を作っている人たちは自分たちの 家族へ提供しているように安全で安心 できるものを自信を持って作って欲しいと 思うんだぜそうしないとそうしないと いずれ日本は食料危機と病人天国になって しまうぜそれはいやそういえば魔理沙はお 米も無肥料栽培で作ってるのもちろん作っ てるぜじゃお米に虫が出たりすることない の風を開けて6ヶ月ぐらいは廊下に放置し ているが無肥料栽培で作ったお米に虫 なんて湧いたことないぜだったら私も作っ てみたいわ無肥料栽培って家庭菜園とかで もいいのもちろんだぜ名主様も家庭菜園で の無肥料栽培を推奨しておられたから霊夢

も挑戦してみてほしいぜそうね魔理沙が 教えてくれるならちょっと頑張ってみよう かしらああもちろんだぜ霊夢頑張れ さて日本術条例無肥料栽培と来たから次回 は芸術の考察をしようと思うぜ芸術もしか して美術館も関係するのかしらもちろん 関係するぜそれならちょっと楽しみね次回 も期待してるわよでは次回も岡田も基思想 哲学を紹介していくぜそれではご視聴 ありがとうございまし [音楽] た [音楽] いや魔理沙今回はなかなか良かったねそう だろ結構頑張ったからないやこの調子で無 肥料栽培のことが分かってくれると嬉しい よな何言ってんのそこじゃないだろはい 今回の目玉は私のセリフの多くなった ところだろえ妖夢何言ってんのそれは こっちのセリフだ呼びつけておいてな何 なんだ今までの扱いは全くセリフがなかっ たじゃないか私だって喋りたいんだよあ うん今後前書しますもう頼んだよ魔理沙と いうわけで次回からの妖夢もよろしくなん だ よ

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