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華頂宮(かちょうのみや)は、慶応4年(1868年)に伏見宮邦家親王の第12王子、博経親王によって創設された宮家。
華頂宮は3度にわたって断絶の危機に瀕したが、当初は皇族の数が少ないことから特旨をもっての存続が繰り返された。
養子や兄弟間継承が禁止され、さらに傍系の次男以下の皇族への臣籍降下を半ば強制する皇室典範準則の適用などにより、1924年(大正13年)に断絶し、華頂侯爵家が祭祀を承継した。
華頂博一殿下の曽祖父にあたる華頂宮第3代博恭王は、伏見宮貞愛親王の第1王子。貞愛親王の庶子であり、伏見宮宗家は嫡子がいる場合そちらの継承を優先させたために、当初は宮家の継嗣とならなかった。しかし、博厚親王の夭折と、再度の華頂宮存続願もあり、多くの新設宮家の宗家に当たる伏見宮家から継承者を出すこととなり、華頂宮継承が決定した。しかしその後、伏見宮家を相続する予定だった弟宮邦芳(くにか)王が病弱のため、明治37年(1904年)、第1王子・博義王と共に伏見宮に復帰した。以後、1923年に父・貞愛親王が薨去し、第23代伏見宮となる。その後昭和21年(1946年)に70歳で薨去。
華頂博一殿下の祖父にあたる伏見宮博恭王三男(華頂宮博忠王弟)の伏見宮博信王が、大正15年(1926年)12月7日に20歳で海軍少尉の時に臣籍降下し、華頂侯爵家を創設し、同時に華頂宮家の祭祀を承継した。なお、王が「華頂宮5代目」とならなかったのは、皇室典範とその準則により、宮家を皇族としてそのまま継承することが禁じられていたことによるものである。王は、伏見宮家からの初の臣籍降下となることから、慣例により侯爵を賜った。
—華頂博一殿下の紹介—-
一般社団法人日本文化振興会 副総裁
一般社団法人厩戸ノ華頂 当主
旧皇族 華頂宮
高祖父 伏見貞愛
曽祖父 伏見博恭
祖父 華頂博信
父 博祐
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